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インフラ整備も行った僧・行基~この人、この県!農業偉人伝(大阪編)

インフラ整備も行った僧・行基~この人、この県!農業偉人伝(大阪編)

最終更新日:2018年08月01日

行基(ぎょうき)といえば、仏教の布教や、東大寺の大仏建立のために力を注いだ人物として知られています。しかし、一方で農業をはじめとした社会発展のため、農業用のため池や橋、道路などの「インフラ」整備を指導した人でもありました。
農業の発展に携わった偉人たちの功績やエピソードを地域ごとに紹介するシリーズ。今回は、大阪府を中心に、人々を助けるため、農業やインフラの発展に大きな功績を残した僧「行基」を紹介します。

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奈良の大仏を建立した「大僧正」

行基が造営に携わった奈良の大仏

行基は天智7(668)年に、和泉国大鳥郡蜂田郷(現在の大阪府堺市西区家原寺町の辺り)で生まれています。15歳の時に出家し、修行を積んだ後、各地で布教活動を行いました。

貧しい人々を助けるため、布教にとどまらず、土木工事などの社会事業も行っていた行基。当初は、民衆への布教活動を禁止していた朝廷から弾圧を受けましたが、やがてその活動は認められるようになり、聖武天皇から東大寺の大仏造営に必要な寄付や労働力を集めるための協力を求められるまでになります。そして、天平17(745)年には日本で最初の「大僧正」(日本の仏教界における最上位)を授けられました。

残念ながら大仏の完成を見届けることができず、天平21(749)年にこの世を去った行基ですが、その功績から、聖武天皇らと並び、東大寺の「四聖(ししょう)」として今も人々から尊敬されています。

農業にも貢献した僧

近鉄奈良駅前にある行基の像

出家後の行基が師事した道昭(どうしょう)は、遣唐使として唐に渡った経験を持つ僧でした。道昭は唐で、「西遊記」の三蔵法師のモデルともいわれる「三蔵法師玄奘(げんじょう)」から教えを学び、人の役に立つためには仏教はもちろん土木事業なども必要だという考えを持ち、その知識を身に付けていました。

そうした道昭の教えを受け、行基は、役務に向かうための行路で倒れる人や飢えで苦しんでいる人を助ける休養・宿泊施設「布施屋」だけではなく、農業用のため池やかんがい施設まで造り、やがては道路や橋の架設までも手掛けるようになっていきます。このように、一心に人々を助けようと努力を重ねる行基を民衆は支持しました。

また当時、新しく開墾した土地は三世代の私有を許すという「三世一身の法」が出されたことがきっかけとなり、人々の開墾熱が高まっていたことも、行基の活動を後押ししたといえるでしょう。

今でも地域の役に立つため池

大阪府の狭山池

行基が携わった施設は数多く、今でも地域の役に立ち続けているものがあります。例えば、行基が改修を手掛けた大阪府狭山市の狭山池は、日本最古のダム形式のため池として、現在も狭山市、松原市、堺市など多くの地域へかんがい用水を供給しています(※1)。また、大阪府岸和田市の久米田池も、大阪府内最大の農業用水・養魚池として人々の暮らしを支えています(※2)。このような施設が今なお人々の生活を潤していることから、彼がいかに素晴らしい活動を行っていたかがわかるでしょう。

大阪市東住吉区に阿麻美許曽(あまみこそ)神社という神社があります。こちらには「行基菩薩安住之地」と刻まれた石碑があります。また、神社の付近にある大和川には「行基大橋」といわれる橋が架かっており、このあたりに行基が住んでいたのではないかとの言い伝えもあります。

これらの施設を一度訪れて、人々を救おうとした行基の情熱を感じてみてはいかがでしょうか。

※1 狭山池築造1400年記念公式サイト
※2 久米田池:岸和田市

参考
大阪府 農と水を支えた人 行基:農林水産省
第1節 社会インフラの歴史とその役割「コラム 行基による公共事業」:国土交通省
せんとくんマガジン vol.3「奈良をつくった偉人 行基さん」:奈良県
阿麻美許曽神社と渡来人:松原市

上記の情報は2018年7月12日現在のものです。

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