就農で知った現実
田口真作さんは就農8年目の35歳。ホウレンソウの周年栽培で、日本一を目指す株式会社田口農園を率いる農業経営者です。宇都宮大学農学部を卒業し、茨城県の農業改良普及員として5年間勤務した後、野菜を中心に栽培してきた父の経営する農園に就農しました。
就農翌年の2011年に経営委譲され、28歳で農園経営者になります。茨城県の農家全体が、東日本大震災の風評被害で壊滅的なダメージを受ける中での船出。
大学、県職員を経験してきて、農業経営をやってみたいという思いが徐々に強くなり「うれしい一方で、責任の重さも痛感した」と言います。経営を引き継いで見えてきたものは、なんとなく続いてきた生産物の選択、販売の商慣習、働き方、そのすべてへの疑問点と、そこから浮かび上がる問題点。厳しい環境の中での「マイナスからのスタート」は、その問題点を改善し、農園を続けていくための土台と、経営者としてのビジョンの構築が必要でした。
農業を続けていくために必要な条件
農業経営者となった田口さんが、家族を養い、農園の継続と発展を考えたとき、「想像以上に所得が低いこと」「定期的な休みがないこと」「残業が多いこと」に対して、知恵を絞り、改善する必要性を感じました。期待する所得と休日、自分時間の確保。組織で働く経験をした田口さんの目には、この3つが解決すべき問題点、取り組むべき課題に映りました。
「家族との時間を確保し、私生活を充実させることと、公務員時代より稼げる農業経営」を目標に掲げ、この問題点、課題をクリアする。農業を続けていくためにも、自身が必要だと感じた条件を整えること。田口さんは5年後の「所得1000万円、週1日の休日確保、残業ゼロ」を目指して・栽培品目の選定・販売方法の模索・家族と従業員の働きやすさの向上に取り組みました。
ホウレンソウとの出会い
田口さんが引き継ぐ以前は、2ヘクタール(80棟)のハウスで、メロン、アールスメロン、ミズナ、コマツナなど、多品目を生産していた田口農園。「なぜ、その作物を作るのか」。父に尋ねても、明確な返答はなかったのは、他の野菜生産者と同様に「それまでの慣習としか言いようがない受動的な農家の姿を体現していたから」。農家の主人は、その場で値段の交渉などがあるわけでもないが、結果的に多くの時間を割いたとしても、その日収穫した野菜を集荷場に運ぶのが役割。肥料や農薬を扱う業者が訪ねてくれば、新商品というだけしかセールスポイントを話せない担当者が来る。
そのメリット、デメリットの説明ができない。そのエリアの農家のコミュニティの深い部分に根付いた〝慣習″としか呼べないものに対する「なぜ」。生産物、出荷先、使用する材料。「新しいことをやらなければという挑戦心と、自分がやるからには変えていきたいという野心」から、田口さんは慣習に頼るのではなく、経営者である自分が判断することを自身に課しました。
2011年から2013年までの3年間は、ミニトマトやホウレンソウ、レタス、二十日大根など、様々な品目を作付けし、栽培品目の選定する期間。ミニトマトは契約栽培を試みるも、品種・販路の選定で思うような結果を出せませんでした。一方でホウレンソウには、実需者からの需要も高く、価格が安定していてかつ所得率が高い、周年栽培がしやすいという活路を見出します。
出荷先の要請に応え、2012年にJGAP認証を取得し、ホウレンソウの契約栽培をスタートしました。「価格が市況に左右されず、売り上げが安定する」というメリットを享受すること。そのために「契約数量を年間切れ目なく納品する」という責任を全うする覚悟。田口さんは「ホウレンソウこそが、他の生産農家との差別化を実現する品目だ」と決断し、2014年から規模を拡大し、今では3.2ヘクタール(130棟)のハウスと2ヘクタールの露地畑で、ホウレンソウ専門栽培に移行しました。