第四話「イチゴはね、同じですから」
海外旅行用に買った大ぶりのスーツケースが、ガタガタと後部座席で揺れている。
窓を開け、延々と続く山の根を眺めながら、あかねは大きく息を吸い込んだ。
「うわー、来ちゃった」
運転席の虎さんは、ふふっと笑いながら言う。「来ちゃいましたね」
家自体は台風の被害を全面に受けたわけではないので、損壊はしたが大丈夫、と虎さんは言っていたが、目の前にすると痛々しさはかなり残っていた。門は崩壊し、多くの植物が茂っていたであろう庭先は、おそらくその後片付けたのであろう、不自然になにもなくがらんとしており、物悲しさをかたどっていた。
玄関先と屋根は綺麗に修理を施してあり、そこだけ取って付けたように新しかった。
つぎはぎの家だ。あかねは庭に残る小枝を踏みしめながら思った。しかし、空元気のようにピカピカと新しい玄関の扉を見ると、虎さん夫婦もまた家自体も、新しい一歩を踏み出そうと懸命に前を向いていこうとする勢いがある。そしてその希望にすがり賭けているような、切羽詰まった気配をも同時に感じ、迂闊(うかつ)に足を踏み込んではいけない場所に来てしまったのではないかと、あかねは一瞬だがたじろぐように目を動かした。
1カ月間、あかねは虎さんの家で寝泊りをする。まさみさんに迎え入れられ、しばらく使っていないという和室の部屋に案内された。「こんな田舎の狭い部屋で、ごめんなさいね。大丈夫かしら」。まさみさんが心配そうに顔を覗き込んでくる。「あ、全然大丈夫ですよ。大学生の時、海外のまあ、ド田舎にホームステイしたことありますし」。言った後に、やばい、今のは失礼だったと顔色をうかがうと、まさみさんはケラケラと笑い声をあげた。「そうかそうか、都会の若い子にしたらホームステイみたいなもんよね。ああ、おっかしい」。そしてひとしきり笑うと、あかねの手を取り、目をまっすぐと見て言った。「あかねさん。ありがとう。来てくれただけで、どんなに私たちが嬉しかったか」。あかねはその手に目を落とす。
たくさんの皺が刻まれた、赤みを帯びた小さな手。もちろんあかねは女子特有の、手を取り合ったり時には手を繋いだりという戯れをしているが、触れる手はほとんど同世代の女の子の手だ。白く、冷たく、すべすべと柔らかい、綿菓子のような、それらとは違う感覚。あかねの手に今乗っている手の重みは熱を持ちながら、その弱さを、その悲しみや憂いを、差し出しているように感じた。あかねはそっと手を握り返す。
「一生懸命、お手伝いさせていただきます」
ビニールハウスでのイチゴ栽培は、順調に進んだ。虎さんとまさみさん、あかねの3人で力仕事は成り立つのか、少々不安であったが、イチゴのハウス栽培はあかねが思っていたよりも力仕事ばかりではなく、繊細なイチゴを取り扱うため、丁寧で細かい作業が多かった。何よりも週末には達郎がやって来て手伝ってくれるのが、あかねの精神的にも体力的にも支えとなった。
朝から晩まで一緒にいるので、虎さんとあかねは1週間も経てば打ち解けた。虎さんは物腰は柔らかく丁寧だが、根は頑固で自分の意思を決して曲げない男だった。朝は誰よりも早く起き、ビニールハウスへ向かう。そして1日の作業が終わって、さあもうそろそろ切り上げますかとなっても、何かしらのやるべきことがあるからと理由をつけて、ハウスから帰ろうとしないのだ。
「いいのいいの、いつもああだから。ほっときましょ」
でも、というあかねを制しまさみさんが先にハウスの外に出る。結局いつも、まさみさんとあかねが2人で家に帰ることとなる。ハウスから家までは車で10分程度かかる。まさみさんとあかねが車を使い、虎さんは自転車で通うのだった。危ないので一緒に帰ってほしい、今1人で帰り道に事故にあったりしたらどうするんですか。そう何度あかねが諭しても虎さんは、「なあに、大丈夫ですよ」と笑って取り合ってくれないのだった。
虎さんは何かにつけ、こう言った。
「あかねさん、いいですか。イチゴはね、女性と同じですから。優しく優しく、扱わないと」
「イチゴは寂しがり屋だから。しっかり見ててあげないと、ダメなんですよ」
確かに、イチゴは繊細な果物だった。特にハウス内の環境管理は、イチゴ栽培の要とも言えた。気温、湿度、日光の強さ。毎日の微妙な差を虎さんは感じ取り、ハウスの中の環境を一定に保ち続けた。どういうからくりなんですか、あかねが大真面目に尋ねると虎さんはいたずらっこそうに答えた。「こればっかりはね、長年の勘ってもんですよ。あかねちゃんには、まだまだ」。そういって笑う姿は、職人としての彼のプライドを色濃く感じるのであった。
ある夜、バタバタとせわしなく家の中を歩く音であかねは目を覚ました。時刻は夜中の2時だった。何事かと玄関へ向かうと、虎さんが外に出ようとしていた。
「なにしてるんですか」
「ああ、あかねさん。外がね、すごい雨で。気温もいつもより2度以上低いんだ。早くハウスに行かなきゃ」
慌てる虎さんの腕を、思わずあかねは掴んだ。
「虎さん。朝で大丈夫ですよ。朝で。寝てください」
すると虎さんは、あかねの手をそっと自分の腕から外し、切羽詰まった顔でこう言うのだった。
「あかねさん。かわいそうに、イチゴが、寒がってるんですよ。どうしてそれを、放っておけるんですか」
いそいそと出て行った扉の隙間から、玄関に雨が振り込んでくる。その雨粒をあかねはじいっと見つめ、考え込んだ。
次の日の朝、朝食の食卓で、あかねは2人にこう切り出した。
「虎さん、まさみさん。お二人にお話があります」
なあに、というまさみさん、きっと結局ハウスに長居したのだろう、寝不足で眠そうな虎さんがこちらを見る。
「もうすぐ約束の1カ月が終わります。私は本来ならここで東京に帰らせてもらいます。でも1つだけ、まだしばらくお二人を手伝ってもいいという条件があります。もし、この条件を飲んでいただければ、私は今育てているイチゴが無事出荷するまで、いや、さらに来年も、ここでイチゴを育て続けると約束します」
「どうしたの一体。なに、条件って」
「虎さんの職人技と、ITとを組み合わせるんです」
ぽかんとする2人に、あかねは力強く言った。
「ここを、日本で最先端のイチゴ農園に変えましょう」
【作者】
チャイ子ちゃん®️ 外資系広告代理店でコピーライターをしつつ文章をしたためる。趣味は飲酒。ブログ「おんなのはきだめ」を運営中。 おんなのはきだめ:chainomu.hateblo.jp Twitter : @chainomanai |
【イラスト】
ワタベヒツジ マンガ家。東京藝術大学デザイン科出身。 マンガ制作プラットフォーム「コミチ」にて日々作品をアップ中。 作品ページ:https://comici.jp/users/watabehitsuji Twitter:@watabehitsuji |