冬の長い北海道 米作はタイムリミットとの戦い
黒澤さんの農場「クロちゃん農場」の田んぼは、1912年(明治45年)に中山間地域を開墾した土地。1916年(大正5年)から米作を始め、黒澤さんは5代目に当たります。小規模の棚田を中心にした、約10haの棚田を受け継ぎ、「ゆめぴりか」と「ななつぼし」の2品種を作っています。
黒澤さんは、「お米づくりの秘訣は、お米を実らせる稲の健康を良好にサポートすること」と話します。「健康な稲であれば、台風が来ても倒伏しないし、きっと美味しいお米を実らせることができる。最も心配される、いもち病(※減収を引き起こす大病)から守ることができるため、農薬に頼りきらない安心安全なお米が実ります」。
節減対象農薬と化学肥料由来の窒素成分量を、慣行栽培と比べて50%以上削減した「特別栽培」で、「子どもたちに安心して笑顔を食べて欲しい」という願いを込めて作っています。
北海道の冬は長く、雪解けは4月上旬。降雪量の少ない産地に比べて、田植えに充てられる期間が短いというハンディキャップがあります。田植えが遅れてしまうと、生育に必要な積算温度が取れず減収に繋がります。だからといって、焦って寒いうちや、田んぼの土がしっかり乾く前に植えてしまうと、稲が黄色に変色するなど異常に繋がります。適切なタイミングでの手早い作業が、作り手に要求されるのです。
「北海道の米作は、運任せなところもあります。だからこそ、基本を徹底して作業を積み重ねることが大事」と、黒澤さんは切々と語ります。
棚田のメリットを活かし、質を追求
さらに黒澤さんの圃場は、機械で一気に作業できる広い一枚田に比べて、作業労力が余計に必要な棚田。近年は両親が体調を崩し、知人の手を借りながらも、ほぼ黒澤さん一人で作業を行っています。農繁期には朝5時から夜9時まで休みなく働くなどハードな生活ですが、黒澤さんは棚田のメリットをこう明言します。
「田んぼの隅々まで日光が行き届き、圃場ごとに細かい管理ができます。何より、棚田米は珍しいので差別化になる」。田んぼごとに水量、苗間の間隔などをきめ細かく設定し、手厚い管理により高品質の米を作ることが出来ます。
実は、森林によって綺麗な空気が生まれる中山間地域の田んぼで育つお米は、知る人ぞ知る美味しいものだとされています。黒澤さんは自らの農場の特徴を活かし、「量より質」の米作に集中します。
「オーバースペック」なまでの、徹底したこだわり
家族経営の米農家に生まれ、地元の農業高校を経て、山形大学農学部卒業後に就農。「全国の市場に食い込むために、うちも勝負しないと」と、精米前に品質の悪い米粒やガラスなどの異物も取り除く「色彩選別機」を始め、乾燥機や籾摺り機なども一新しました。さらに、害虫やネズミからの防備と、最も良い状態で出荷するために米専用の冷蔵庫で保管。注文が入ってから精米を行います。
「おそらくオーバースペック。でも、美味しいお米のためにできることを全力でやる」。清掃や整備を徹底して農機具を長く使ったり、育苗ハウスは父の代から数えて40年以上使ったものを受け継いだりと、メリハリをつけた設備投資を信条とします。
黒澤さんのこだわりは、収穫後の行程にも強く反映されています。「お米本来の香りや味を引き出すためには、稲刈り後が重要」と語ります。「市販されている米の多くは、短時間で乾燥するため、本来の香りやツヤが失われています。クロちゃん農場では、低温の温風でゆっくりと時間を掛けて乾燥させます」と、黒澤さんは言います。
黒澤さんの知識や米作りへの真摯な姿勢が買われ、小売り大手の首都圏店舗で「クロちゃん農場」の米として、黒澤さんの米が並ぶ機会もありました。「20代というポテンシャルを買ってもらったのでは」と、黒澤さんは振り返ります。
「米作は覚えることが多く、なかなか気軽に他人に手伝いを頼むわけにはいかない。正直人手不足」と漏らしますが、アジア共通のGAP(農業生産工程管理)のプラットフォームである「ASIA GAP」の取得を目指すなど、攻めの姿勢は留まることを知りません。「同年代のライバルはまだ少ない。20代が作っている米というインパクトはあるし、頑張れば頑張るほど結果が出る」と、前を向きます。
自らの強みを研ぎ澄まし、「攻めの農業」を追求する―。その背中には言い知れぬ気迫が宿っていました。
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【公式】栗沢町棚田米 クロちゃん農場
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