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オーガニックコットンを福島から! 地域課題を解決する農業で復興

オーガニックコットンを福島から! 地域課題を解決する農業で復興

国内で流通する綿花のうち、国産の割合は0%台だという現状を知っていますか。そんな中、東日本大震災後に福島県でオーガニックコットンを栽培するプロジェクトが始まり、糸にして製品化するという一連の事業に取り組んでいます。復興のためだけではなく、地域に綿花作りを根付かせたいという目標を持ち、耕作放棄地を利用して日本古来の和綿作りを行っています。今回は、「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」に取り組む吉田恵美子さんにお話を伺いました。

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吉田恵美子(よしだ・えみこ)さん プロフィール
福島県いわき市で1990年にNPO法人「ザ・ピープル」を立ち上げ、古着リサイクル活動を中心として行い、住民主体のまちづくりを目指す。東日本大震災後は、被災者や避難者の支援活動を行う中で、耕作放棄地を利用してオーガニックコットンづくりを始め、地域の課題を解決するべく活動中。「ザ・ピープル」代表、「いわきおてんとSUN企業組合」代表理事。

厳しい国産綿花生産の現状

※画像はイメージです

そもそも綿花の自給率は、明治時代以降に国外産が輸入され始めてから下降の一途をたどり、現在国内で栽培される綿花の量はごくわずかです。2014年の統計では自給率は0%とされていて、国内で流通している綿のほとんどが外国産(※1)。またその綿のうち、化学肥料や農薬に頼らず、安全な栽培方法を取られて作られたオーガニックコットンはごく一部です。国外で栽培されている綿花の多くには農薬や化学肥料が使われていて、国際的にも問題となっています。

オーガニックコットンとは、「オーガニック農産物等の生産方法についての基準に従って2~3年以上農薬や化学肥料を使用せずに農産物を生産の実践を経て、認証機関に認められた農地で、使用する農薬や肥料の厳格な基準を守って育てられた綿花のこと(※2)」を指します。つまり、栽培する農地も手法も非常に厳格な基準をクリアしたものだけが、オーガニックコットンと呼べるのです。

しかし、日本の有機JAS認証制度では、オーガニックコットンは対象外のため、有機JASに認証してもらうことができません。(※3) そこで、国内で生産されている製品の中でも、海外のオーガニックコットンの認証制度を受けることで「オーガニックコットン」としているものもあります。しかし、海外の認証制度を受けるのは相当厳しい条件をクリアしなければならず、国内での綿花作りはハードルが高いのです。結果的に、継続して栽培する人が少ないという現状があります。

※1 綿花の生産トップ10と日本の輸入先(帝国書院 統計資料)
※2 オーガニックコットンとは(日本オーガニックコットン協会HP)
※3 有機農産物検査認証制度ハンドブックp.15(改訂第5版):農林水産省

東日本大震災後始まった「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」


国内で綿花栽培を行う取り組みのうち、2011年に起きた東日本大震災を機に、被災地の福島県で始まったオーガニックコットン栽培があります。今回は、「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」を始めたNPO法人「ザ・ピープル」代表の吉田恵美子さんに話を聞きました。

――オーガニックコットンを作り始めるまでのことを教えてください。

私は1990年からNPO法人の代表として、福島県いわき市で古着のリサイクルを中心とした活動をしてきました。2011年3月11日に東日本大震災が起きた後は、ボランティアセンターを開設して、被災者の支援を始めたんです。
その中で、原発事故による影響で農業ができなくなった人たちがいると聞き、震災前に拍車をかけて増え続ける耕作放棄地を何とかできないかという気持ちを抱き始めました。また、津波や地震の被害を受けた人たちの中でも、受けた被害の違いによって溝が生まれてしまっているのを目の当たりにして、みんなで一緒に何かしたいと思い始めたんです。

――そこで、このプロジェクトが始まったのですね、しかしなぜオーガニックコットンだったのでしょうか。

震災後、「茨城県より北の物は食べないようにしている」と直接言われたこともあり、風評被害は身をもって感じていました。食用の農作物は難しくても、口に入れない綿花なら栽培できるかもしれないと考え始めた頃に、オーガニックコットンの輸入販売を行う株式会社アバンティの渡邊智惠子(わたなべ・ちえこ)社長に出会ったんです。「難しくないから、ぜひ栽培してほしい」と言われて、オーガニックコットン作りを始める決意をしました。農薬や化学肥料を使わない栽培方法は、自分たちが今まで目指していた循環型の社会を作りたいという目標にも合致していました。

――それから、栽培が始まったんですね。

私たちはいわき市の耕作放棄地を借りて栽培を始めました。その後、3つのNPO法人で「いわきおてんとSUN企業組合」を結成して、オーガニックコットンの栽培から糸づくり、そして製品化までの一連の流れを事業化しています。原綿(綿糸の原料となる綿花)を売ることではなかなか利益が出せないので、補助金が切れても継続できるということを目指して、このような形を取りました。
現在は、原子力発電による広野町からの避難者で作られたNPO法人が栽培を担ってくれていて、2.3ヘクタールの畑で栽培しています。また、企業組合で製品化を行い、タオルやTシャツ、手ぬぐいを販売しています。これまで、パタゴニア(patagonia)やラッシュ(LUSH)などの大手ブランドが、私たちの考えに同調してくだり、今も継続的なビジネスラインをつなげてくださっています。

ふくしまオーガニックコットンプロジェクトによるブランド、「ふくしま潮目-SIOME-」の手ぬぐい

同じく「ふくしま潮目-SIOME-」のタオル

「被災地」から脱却し、農業で地域課題を解決できることを実証したい


――栽培されているのは、在来種である茶色い和綿ですが、なぜこの種なのでしょうか。

外国で栽培されている綿のほとんどが遺伝子組み換えの種だと知り、環境に合った綿花を育てたいと、在来種の『備中茶綿』という品種を信州大学から分けてもらいました。その種を有機農法で栽培することで、長年培ってきた価値を再提示できると考えたのです。
私たちが作る手ぬぐいやタオル、Tシャツは、福島県産の茶綿のオーガニックコットンが5%、アメリカ産の白綿のオーガニックコットンが95%という割合で、茶綿は決して多いとは言えません。ただ、茶綿を混ぜることによってたとえ5%だけの含有率であっても、薄茶色に色づいて、製品にする際にも自分たちの思いを乗せることができるかもしれないと思いました。

――オーガニックコットンだから苦労された点はありましたか。

病気が出ても農薬が使えないし、虫がいても手や足でつぶすことしかできないので、厳しい部分はあります。ただ、それは私たちにとってはプラスに作用すると考えています。なぜなら、運営するボランティアセンターを通して、全国から来てくれる人たちに綿花栽培を手伝ってもらっているのですが、手伝ってもらうこと自体が福島の人と触れ合うこと、現状を見てもらうことにも繋がっているからです。
これまでに合わせて23000人のボランティアの方が来てくださいました。人とのつながりのなかで、事業を広げられてきたと感じますね。

――栽培は7年目になりましたが、これからの目標はありますか。

震災体験はどんどん風化しますし、人の気持ちは変わっていきます。「被災地」だからではなく、福島県でオーガニックコットンを栽培しているという部分に価値を見出してもらい、人の気持ちをつないでいきたいですね。そして、外国産の安い綿製品を買いたたくのではなく、手をかけて作ったものを丁寧に長く使うというような暮らしについて考えてほしい。私たちは福島県で被災して、いち早く環境にダメージを与えることの大変さを思い知らされたので。だからこそ、この気づきを共有できるよう発信して、呼びかけていきたいと思っています。

――お話を聞いて、綿花作りを通して、次第に絆が生まれているように感じました。

いわき市では、原発避難者を大量に受け入れたため、震災後にコミュニティにも課題を抱えてしまっていたんです。お互いにギスギスした雰囲気があった時期もありましたが、いっしょに汗を流すことで、同じ思いで活動することができています。地域課題を解決する手法として、農業があることを私たちが身をもって実証していきたいですね。

 

ふくしまオーガニックコットンプロジェクト(いわきおてんとSUN)
写真提供:吉田恵美子さん

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