日本酒の価値とは? きき酒師の漫才師と酒蔵の7代目が酒談義【前編】
公開日:2018年07月09日
最終更新日:
きき酒師の漫才師「にほんしゅ」が、「この人は凄い!」とリスペクトする三重県の酒蔵「元坂酒造(げんさかしゅぞう)」を訪ねました。その酒蔵は文化2年の創業。しかし、その歴史にあぐらをかくことなく、末来を見据え、酒造界に革命を起こそうとしています。7代目八兵衛こと元坂新平(げんさか・しんぺい)さんとお酒を酌み交わしての日本酒談義。【前編】では元坂酒造と新平さんの魅力、そして日本酒業界の課題について語ります。
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にほんしゅ 北井一彰(写真右)とあさやん(写真中央)のコンビ。
きき酒師の漫才師。全国の日本酒にまつわるイベントでの酒漫才披露や司会、セミナー講師で活躍。全国に日本酒の良さを伝えるため日々奮闘している。
元坂新平(げんさか・しんぺい)(写真左)
三重県の酒蔵「元坂酒造」7代目。専務取締役。地元で育てた米で作るお酒にこだわり、酒造界に革命を起こそうとしている。
酒蔵を継ぐと決めた人には使命がある
僕らと新平さんとの最初の出会いは、大阪で開催された日本酒のイベントでしたよね。
あさやん
僕たちがまだ、「日本酒のきき酒師の漫才師」の活動をやっていなかったころ。
北井
元坂
そうそう。僕は東京から実家の酒蔵に帰ってきて1年目か2年目のころ。おたがい、日本酒のことはあまり知らない状態でしたよね。
僕たちが元坂酒造さんに興味を持ったのは、造っているお酒「酒屋八兵衛」がおいしい、というのはもちろんなんだけど、新平さんに魅力があったからなんです。地元を愛して、現在だけでなく未来も見据えて活動している。そこに感動した。
あさやん
酒蔵に生まれた人って、特に「家を継ぐ」と決めた人には使命みたいなものがあると思っているんだけど、新平さんは「酒蔵として今、何をすべきか」を考えている。僕らはそこに共感できたし、同世代なので理解もできたね。
北井
ぶれない芯の強さとか、元坂酒造のある三重県多気郡大台町(たきぐんおおだいちょう)で造るお酒は「こんなお酒だ!」というアイデンティティーの高さがいいんだよね。
あさやん
元坂
料理に合うお酒を見つける
北井
元坂
僕は晩酌に合う日本酒を造りたい、と思っています。ビールは常に冷蔵庫に入っていて、手に取りやすいお酒です。日本酒が同じポジションを狙うと価格競争になってしまう。だから、高い年齢層の消費者にアピールして、夫婦で飲んでもらうことを考えています。
あさやん
人と人をつなぐ力が日本酒の方が強いのかもしれませんね。
北井
元坂
日本酒は家庭で出るような料理と親和性が高いんです。刺身とか煮魚、焼き魚があれば日本酒は合う。だから若い人ではなくナイスミドルに訴求するようにする。
確かに、日本の家庭の食卓に「酒屋八兵衛」が置いてある、というのは目に浮かびます。
あさやん
北井
にほんしゅの漫才をテレビで見ながら酒屋八兵衛を飲んでくれるようになるのが目標です(笑)
あさやん
元坂
北井
元坂
お酒に合う料理を見つけるのではなくて、料理に合うお酒を見つけることです。お酒ありきではなくて料理ありきです。
北井
元坂
おいしいビールを飲もうと思ったら、1時間くらい走って、コンビニで買って飲む缶ビールが一番、おいしい。日本酒もおいしく飲むためにはやはり工夫が大切。それが、料理にはこのお酒が合う、というのを見つけることなんです。お酒は料理を引き立たせる力を持っています。
北井
僕もこの後、勉強しに居酒屋さんに行くしかないね。イヤイヤやけど(笑)
あさやん
北井
DJが7代目八兵衛を襲名
北井
元坂
あさやん
元坂
文化2年、1805年の創業です。だから213年続いています。
初代が元坂八兵衛(げんさか・はちべえ)。当時は武士でないと名字を名乗れなかったのでただの八兵衛ですが、そこから4代続いて八兵衛を世襲しました。
長男はみんな、八兵衛を襲名して家を継いでいたんですね。
北井
元坂
でも、5代目の八兵衛が出兵して戦死してしまうんです。次男も戦死したため、跡取りがいなくなって、僕の祖父母が養子養女で家を継いで父が生まれ、僕が生まれました。
あさやん
元坂
いや、ぜんぜんその気はなくて、東京でDJをやっていました(笑)
北井
元坂
それもありますが、三重県を出たかったんです。子どものころ、いたずらをすると「酒蔵の子が」と言われる。ヘンに有名というか、背負いたくもない看板を背負わされている感じがあったので、そこから逃げたかったんです。
自分は逃げているだけだと気づいた
実家に帰らなあかん、と気づいたきっかけはあったんですか?
あさやん
元坂
音楽をやっている人たちは音楽に対して真剣でした。なのに僕はただ音楽に逃避しているだけだと気づいたからです。このままでは先祖に対して恥ずかしい、そう思って帰ってきました。
北井
元坂
それは言われませんでしたね。逆に簡単には帰らせてもらえませんでした。帰るということは覚悟を決めて家業を継ぐ、ということ。それに父は息子を自由に育てたかったみたいで、口うるさく言わずに「自分で生きてみろ」という感じでした。なのに僕が「帰る」と言ったものだから逆にがっかりしたというか(笑)
あさやん
元坂
三重県ならではの米
北井
元坂
父が1987年くらいから作付けを始めています。品種は「伊勢錦」というのですが、これは三重県原産の水稲で、一度、絶滅した品種です。でも、記録を調べると日本における水稲品種の初期のものらしいんです。
父は酒造をするなかで、自社でしか造れない製品、オリジナリティを目指し、原料米に着目しました。三重県ならではの品種はないかと探しているなかで発見したものです。
そこから「伊勢錦」というお酒が生まれるわけですね。
あさやん
元坂
その「酒屋八兵衛 純米大吟醸酒 伊勢錦」で、平成18(2006)年度全国新酒鑑評会において金賞を受賞しました。それは僕が20歳くらいのとき。まだ、東京にいたころです。
北井
元坂
そうです。そのころ、僕は東京で友達とルームシェアをしていました。そこへ父から金賞を取った「伊勢錦」が送られてきて、泣いた思い出があります。
北井
元坂
僕と「伊勢錦」は同じ親に育てられている。なのに結果を出したのは「伊勢錦」。悔しかった感覚は今でも覚えています。
あさやん
日本酒の価値
新平さんが後を継ぐことになったときに問題点みたいなものはありましたか?
北井
元坂
いまも日々、現場で感じていることですが、日本酒の価値をどう考えるか、ということです。日本酒を高く売ろうとすると精米歩合を上げるしかない。吟醸酒や大吟醸酒にすれば値段は高くできます。でも、これは原材料のコストがかかっているからであって、付加価値ではありません。
高い卵を買ってきて卵焼きを作ったら、高く売らないと赤字になる、というだけの話ですからね。
北井
元坂
機械を導入すると酒質は上がるかもしれないけれど、機械を使うことが付加価値になるわけではありません。
あさやん
元坂
すると、付加価値を上げるためには、原料米しかないと思うんです。とはいえ良い原料米は値段が高い。でも、安い原料米であっても酒造りに合っていれば、そこにしかない酒蔵の味としてクリエイトできれば、付加価値となるはずです。
北井
元坂
うちはこういう酒を造りたくて、そのためにはこういう米を使う。この米はこういう土地の人が造っている。そうしてできた酒にいくら払えますか? という話を、酒蔵は消費者に向けてもっとしないといけないと思います。それがまったくできていないのが日本酒業界の現状です。
土地の魅力
元坂酒造のある三重県多気郡大台町の土地の魅力はなんですか?
あさやん
元坂
三重県の南部は日本で降水量の多い地帯です。日本酒を造る上で水に恵まれているのはとてもありがたいことです。
あさやん
元坂
うちの仕込み水は宮川の水系を使っています。「宮川」と聞くと「川」を思い浮かべると思いますが、「地下水」も含めて「川」なんです。こんな山深い田舎で酒造りをしている酒蔵は実はそれほど多くありません。
北井
元坂
うちの周りは田んぼだらけです。大台町には、ワインでいうとブルゴーニュのワイン畑に囲まれたワイナリーのような魅力があると思っています。
なるほど、田んぼに囲まれた酒蔵も乙なもんですねえ。ぜひ田んぼの方も見せてください!
あさやん
日本酒業界の課題を痛感している元坂さん。後編では、課題に向き合う元坂さんが、未来のために取り組む酒米の作り方について、こだわりの田んぼからお届けします。
後編に続く