「新しい根域環境制御装置(N.RECS)」とは
夏の平均気温の急激な上昇は、人間のみならず、植物にも影響を与えることは想像に難くありません。しかし、栽培施設の中の温度を適切な状態にするには、冷房に使用する電気代などかなりのコストがかかり、生産者は重い負担を強いられます。一方でICTによる施設内の気温や二酸化炭素濃度、地中のEC(塩類の濃度)やpHをモニタリングする技術も進んでおり、生産者の省力化への道筋は整いつつあります。
そんな中「根域温度は植物の環境制御の残された一つ」と語るのは、日本大学生物資源科学部教授の窪田聡(くぼた・さとし)さん。
窪田さんが6社との産学連携で共同開発(※)したのが、「新しい根域環境制御装置(New Root-zone Environmental Control System、以下N.RECS)」です。アルミ製熱交換パネルと空気熱源式ヒートポンプ冷温水システムおよび発泡スチロール製の断熱鉢カバーを組み合わせて、植物の根の部分を冷却または加温することができるというシステム。既存の局所温度制御技術の課題解決につながるこの新技術について、伺いました。
※本装置の開発は農林水産省委託プロジェクト研究「国産花きの国際競争力強化のための技術開発」と日本大学学長特別研究第2期「日本大学発 スマートアグリカルチャーの創出と産業化を目指した技術開発」の支援により、日立トリプルウィン(株)、三菱マヒンドラ農機(株)、三協立山(株)、金山化成(株)、(株)東海化成、(株)オネストとの共同研究で行われました。
◆プロフィール◆
窪田 聡さん 日本大学生物資源科学部生命農学科花の科学研究室教授。 1994年、日本大学大学院修了(博士<農学>)。農林水産省野菜・茶業試験場(現在の農研機構野菜花き研究部門)に3年間科学技術特別研究員として、国際稲研究所(IRRI)に2年間プロジェクトサイエンティストとして勤務後、2000年4月より日本大学生物資源科学部に在職。2017年4月より現職。 |
植物の生育に多大な影響を与える「根の温度」
――根の部分を冷やす、または温めるという栽培方法は昔からあったのでしょうか。
昔から根域を冷却したり加温したりするという考え方はあり、特定の作物の栽培に使われています。でも、その植物に特化した方法での研究がなされていて、どの作物にも使える汎用的なものはなかったと思います。
――それを汎用的に展開しようとしたのが、今回の「N.RECS」なのですね。
そうです。この発泡スチロールでできた「断熱鉢カバー」の丸い穴に鉢を入れて、底と側面から冷却または加温するシステムです。底面の熱交換パネルにチューブが通っていて、そこを冷たい液体が通ることで冷却します。断熱鉢カバーの内部はポットを入れることによって密閉に近い状態になるので、冷たい状態が持続します。もちろん、チューブに温かい液体を流せば、加温することも可能です。
温度調節はICT制御で、ここ(日本大学の研究施設の温室)では学生たちがタブレット端末を使ってコントロールしていますよ。
――水耕や土耕もできるのですか。
はい。ビニールシートを敷いてその上に水を流せば水耕も可能ですし、栽培槽を深くすれば土耕もできます。
根域温度に注目したきっかけ
――そもそも、根の温度が植物全体の生育に関係すると思われたきっかけは?
私は30年近く前コチョウランの栽培の研究をしていて、栽培に使う素焼きの鉢(多孔質鉢)が養分や水分を吸ってしまうことに気づいたのがきっかけでした。そこで、鉢ごと水に浸けたら、外から水を吸うんじゃないかと思いついて。業者さんにお願いして底に排水孔のない素焼き鉢を作ってもらって、通常の頭上かん水(上から水をかけること)のものと比較したら、鉢ごと水に浸けたものの方が生育が良かったんです。
その時に、水に浸けた鉢の根域温度が気温より低いことに気づいて、これは何か生育に関係があるのではないかと思い、根域温度の研究を始めました。
「温度は頂端分裂組織の細胞分裂等に強い影響を与える」
――植物が温度を感じるのはどこなのでしょうか。
植物が温度を最も感じやすいのは、細胞分裂が盛んで成長する場所です。例えば、芽の部分ですね。頂芽や腋芽(えきが<わきめ>)の温度を調節することで細胞分裂を盛んにし、生育を促すことができるので、「成長点加温」という方法もあります。
つまり「温度は頂端分裂組織の細胞分裂等に強い影響を与える」というわけなんです。
ところが、地下で芽と同じように細胞分裂が盛んな場所があるんです。どこだと思いますか?
――根、ですか?
そうです。根の先、根端ですね。地上に出ている細胞分裂が盛んな場所は数えられる程度ですが、根端は無数にあります。だったら、この根端の温度が生育に関係するのではないかと考えたんです。
根域の温度が植物の耐暑性に影響している
――根域の温度が植物の生育に具体的に関係している例はありますか?
例えば、下の図のローダンセマムやフクシアは暑さに弱く、涼しい山の上で夏越し(山上げ)させる植物なのですが、根域を冷却することで山上げせずに夏を越すことができました。
――根を冷やすだけで暑さに弱いと思われていた植物も元気になるとは意外ですね。
だから、この結果を受けて「根の高温耐性が植物全体の耐暑性に影響しているのではないか」と考えました。
根は水を吸ってその水を地上部に運びますよね。水がなければ植物は生きられない。高温の時には蒸散が盛んですからなおさらです。
この仮説をもとに、N.RECSを使ってわざと根元を温めて高温に耐えられる個体を選抜して品種改良につなげるということも考えられますね。
N.RECSの活躍の場は多様
省エネだけでなく省力化も
――年々暑くなっているので、N.RECSの活躍の場は増えそうですね。
そうですね。昔は今ほど暑くなかったですし、圃場(ほじょう)の地面で栽培していたので、根が気温の影響を受けることは少なかったと思います。しかし、今は高設栽培が多くなっていて、培地が地上に出ているため、根が気温や日射の影響を受けやすくなってしまうんです。
鉢での栽培も同じで、鉢が直射日光に当たると、気温より暑くなってしまう場合があります。
――ハウスの気温を下げるとなると莫大な電気代がかかりますよね。
そうなんですよ。でもガンガン冷房を入れてもハウスの中を日中も涼しくするなんて、とても無理です。
また、イチゴは冬に出荷するために、夏場に苗を夜冷処理しますよね。毎日農家さんが冷蔵庫に大量の苗を出し入れするのは、本当に重労働です。
でも、根の部分の温度を調節するだけで済めば、かなり省力化できます。
生育ステージごとに利用の仕方は変わる
――こんなに万能に思えるN.RECSですが、苦手なことはないのでしょうか。
植物の種類やそれぞれの生育ステージにおいて、得手不得手があるようです。
例えば、茎葉の成長に関しては根域の温度が影響するのはこれまでご説明した通りです。一方、「生殖」に関しては「花芽」が重要です。花芽をつける芽の部分は地上にあり、気温の影響を受けやすいですから、地面から離れているところに花芽を付ける植物の開花に関しては効果が低いです。しかし、地面に近い場所に花芽ができるイチゴやシクラメンのような植物では開花促進効果が高いです。
ですから、植物の種類や生育ステージに合わせて効果的な使い方をする必要があると思います。
――では、最も得意とすることは?
「茎葉を大きくすること」ですね。根域の温度を調整することで、葉の大きさをコントロールできます。
同じハウスでも、ベンチごとに根の温度を変えて、定植時期は同じなのに出荷時期をずらすということも可能になります。これまでよりも短い期間で出荷することで、労働量を減らすことも可能です。
農家さんによって理想の成長の仕方があるはずなので、ハウスに植物の成長をモニターするカメラを設置して生育状況を見ながら根の温度を調整することで、生育をコントロールできるんです。
さまざまな条件下で試すことで用途が広がる
――最も効果が上がりそうな条件というのはあるのでしょうか。
高冷地のような気候条件のところは、使いやすいのではないかと思っています。夏場は涼しい場所でしか栽培できないものを育てていますが、今は高冷地でもかなり暑い日があるので、低コストで冷やすことができれば農家さんにとってメリットですよね。
また、冬場は寒い場所なので、温室全体を温めるのにはとても暖房代がかかりますが、根元だけで済めば、コストを大幅に削減できます。
今は、兵庫県立農林水産技術総合センターに導入してもらい、その地域の栽培条件で効果を試してもらっています。今後は各地の試験場に導入してもらい、様々な試験を行えばいろんな場所で意外な方法で使える方法が見つかるかもしれません。
――今、施設園芸の環境制御はかなり進んでいますが、N.RECSでさらに効果的な環境制御ができれば、各地で理想的な栽培が可能になりそうですね。
施設園芸では根域の温度の制御は残された最後の一手です。
さらに研究を進めて、農家の方々に使っていただけるようになればと思います。