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「豌豆小唄」の江戸東京野菜 川口エンドウが再び八王子の特産に

「豌豆小唄」の江戸東京野菜 川口エンドウが再び八王子の特産に

味や食感とともに、江戸から昭和半ばまでの時代のストーリーを楽しめる江戸東京野菜。八王子市の初夏の味・川口エンドウも「豌豆小唄(えんどうこうた)」が作られ歌われるほど人気になったという歴史が有ります。それを踏まえて、再び八王子の特産品としてブランド化が進められています。

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初夏の八王子の味覚

川口エンドウ

どんなエンドウなのか

川口エンドウは48種類(2018年5月現在)の江戸東京野菜のうち、3種類ある八王子市特産品の一つで、キヌサヤエンドウの在来品種です。
名前は八王子市川口地区で作られていたことに由来します。この地域は1917(大正6)年、八王子が市制を敷くまでは南多摩郡川口村とされており、現在の八王子市西北部にある楢原町、犬目町、川口町、上川町、美山町になります。

赤紫の花が旬のサイン

10月下旬に種をまき、ツルが出始めるのが3月。そして季節は初夏を迎え、赤紫色の美しい花が咲いてさやが十分育ったら収穫です。川口エンドウの旬は5月上旬から5月下旬の2~3週間ですが、50年以上前、盛んに作られていた時期は今より1カ月ほど旬が遅く、梅雨の時期に収穫が行なわれていたそうです。温暖化が進んで気温の上昇が早くなり、収穫時期が前倒しになったと考えられます。

収穫サポート隊の活躍

2018年は9軒ある生産者の畑で収穫しましたが、収穫はたいへん手間ひまの掛かる作業で、ベテランでも1時間1キロ程度が限界。実はこの収穫の大変さ(手間が掛かる割に利益が少ないこと)が、生産者が減った大きな要因です。
そのため、普及活動に携わる多摩・八王子江戸東京野菜研究会では、SNSを使ってボランティアのサポート隊を結成。生産者たちの畑を回って収穫作業を手伝いました。
サポーターの人たちは収穫後の袋詰め作業も手伝うなど、現場の体験を通して一つの作物を守っていくことの大変さと難しさを感じると共に、この野菜に深い愛着を抱いたと言います。

マメの食感を活かしたレシピ開発

川口エンドウ

川口エンドウの肉巻き揚げ/サラダ/ゼリー寄せ

さやと豆とのバランス感

川口エンドウは、さやが軟らかい割に中の豆がしっかりしており、甘味もわりと強く感じられます。収穫後期になると味・食感が少し変化し、さやが硬くなって中の豆が大きくなり、グリーンピースのように感じられます。そんな外側のさやと内側の豆とのバランス感がキヌサヤやスナックエンドウとは違った、独特の食べごたえになります。

焼きエンドウから和菓子まで

多摩・八王子江戸東京野菜研究会や、八王子市内の飲食店ではこうした特徴を生かして川口エンドウを主役にしたさまざまな料理を考案しています。
バーナーで炙り、塩や醤油をつけてそのまま食べる「焼き川口エンドウ」、さやごと入れて炊き込んだ「川口エンドウご飯」、天ぷらや豚肉を巻いて揚げた「川口エンドウの肉巻き揚げ」、また、グリーンピースのようにさやから出した豆を寒天ゼリーで包んだ新しい和菓子(ゼリー寄せ)も試作されています。

高度経済成長時代のエンドウ増産物語

川口エンドウ

2018年5月の収穫風景

豌豆小唄とは

♪枝に咲く花紫に 陰に実った絹さやの 娘の肌よりやわらかい 豌豆育てて十数年
長い努力の積み上げと 共同出荷の品の良さ 心とこころの団結が さやに実った宝なの
若い夫婦の設計は 一姫二太郎三制限 だけど川口豌豆は 増反しようと決めました

生産への意気込みが伝わってくる、そして高度経済成長時代の生活の様子や考え方が垣間見える、お座敷小唄調の「豌豆小唄」は、1967年の八王子市川口農協の報告書の中に載っているものです。

川口農協の大増産計画

川口エンドウ

2018年5月の収穫風景

この報告書は同農協が1977年に出した「農協30年の歩み」という冊子(表紙は川口エンドウの花のイラスト)に掲載されている貴重な資料です。ここには「1955(昭和30)年6月の理事会において川口地区で従来から生産されている川口エンドウを、生産から販売までの一貫した生産指導を行って組合員と組合との結合を図った」と記録されています。

現在の約1900万円相当を3週間で生産

同農協が市の特産品にしようとしていたこの時期、1958(昭和33)年度から5年間の売上高は非常に高く、1963(昭和38)年度には最高の460万円を記録。総務省統計局の「消費者物価指数」によると昭和40年の物価は平成29年の約4.1倍になるので、この数字は現在の約1900万円に相当します。
2~3週間の収穫期間での売上なので、市内のほとんどの農家が作っていたと考えられます。

幻と消えた特産化計画

ところがこの後、生産量は一気に落ち込んでしまいました。原因は昭和40年代に入ると宅地化が進み農地が急減したこと、さらにマメ科の作物は連作障害が起きやすく、同じ場所で作ると生育が悪くなることが挙げられます。
昭和45年頃の地元中学校の冊子には「もう栽培が行われなくなった」という記事が残っており、特産品にしようとした計画は10年足らずでもろくもついえてしまったことがわかります。

新しい方法で普及を目指す

川口エンドウがJA東京中央会から江戸東京野菜に認定されたのが2014年9月。以来、普及に努める多摩・八王子江戸東京野菜研究会では、こうした過去の教訓を踏まえて自らの生産活動と、他の生産者のサポートを両立。決して無理に収穫量を増やさず、希少価値を保って、流通ルートの構築、販売方法に工夫を凝らし、ブランド品として育てようとしています。

初夏の食卓を彩る川口エンドウ

江戸東京野菜の価値は、過去の希少品種を再現している単なる復活ではなく、歴史背景などのストーリーを含む「新しい食のスタイル」に有ります。八王子から普及を始めた川口エンドウですが、初夏を彩り、生活をより豊かにする野菜の一つとして、食卓で楽しんでみてはいかがでしょうか。

 
多摩・八王子江戸東京野菜研究会

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