戦後に制定された「勤労感謝の日」
「勤労感謝の日」とは、「勤労をたっとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」日。すべての人が労働に励み、それによって得られた成果を尊ぶという趣旨で、1948(昭和23)年に制定されました。
しかしこの「勤労感謝の日」、以前は「新嘗祭(にいなめさい)」(にいなめまつり、しんじょうさいとも呼ばれます)という名前の祝祭日であったことをご存じでしょうか。新嘗祭とは、天皇が行う収穫祭のことをいいます。しかし、農作物の収穫はすべての人々の生活に深く関わる重要な事柄。皇室行事にとどまらず、次第に国内の神社や一般人にも広く普及していきました。のちにこの日は「勤労感謝の日」となりましたが、今も各地で農業祭が行われているのはこのためなのです。
「新嘗祭」はどんな収穫祭だった?
新嘗祭とは、その年に収穫した新穀を天皇が天地の神々にお供えし、恩恵に感謝した後、天皇自らも食して翌年の豊作を祈る祭典です。その歴史は古く、一説によれば、始まりは1200年も前の飛鳥時代だとか。その後一時中断したものの、元禄時代に復活したといわれています。
新嘗祭の「新」の字は新穀を、「嘗」の字は“神に食物を供えること” “神と共に食すること”を意味します。かつて新嘗祭は11月の第2の「卯の日」を中心としていましたが、1873(明治6)年の太陽暦採用以降は、23日に固定されました。「勤労感謝の日」に名を変えた現在も新嘗祭の伝統は継承されており、毎年11月23日には天皇陛下自らが、全国から献納されたり皇居で収穫したりした新米と粟(あわ)の新穀、新米からつくった酒などを神前に供え、食します。
ちなみに、天皇が即位した最初の年の新嘗祭は「大嘗祭(だいじょうさい)」と呼ばれ、一代に一度限りの大祭として古くから盛大にとり行われてきました。
現在も続く、“最重要”とされる伝統の日
2013(平成25)年には、天皇陛下が80歳の傘寿を迎えられたことを記念し、新嘗祭の様子が初めて映像でも公開されました。古来からの伝統にのっとり、新嘗祭でのみ使われる純白の装束「御祭服(ごさいふく)」をまとった天皇陛下が、かがり火で足元を照らされて皇居の神嘉殿(しんかでん)に入室する様は、厳かな“神事”そのものといった趣。今日でもこの新嘗祭は、宮中恒例祭典の中で「最も重要なもの」(宮内庁ホームページより)とされています。
また、宮中だけでなく、民間にもその伝承を色濃く残す新嘗祭。天皇が宮中で新嘗祭を行うにあたり、皇室に古くから関わりのある「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」をまつる伊勢神宮には、勅使が派遣され奉幣の儀が行われます。
市民に広く親しまれている祭典もあります。代表的なものの一つが、大阪府の「堺市農業祭」です。毎年11月23日に開催されるこの農業祭は、市内の農業者によって生産された新鮮な野菜や果物を即売する「とれとれ市」をはじめ、「農産物品評会」「花市」「ふるさと特産市」などの催しが行われ、たくさんの人でにぎわいます。
勤労感謝の日といえば、働く人に感謝する日……と小さなころに学校で教わり、両親に花束などを贈った経験を持つ人もいるのではないでしょうか。今後は「五穀豊穣(ほうじょう)」を祈る日でもあるとの認識を新たに、農作物や農業に従事する人々に感謝を持つ日として過ごしたいですね。
参考
「新版 日本の年中行事」
著者:弓削悟(編著)
出版:金園社
「みんなが知りたい!『四季の行事』がわかる本」
著者:ニコ・ワークス
出版:メイツ出版
「家族で楽しむ日本の行事としきたり」
著者:石田繁美(編)
出版:ポプラ社
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