産地・竹内牧場は大自然のど真ん中
200頭以上の秋川牛を飼育
出荷直前の体重は平均800キロ。真っ黒な牛の巨体は近くで見るとすごい迫力です。
秋川牛を飼育している竹内牧場では、生後10ヶ月の子牛を岩手県水稲地区より買い付けし、20ヶ月の間、ここで肥育します。
同牧場には常に200頭以上が飼育されており、1ヶ月に一度、ほぼ10頭ずつ市場に出荷。入れ替わりに子牛を10頭買い入れるというサイクルで秋川牛を生産しています。
秋川渓谷の清流
竹内牧場のロケーションは、大都市TOKYOのイメージとは対照的な、美しい山並みを望む緑豊かな「とうきょう」。あきる野市の菅生(すがお)という地域で、旧・秋川市に属していました。
秋川と言えば、多摩川の源流・奥多摩湖へつながる国立公園、秋川渓谷がよく知られており、その清流にはイワナ、ヤマメ、ニジマスなどの魚や、あきる野市のイメージキャラクターにもなっているトウキョウサンショウウオなど希少な生き物が生息しています。
よみがえった自然環境
高度経済成長時代以降、環境が悪化した時期もありましたが、20年ほど前から下水道整備が進み、生活排水による川の汚染を防げるようになりました。そこから自然環境は劇的によみがえり、水も空気も昔ながらの清浄さを取り戻してきています。
肉牛牧場の歴史、現実との格闘
サラリーマンから牧場主へ転職
「東京産と聞くと意外に思う人が多いけど、ここは牛を育てる環境として松阪牛や米沢牛などの生産地と変わらない。いつも飲ませている秋川渓谷近くの湧き水が良い肉を作るんです」。
そう話すのは同牧場の竹内孝英(たけうちたかひで)さんです。
以前は乳製品メーカーに勤めていましたが、会社から希望しない部署への転属を命じられたのを機に2000年に転職。父親とともに牛の飼育に従事し、2代目牧場主になりました。
収支はトントン。利益は堆肥から
父親が本気で牛に取り組む姿を見て育ち、前職の時も週末のたびに手伝っていたので転職に抵抗はなかったと語る竹内さん。サラリーマン時代に比べて時間に追われるストレス・人間関係のストレスがないのを痛感すると言います。
しかしビジネスとしては「会社勤めほど儲からない」。
子牛代や飼料費の他、育てる手間暇と労力を含めると、いくら高く売れても収支はトントン。利益が出るのは牛糞からコストゼロで作れる堆肥です。東京は生産緑地が多いため需要が高く、竹内牧場では大量の堆肥を供給しています。
酪農牧場から肉牛牧場へ
竹内さんがまだ子供だった40年ほど前、父親が牧場を始めた時は、酪農家として乳牛を飼っていました。そこで乳を出さないオスを肉用に出荷するうち、肉牛専用の牧場にシフト。やがて岩手から子牛を仕入れて東京都産黒毛和牛を出荷するようになりました。
以前は去勢牛(オス)も扱っていましたが、現在はより繊細で軟らかい肉を得られるメスだけを仕入れて育てています。
ブランド「秋川牛」の誕生
松村精肉店の提案に応じて銘柄牛に
竹内さんが牧場の仕事に専念し始めた頃、旧秋川市の農産物生産直売所「秋川ファーマーズセンター」で地域特産の牛肉、通称「秋川牛」として販売したのがブランド化のきっかけとなりました。
その後、2008年になって地域の特産物の普及に力を入れる松村精肉店から、秋川牛を正式にブランディングしてはどうかという提案を受け、東京食肉市場で銘柄牛として登録を行いました。
高品質+地産地消の鮮度が魅力
現在、秋川牛として認定され流通する肉は、この竹内牧場から出荷された牛で、枝肉(半身の肉)にしたときの評価がA4以上(A5が最高ランク)と定義づけられています。
赤身に白いサシ(脂肪)が最適なバランスで入った、見た目にも美しい霜降りの肉です。
高い品質に加え、大消費圏の東京において秋川牛は地産地消の農産物。他の牛肉より新鮮な状態で供給できるのも大きな魅力と言えるでしょう。
東京唯一のブランド牛をつくる誇りと愛情
東京で希少なブランド牛を生産する仕事。「儲からない」と話したものの、竹内さんの仕事に対する誇りと愛情は何物にも代えられません。
牧場経営をビジネスとして今以上に発展させるカギは、規模の拡大。もっと飼育数を増やし、出荷量・流通量を増やして、より多くの人たちに秋川牛を味わってもらえればと希望を抱きつつ、竹内さんは牛の世話と堆肥の配送に多忙な日々を送っています。
未来の後継者へ
よみがえった自然豊かな地で肉用和牛を育て、秋川牛というブランドを自ら育て上げる。そこには大きな可能性があり、もし東京で畜産に携わりたいと希望する人にとっては大きなチャンスになるかもしれません。
最後に牧場主からはこんなメッセージも届けられました。
「本気で取り組みたい、チャレンジしたいという人がいれば大歓迎ですよ。自分の後継者になってくれる人がいればうれしいですね」。