2002年生まれの里山プロデューサー
田園の生き物研究にハマった少年
このプロジェクトを考案し、実際に活動を推進しているのは、愛知県岡崎市在住の野田崇達(のだそうたつ)さんです。野田さんは2002年生まれ。本記事取材時は弱冠16歳の高校1年生。
同市内の田園地帯で育った彼は幼い頃から自然に親しみ、特にそこに生息する昆虫などの生物に深い興味を示しました。
自由研究での成果は、毎年、市の研究作品展に出展され、岡崎市小中学校理科作品展で「木村資生科学賞」(岡崎市出身の生物学者で、集団遺伝学によりアジアで唯一ダーウィン賞を受けた木村資生博士にちなんで創設)、「未来の科学者賞」などを受賞。将来はファーブルのような昆虫学者になるのを夢見ていたと言います。
伝統野菜を開発した寺院に生まれ育つ
また、彼の家は寺院で、室町時代に住職が地域の伝統野菜「法性寺(ほっしょうじ)ネギ」を開発したという言い伝えがあります。そうした所縁もあって自然に付近の農家と親しくなり、農業に関する体験・知識も豊富に得られたそうです。もちろん自身でも伝統野菜に関する研究を行っています。
失われた原風景
そんな彼に衝撃を与えたのが中学受験直後の出来事でした。1年弱、外での遊びを控えた末に合格を果たし、晴れていつも虫を採っていた田んぼに出かけたところ、そこにはもう何もありませんでした。その農家が高齢のために農地の維持を諦め、手放してしまったからです。 利便性を追って用水路も地中に埋められていました。
永遠に失われた原風景。アイデンティティの一部を奪われたに等しいショックを受けた野田さんはその後、自らの手で自然を守らなくてはと思い、地域のボランティア活動などにも積極的に参加するようになりました。