塩害で苦しむイチゴ農家を救済、「いちご団地」の建設

東日本大震災直後のイチゴハウス
震災による、亘理町のイチゴ農家への影響も計り知れません。イチゴ栽培を行っていた農家のうち9割以上が被災。約58.3ヘクタールあったハウスのうち54.5ヘクタールと、約93%が津波等によって失われました。町を離れることになった人や離農する人も少なからず出たそうです。
さらに、イチゴ農家を苦しめたのが、震災で生じた瓦礫や土壌の塩害です。
「特に地下水の塩水化によって、地下水をイチゴ栽培に利用できなくなったことは、多くのイチゴ農家に大きな問題となりました。イチゴ栽培を再開する場合、水道水を使用しなければならず、従来の栽培法よりもかなりの費用がかかってしまうからです。
そのため、経費がかさむことから土耕栽培は適さなくなりました。現在でも塩水化は続いていることから、将来性も考慮し、町は農家が土耕栽培から高設水耕養液栽培に切り替えられるよう栽培方法を考案しました」。

いちご団地
そして、被災農家を救済するため、内陸地域に新しい栽培地を造成しました。栽培ハウス60棟、栽培面積13.7ヘクタールから成る「いちご団地」を2013年9月に建設しました。「いちご団地」は、水に肥料を溶かした養液を送り込み、立ったまま作業できる位置で栽培する「高設水耕養液栽培」のためのハウスです。
イチゴ農家のほとんどが高設水耕養液栽培の経験がなかったことから、JAや関係機関の専門家が栽培の指導や研修などを行い、農家のサポートを行ってきました。
いちご団地を利用してイチゴ栽培を始めた農家はおよそ99軒。2013年11月には、いちご団地で育てたイチゴの本格的な出荷が再開しました。
被災から元気になった町をアピール!ギネス記録挑戦へ

いちご団地の全景
震災前のイチゴ農家は251戸、イチゴの販売額は20.5億円(2009年11月~2010年6月)。それが、2017年3月にはイチゴ農家162戸、販売額は17.7億円(2016年11月~2017年6月)にまでに戻ってきました。(農家戸数、販売額はいずれもJA出荷分 ※JA宮城調べ)
そのような状況の中で生まれたのが、イチゴ狩りを大勢で一斉に行うという、ギネス記録挑戦のアイディアでした。会場となるのは、亘理町にとって震災復興のシンボルとなった「いちご団地」です。
「発案当初は、小さな町で実現できるのか懸念があったことも事実です。しかし、いちご団地に限らず、町全体がボランティアや義援金、寄付、職員の派遣など様々なかたちで支援をいただき、震災から現在までの復興を実現することができました。
そういった支援に対して感謝の気持ちを表したい。そして、元気になった町の姿を少しでも多くの方に知っていただくためにも格好のイベントとなるはず。関係者の間でも意見が一致しました」。

もういっこ
また、宮城県オリジナル品種「もういっこ」のアピールにも繋がると考ました。開催が決まってからは、関係機関とも志をひとつにして、スムーズにイベント当日まで準備を進められることができたそうです。