400年続く農のこころ、受け継ぐ決意
栃木県南部、渡良瀬川支流の巴波川と思川に挟まれた栃木市藤岡町新波地区に田中家はあります。400年続く農家の17代目として、10ヘクタールで米を作りうち2ヘクタール分を有機栽培のNIPPA米としてブランド化しています。
4兄弟の末っ子の田中さんは、2010年からこの地で米作りを始めるまで、東京でカメラマンをしていました。
「写真家としてオリジナルの表現に悩んだ時期があって、生まれた環境に立ち戻ってみようと実家の撮影と取材をするようになったんです」。そのなかで、それまで父・収(おさむ)さんが作っていると思っていた米が、実は2年ほど前から人に作ってもらっていることを知りました。収さんの年齢もあり、手が回らなくなっていたといいます。
「うちの米だと思って食べていたのでショックでした。また、このままいくと農業は誰も継がないし、家が途絶えてしまう。自分のアイデンティティが失われてしまうような感覚もありました」。
田中家は母屋の周りに作業小屋、倉庫を配置した典型的な農家の造りで、敷地内には、稲荷神などをまつる祠が点在しています。「うちは一年の米作りのサイクルで様々な習わしがあります。例えば、タネをまく前にお参りをして、収穫が終わったらお供えをする。家の造りだけでなく精神性のような部分も農を中心に成り立っているのだと気づきました。もし米作りを手放してしまったら、屋敷だけ残っても400年にわたって受け継がれてきた大切なものが失われてしまうと思い、僕が米作りをやると心を決めました」。
カメラマンとしての経験、農業にいきる
県内の農家で有機農法を学んだあと、父に田んぼを一枚借りて米作りを開始。NIPPA米と地域の名前をつけ、ブランド化したものの、当初は東日本大震災などの影響もあり販売に大苦戦したそうです。友人・知人を通して直接販売しようと考えていましたが、「甘かった」といいます。
「最初はお付き合いで買ってくれても続かない。今から考えれば、そりゃそうですよ、有機っていうだけでは、『食べ続けてくれる価値』がないとわかりました。もちろん味に自信はありましたけど、美味しいだけなら魚沼産のコシヒカリを食べますよ。それがなぜうちのお米を再び手に取ってもらえるかを考えたときに、『NIPPA米を食べている自分』にお客さん自身が満足してもらえるようにしないと手に取ってくれないとわかりました」。
フェイスブック、ツイッターといったSNSに力を入れ、田んぼの様子や日々の農作業の一コマ、考えていることなどを包み隠さずに発信するようにしました。
「はじめて一年ほどは一つの投稿に10件、20件の反応があればいいほうでした。それが50件、100件と反応が増えていって、それくらいからある程度注文も安定してきました」。
現在では、田んぼでお客さんと一緒にNIPPA米を味わうイベントを開催するなど、新波の環境を消費者に肌で感じてもらい、土地と人を結ぶ活動にも取り組んでいます。
池井戸さんとの出会いは撮影で
池井戸さんとの出会いは2014年、広告の撮影現場だったといいます。カメラマンとしても活動している田中さんは、新聞広告のために全国各地で池井戸さんを撮影するという仕事のひとつとして、北海道大学で農用車両のロボット化を研究する「ビークルロボティクス研究室」の野口伸教授への取材に同行しました。
「撮影に集中しなくちゃいけないんですが、話を聞いていたら面白くて。『実は僕もお米を作ってまして』と、教授にいろいろと話を聞かせてもらいました」。
2015年9月の関東・東北豪雨で田んぼが水没した際には池井戸さんが心配して連絡をくれるなど仕事が終わっても交流が続き、その後1年ほどして池井戸さんから取材の依頼があったそうです。
技術が進歩しても、しなくても 変わらない農業の魅力
田中さんは昨年から、NIPPA米と同じように育てた酒米を市内の酒蔵で仕込んだ酒「新波」の販売も始めました。ブランド米と同様に、お酒の名前に地名を使ったのは、「地域に価値が生まれるように」との思いから。また、自分で育てた米で酒をつくるというアイデアの背景には、酒好きの父に自分の家の田んぼでできた酒を楽しんでほしいという親孝行の気持ちと、収穫された米の価値をさらに高めたいという気持ちがあります。
「このあたりも過疎化が進んでいます。この土地を出て行った人が故郷を思い出してくれたら、また、新波出身であることを誇りに思う何かが増え、帰ってくるきっかけになればと思っています」。
「下町ロケット」では、トラクターの自動運転化により作業を飛躍的に効率化させ、若者にとって農業が魅力的な職業になることを願う人々の奮闘が描かれています。
実際に、農業関連の技術革新は目覚ましく、自動運転のトラクターが活躍する日も遠くないかもしれません。
「便利になることで農業をする人が増えてくれるとしたら、技術の開発には大いに期待しています。ただ、それらはあくまでも道具で、実際に農業をするのは人。自分が自然に向き合って育てたものが収穫という形でかえってきて、お客さんが『美味しい』と喜んでくれる。農業というアプローチを通した『世界への理解』が、僕にとっての農業の本質。農業は、カメラマンの仕事以上に、クリエイティブだと思っています」。