「ド素人」から始めた養鶏
駐車場には県外ナンバーの車が並び、待ち構えていた客が開店と同時に続々と駆け込む。朝10時、中村農場が運営する直売所の光景だ。店内には、さまざまな種類の新鮮な鶏肉や卵、プリンなどのスイーツをはじめとしたオリジナルの加工品が所狭しと並んでいる。隣接する食堂は、テレビ局に取材されてから行列が絶えない。
「始めた頃は、ニワトリに関してド素人だったんですよ。品種も名古屋コーチンくらいしか知らなかった」と、中村さんは笑いながら振り返る。
養豚を中心に畜産業を営む家に生まれ、幼い頃から家畜の世話を手伝っていた。競技スキーに熱中していた中学生時代、地方大会への遠征でさまざまな郷土料理に出合う。地域ごとの素材の選び方や味付けの違いに魅せられるような少年だった。料理への関心は年を追うごとに高まり、飲食の道を志すようになった。
高校卒業後、東京の大手飲食チェーンに就職し、調理から店の経営管理までを経験する。エリアマネージャーとして、売り上げが振るわない店舗を次々と黒字化するなど順調な日々だったが、実家が養豚業を畳んだことをきっかけに、故郷へと戻る。家族で野菜の直売所を始めたのが、20年以上前だ。空になった豚舎で、ニワトリにヤギ、ウサギやハリネズミなど、さまざまな動物を飼うようになった。「本当はペットショップがやりたかった」と笑う。
2羽の烏骨鶏(ウコッケイ)を皮切りに、採卵用の赤玉鶏を20羽、50羽……と増やしていった。採れる卵の数はいつしか自家消費の枠を超え、直売所に並べてみると飛ぶように売れていった。鶏の解体処理の方法は分からなかったが、前職のつながりで親しくしている鶏肉店のスタッフの手さばきの記憶を頼りに、時には電話で教えてもらいながら方法を体得し、鶏肉も販売するようになった。徐々に野菜の占有面積を上回っていき、今では直売所の商品の全てが卵や鶏肉とその加工品だ。
飼育方法は本を読んで模索した。試しに育てた品種は累計40種。現在は10種ほどを合計約3万5千羽育てる、全国でも珍しい大規模の多品種養鶏家だ。
かつて、県が改良し普及を奨励する「甲州地どり」の導入を打診され飼育をしていたが、ひなの供給不足で入手が難しくなった。想定外の窮地に立たされたが、中村さんは自分で2種を掛け合わせ、オリジナル地鶏「甲斐路軍鶏(しゃも)」を作ってしまった。今では主力商品の一つで、歯応えと軟らかさが絶妙なバランスで共存し、噛めば噛むほど味が出る。
全国的に地鶏ブームが巻き起こった頃、肉質は硬い物が主流だった。ただし、牛と豚の肉は軟らかい物が好まれていた。中村さんは、鶏肉も同じ土俵で戦う必要性を感じていた。「硬いだけの地鶏なら、ブームが終われば生き残れないと思っていた」。飼育方法の参考にしたのも、農業専門書などではなく料理雑誌。消費者の好みを研究し、徹底的な食べ手目線で「理想の鶏」を作り上げてきた。
毎朝400羽、自ら絞める。すべては「おいしい」のため
弾力と軟らかさを併せ持つ肉の秘密は、出荷前の扱い方にある。平飼いではなく、あえて照明を落とした鶏舎でケージ飼いすることで、過剰な運動による肉の硬化を防ぐ。平飼いでは個体の強さによって餌を食べる量に差が出てしまうのに対し、ケージ飼いなら目の前に確保された分を完食できるので、品質を一定に保てるという利点もある。「世界一おいしい」と言われるフランスの「ブレス鶏」の生産方法に着想を得たという。理想の飼育方法を実現させる鶏舎を、4500万円掛けて建てた。
餌は大豆とトウモロコシをベースに、風味や香りを付けるウコン、朝鮮人参など30種類以上のハーブを独自でブレンドして与えている。夏と冬では必要なカロリーやたんぱく質の量が違うため、配合は季節ごとに変える。カロリーは抑えているため、肉に余分な脂肪が付かない。濃い黄色の卵はうまみが強いが、独特の臭みは全くない。本来、うまみやコクの強い卵は、臭みも強くなりがちだ。濃厚なうまみとクセの無さが両立する卵を作るための、一つの答えがハーブ配合飼料だという。
出荷のタイミングにも一家言を持っている。生育日数だけでなく、個体ごと食べ頃を目視で判断するために、「首を切る」役を自ら担っている。「オスはひと鳴きした頃、メスは体内の卵が大きくなる寸前がおいしいとよく言うんです」。毎朝5時半から400羽を処理する。「ノイローゼ寸前だったこともある」と苦笑するが、「生産性より味」の信条は揺らがない。自社で処理工場を持つため、消費者に届けるまでの日数を削減でき、市販とは一線を画す鮮度を実現している。
農家は食べることにも真剣であれ
直売所隣の食堂は、大手飲食店口コミサイトの山梨県総合ランキングで10位以内に入るほどの評判だ。
一番人気は、直売所では1個当たり100円で販売している「八ケ岳卵」と、鮮肉をたっぷりと使った「中村農場の親子丼」(単品908円、価格は全て税抜)。多い日には350食を売り上げるという。だしは水を使わない鶏ガラ100%。雑味が入らないようにと、タマネギさえも使わないシンプルなレシピは、中村さんが考案した。「鶏肉は火加減が難しい。火入れが足りないと鉄臭くなってしまう」。卵の火入れは1分以内で、とろとろの半熟状態で提供される。
「うちは農業というより、飲食業のためのもの作り」と中村さんが言い切るだけあり、3種の親子丼に7種の定食、ラーメンに餃子、プリン、夜限定の焼き鳥……と、メニューの豊富さは圧巻だ。女性に人気のササミチキンカツ定食(特選 1077円、甲州頬落鶏 1077円、甲斐路軍鶏 1540円の3種)は、ふわふわの衣にくるまれたササミの、しっとりとした肉質に驚くこと必至。まず一口食べてから、塩やわさび醤油、備え付けの自家製ポン酢で“味変”しながら食べることを勧めている。脂の質が良いため、あっという間に完食してしまう。
鶏はもちろん、地元の食材をふんだんに使うフランス料理店やカフェ、デザート専門店など新業態の飲食店を次々とオープンした。「もっとうまいものを作りたくなる」という探究欲は留まることを知らず、香港にある日本料理店への輸出を始めた。目下の目標は、都内でミシュランの3つ星を狙える高級焼き鳥店を開くことだ。
そのモチベーションはシンプルで、「お客さんの『うまい』の一言」だという。「うちは生産(農業)というよりかは、飲食のための食作り」。直売所に掲げている社訓にも「おいしいといわれる食作り」とある。食べ手本位のこだわりが、人気の秘訣(ひけつ)なのだろう。
勝栄では毎年新卒を採用し、農業や飲食業を志す若い人材の育成に力を入れていくつもりだ。若手へは「どういう人間になりたいかを、常に考えることが大切」とエールを送る。「農業者は、もの作りだけなく『食べること』もしっかりやらないと。作るだけなら誰でもできる。ものを作る中で、付加価値を生むためのヒントがそこにある」と、消費者目線の重要さを語り添える姿に、“らしさ”があふれていた。
(PHOTO=山口こすも)