つき家はどんな農家だった?
編集長:今、ご実家は農家をされていますか。
つき:今はもう販売はしてないですね。家で食べる分の好きな作物をつくって、たまに近所に分けるくらいです。おじいちゃんが生きているときは結構、売っていましたが。ニンジン、タマネギ、ジャガイモ、ピーマン、キュウリ、キャベツ、あとは米。シンプルなものしか作っていませんでした。変わった野菜や、匂いがあるものは年寄りたちが食べたがらなかったので作らなかった。だから私は、春菊も食べたことなかったんですよ。匂いがあるじゃないですか。
編集長:どのぐらいの広さだったんですか?
つき:昔、990坪と聞いたことがあります。段々畑なので、植える部分は、そんなに広くはないかもしれないですね。山はいっぱい持っていました。でも、使っていないので、本当に負の遺産という感じで。ありません?旦那さんのご実家で。
編集長:ありますね。持っていても、むしろ、どうしようかという土地が。駐車場にして、近所の人に貸すとか。
つき:今は母親がいるのでいいですけど、その後はどうなるんだろうと不安にもなります。親が農家やっているけれど、子どもは別の職業についている、という家庭も多いと思います。そういう方はどうするのだろうと、最近気になっています。
編集長:何かお話しされてます?
つき:土地は継がす気らしいんですけど、固定資産税を払いたくないなっていう(笑)。作り続けられないし、その不安を、誰かと話したいなとは思います。
農家に憧れなかった背景には
編集長:マイナビ農業でお会いする農家の方は、起業家というイメージの方もいて。起業する題材がITとかでなく、面白い産業だから農業に着目したというか。受け継いだ責任感で続けている方もいるでしょうけれど、そうじゃない。
つき:いいですね。そういうの。面白い。増えれば良いと思っています。農家の希望みたいな感じですね。
編集長:そうですよね。
つき:でも正直な話、どれくらい食えてるのかなと。多分、親が農家で、子どもが継がない理由として、そんなに儲けがないことを見て知っているからというのがあると思います。うちの場合は、義務感でやってた感じに見えました。嫌々じゃないけど、しんどいように見えたことが多かった。なので、農家には憧れなかったんですよ(笑)。なので、そういう面白く、稼げるものになっていけば良いなと思いますね。
身近だった山と土
つき:なんか自然に帰りたいときがあるんですよね。疲れると「なんか山に行きたいな」って思うんです。
編集長:「この東京砂漠を出たい!」という感じですか(笑)。
つき:そうですね。近くにちょっと広い公園があるので、そこに行ったりとか。でも平地よりも、山に行きたくなります。自然の中で育ったのは良かったなと思いますね。都会だと、遊ぶ場所にも困ってる感じがするし、保育所でも遊んでるだけでうるさいとか言われていますよね。そういったことは全くなかったので、いい環境だったんだなと今は思います。
編集長:私も静岡の田舎だったので、都会には憧れましたが、都会の小学校を見ると、ゴムのオールウェザートラックで、狭い。
つき:東京って、土がないですよね。土も買わなきゃないじゃないですか。それがあり得ないと思って。
編集長:普通に、土を売ってますからね。
つき:稲を植えたりするじゃないですか。刈り取ると、稲に栄養を吸われてカラカラの土が冬に残ります。だから、残った稲を腐らせて栄養にしたり。私は留守番をしていることが多かったのですが、たまに田植えとかをちょっと手伝ったりもしました。結局、土も作らないとダメなんだなということも、農家にいて知りました。
あとは、意外と、漫画のネタにできるような特殊な環境だった。それに気づけたことが良かったですね。兼業農家で育ったことも無駄じゃなかったと思います。