“沢山の手仕事”が人とワインをつくる
平均斜度38度という急斜面のブドウ畑に、「カン、カン、カン…」と缶を叩く音が響きます。これは、畑に寄り付くカラスを追い払うために、知的障害者支援施設「こころみ学園」の園生たちが缶を叩く音。農薬を極力使わずに作られるブドウをついばむ、鳥たちを追い払うため朝から晩まで缶を叩いているのです。
今からちょうど60年前、地元の中学校の特殊学級教諭だった川田昇(かわた・のぼる)さんと生徒たちが中心となり、2年掛かりで畑を開墾しました。平らな土地が手に入らず、やむなく山を開墾することになりましたが、南西向きの畑は日当たりと水はけが良く、幸運にもブドウにとって栽培条件に恵まれていることが分かりました。
急斜面の畑には機械を入れることができず、手作業が求められました。結果的に土が機械の重さで踏み固めらることなく、柔らかい土壌を保つことができました。何より教室では心許なげに見えた生徒たちが、畑仕事で汗を流すことで、瞳の輝きを取り戻していきました。1969年に知的障害者が暮らす「こころみ学園」を設立、1980年には父母からの出資により、同園敷地内でココ・ファーム・ワイナリーが産声を上げました。
そもそも開墾した畑の作物にブドウを選んだ理由は、栽培の過程に「365日やってもやりきれない仕事があるから」と、専務取締役の池上知恵子(いけがみ・ちえこ)さんは話します。ブドウの栽培は、元々は園生の心身を鍛える訓練の一環として取り入れたものでした。子どもたちの仕事がなくなるという理由で、開墾以来この畑で除草剤を撒いたことがありません。草取りを始め、結実した16~17万個のブドウを守る「傘かけ」や「袋かけ」、そして果実一粒一粒の摘み取りなど、すべての作業を手で丁寧に行います。
都会の家では心身のバランスを乱し、暴れて家のガラス戸をすべて割ってしまったこともあったという若い園生が、早朝からの農作業のお陰で沢山食べて安眠し、自分自身をコントロールする忍耐力と自尊心を養えたというケースもありました。この「沢山の手仕事」こそが、人とブドウを立派に育てる秘訣でした。
「適地適品種」で自然体の栽培を
ココ・ファームでのボランティアがきっかけで、消防士から栽培スタッフになった桒原一斗(くわばら・かずと)さん。次シーズンの出来を左右する剪定作業などを担当します。木に鋏を入れるのは桒原さんらスタッフの役目ですが、切った枝に虫が集まらないよう運び出すのは園生の役目です。どちらもブドウ栽培には大切な仕事。桒原さんは、「畑にいるときの園生は、いい意味でギラギラしている」と、眼差しを送ります。
ココ・ファームのブドウ栽培は、量より質を追求しています。房自体を間引きする「摘房」、房の粒を間引く「摘粒」でブドウを全体の4分の1まで厳選し、栄養を凝縮させます。「4分の1程度」(桒原さん)といいます。
県内では佐野市にも自社畑を持ち、マスカット・ベーリーA、リースリング・リオン、小公子など日本固有の品種や、カベルネ・ソーヴィニョン、プティ・マンサン、ノートン、タナ、ヴィニョールなどの世界で愛される品種を栽培しています。
最も大切なのは収穫のタイミングです。ココ・ファームでは、ワイナリーと畑が隣り合わせているため、完熟のピークを見極め、粒を傷めずに手摘みしたブドウを醸造所に送り込むことができます。丁寧な手仕事のほかに、栽培・醸造現場の密接な距離も上質なワインの秘密でもあります。
ただ、自社畑のブドウに固執することはありません。降水量が多く湿潤な足利で作れるブドウの品種には限りがあります。品種ごとに最適な土地で育てれば、自然と良いブドウが育つという「適地適品種」の考え方で、ココ・ファームの理念に共感する北海道、山形、山梨など12軒の契約農家が、計10haの畑で気候や土壌に合った品種を栽培。100%日本産ブドウを使ったワイン造りを支えています。
「またやろうね」のひと言が銘柄に
園生たちは、栽培だけではなく醸造や瓶詰も行います。ここでも、膨大な作業に向き合う根気が要求されます。
たとえば、シャンパンに代表される「瓶内二次発酵法」で造るスパークリングワインの場合、発酵の過程で溜まるオリを瓶の口へ集めるため、毎日45度ずつボトルを回転させる「ルミュアージュ(動瓶)」と呼ばれる作業をします。毎日朝と晩の2回ずつ、長いときは100日間回し続けます。
瓶詰めは、1時間に2000本のペースで行います。園生の集中力とモチベーションは高く、作業後は「またやろうね」と言って帰っていく人もいます。この園生の言葉から、「MATAYARONNE(マタヤローネ)」という銘柄のデザートワインが生まれました。
ココ・ファームのワイン造りの骨子は、川田園長の「消えてなくなるものに渾身の力を注げ」という言葉に集約されます。ワイン造りを左右するのは、ブドウと微生物の力が大部分です。人智が及ばない領域の存在を理解しつつ、だからこそ人間に出来ることは労を惜しまず精一杯やる。ブドウの個性に従って環境を整え、出来るだけシンプルな工程でワインを造ることを大切にしています。人間の成長を目的にした“贅沢”な時間の掛け方が、世界に通用する日本ワインを造る秘訣でした。
後編では、ワイン造りの中心を担う醸造部長へのインタビューと、2日間で1万4千人が集まる、ココ・ファームの人気イベントを紹介します。
“ブドウがなりたいワイン”を造る、障害者のワイナリー 美味しさの秘密とは【後編】
ココ・ファーム・ワイナリー
〒326-0061 栃木県足利市田島町611
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