■お話を伺った方
藤井一至(ふじい・かずみち)さん
【プロフィール】
1981年、富山県生まれ。京都大学大学院農学研究科博士課程修了、博士号(農学)取得。京都大学博士研究員、日本学術振興会特別研究員を経て国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所主任研究員。著書に「大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち」(山と溪谷社)、「土 地球最後のナゾ」(光文社)など。趣味は家庭菜園。 |
化学肥料の功罪
──前編で、土の肥沃度は肥料の使い方次第で変わるという話を伺いました。貧しい土地でも肥料を加えれば作物は育つという理屈はなんとなく分かるのですが、その肥料自体が枯渇する心配はないのでしょうか?
僕たちはいま世界の食料事情を心配していますが、このようなことは歴史の中で初めてのことではありません。19世紀末のヨーロッパの人々は、アジアの人口増加のせいで自分たちの食料がなくなると焦っていました。必要は発明の母といいますが、ハーバー・ボッシュ法(※1)によって窒素肥料が生み出されて、世界の人口が20億から70億に大きく増加しました。
窒素の壁がなくなった次に人口増加を妨げるのは何かというと、農業に関していうと、おそらく水かリン酸です。リン酸はリン鉱石を掘り出してきているんですが、埋蔵量が有限なのではないかと問題視されていました。
でも、それは今の価格でリン酸を掘り出すには限界があるという話で、もう少しお金をかければ質の悪いリン鉱石の埋蔵量はまだまだ多いことが分かって、現状ではリン酸の枯渇のリスクは小さいとされています。だからと言って無尽蔵にまくのはやめた方がいいと思いますが。
※1 空気中の窒素と水素を反応させて、窒素化合物であるアンモニアを工業的に大量生産する方法。開発者の2人の名前からつけられている。
──肥料のまきすぎについても気になる点で、化学肥料をまくことで、かえって土の質が悪くなったり環境汚染につながったりするという見方もありますよね。
そうですね。例えば、窒素をまきすぎると土が酸性化するという問題があります。窒素肥料をまくと、その分収穫量が上がるという時代がずっとあって、みんな窒素神話を信じているんですよ。まいたらどんどん育つ、だからもっとまく。でも植物が育つ大きさには限界もあるので、過剰にまいて余った分が硝酸に変わると土が酸性化する。
化学肥料の使用が増加した緑の革命(※2)以後、アジア全体で土がどんどん酸性に傾いていっていて、中国全土の酸性度を測ったら、20年間でわかりやすく酸性化したと言われています。
リン酸についても、過剰にまけば、地下水や飲み水の汚染を引き起こしてしまいます。
※2 1960年代、開発途上国を中心とした人口増加に対応するため、穀物類の高収量化を目指して進められた農業技術の革新。
──どこまでが適正で、どこからが過剰かを見極めるのは難しい気もしますが。
そうですね。でも、作物ごとに吸収する栄養分がこれくらいで、粘土に取られて吸収できない分を上乗せするとこれくらいっていう、地域ごとに指針となる施肥基準が日本にはあるので、それを参考にすることができます。途上国ではその情報が充分にないのです。
窒素のまきすぎで土が酸性化するとか、リン酸のまきすぎで川が汚れるとか言われても、それより俺の畑で今年どれだけ取れるかが気になるっていうのは当然ありますよね。100年後の地球より、今年の収穫量が落ちることの方が問題。そういう現実とどう折り合いをつけていくかは難しいです。
良い土とは何か
──ご自身でも家庭菜園をされているそうですね。
そんな大した話じゃなくて、ベランダのプランターで少しやっています。祖母の残したインゲンマメの種があって、祖母はこの豆が良くとれるって言っていたんですけど、僕が普通の培養土で育てたら全然育たなかった(笑)。
結局、祖母が選び抜いたその種は、祖母の畑でよく育つように最適化されていて、最大公約数的に素晴らしいはずの培養土には合わなかったんです。でも、その種を少しずつ増やそうと頑張っています。
今年始めたばかりで失敗したのはカボチャとオクラ。カボチャは雌花が出ず、雄花ばかりでした。オクラってもともとアフリカ原産で乾燥地だから根が深くて、プランターではなかなか大きく育たないらしいんです。もう少し、勉強してから始めるべきでした。
大学では、粘土鉱物の結晶構造はアルミニウムのケイ素がどうたら……みたいな話は教わっても、土のいじり方のような大事な情報は教わりません。結果、土壌学者が土を前にして途方に暮れ、テレビの園芸番組を食い入るように見ているというのが現実です(笑)。
──土に詳しい方でもベランダ菜園に苦労するなんて、勇気をもらえます(笑)。ちなみに培養土を見て何か思ったりするんですか?
「え、あいつ培養土を使っているのか」なんて言われたりするんですけど、農家から譲っていただいている研究用の土を家庭菜園に使うわけにいきません。培養土というのは、排水以外ではあまり良いところはないんですけど、何も悪いところがないんです。いろんな土が適度に混ざっているから、弱みが少なくなっている。
例えば、粘土だけだとベチョベチョになって通気性が悪くなるとか、砂だけだと保水性や保肥性が悪いといったような問題を全部クリアにすべく、泥炭から鹿沼土まで全部混ぜているのが培養土。
で、チェルノーゼムがいい土だっていうのも同じことで、砂、粘土、腐植、どれも適度に良いバランスで混ざっている。腐植は日本の黒ぼく土の方が圧倒的に多いし、粘土はインドの方が圧倒的に多い。でも、料理とほとんど同じ理屈で、最高の良い比率で混ざっているからチェルノーゼムは良い土なのです。
培養土を宣伝するつもりはないんですが(笑)、培養土は弱点が少なく、いろんな植物にも対応できるようになっているんです。ただし、出張が多くて水やりのできないことのある私の場合、もう少し保水力がほしい。最近は、粘土質の荒木田土(あらきだつち)も混ぜて、自分にちょうどよい土を目指しています。
「土vs.植物工場」の枠組みを超えて
──ここまで土の話を伺ってきた上であえて聞きますが、結局、植物工場じゃダメなんでしょうか?
僕、よく植物工場の人と「土アリvs.土ナシ」という対決をさせられるんですけど、彼らの話を聞くと、最近では土ではない無菌の土のようなものを作ろうとしているらしいんですね。いわば土還りを起こしていて、決して敵ではないという認識をしています。
植物工場(水耕)の良いところは水を再利用できること、それから栄養分も循環させられるからロスが少ないことです。スピードだけを比べれば、植物工場の方が生育がいいと思います。
ただ、植物には土にしっかり根っこを張った方が育ちがよくなるという性質があるんです。それに露地栽培では、落ち葉などを微生物が分解して栄養になるというサイクルがあって、太陽光と水は自然にあるものを利用できるので安上がりだというのは大きな強みですね。
──水耕栽培みたいな方法を知ると土って必要なのかなと疑問に思うこともあるのですが、土にはまだまだ可能性があるって感じで話をまとめていいでしょうか……。
うーん、僕はまるで土大好き人間みたいに見えるかもしれませんが、いや実際好きなんですけど、土をただ美化しているわけじゃないんです。土壌学の知識は土壌汚染や土砂崩れなどの深刻な場面で必要とされることが多いですし、「土を離れては生きられないのよ!」みたいな台詞は、天空の城ラピュタのシータに任せています(笑)。
植物工場がなぜ土を使わないかっていったら、土には問題も多いからなんですよ。
例えば、土にはフザリウムというカビ菌がいます。これは日頃はただ落ち葉などを分解するだけの微生物なんですが、ある時には牙をむいて野菜の病気を引き起こす。
このフザリウムの良い面を評価すると、土は生きている、という話になりますが、悪役にすると“バイキンマン”になってしまいます。だけど、バイキンマンだって付き合い方によってはそんなに悪いやつでもなくて、むしろアンパンマンより友達になれそうな気がすることもあるじゃないですか。生き物だから良い面も悪い面もありますよ。
では、フザリウムが悪さをするときの条件はなんだろうと考えると、過湿や養分過多といった条件があります。ですから、ただ農薬をまけばいいっていうんじゃなくて、それ以前にどうやって土を管理すればフザリウムがただのいい微生物でいてくれるのか。一つ一つの畑の現象を積み上げていって、ぼやーっとしたものから答えを導き出していく。それは土壌学者の仕事ですし、今後、フザリウムの研究をしたいと思っているんです。特に、バナナのフザリウム被害が深刻ですので、そこから手始めに研究をしようと考えています。
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土とは何か、いい土とは何か、そして持続可能なものにするにはどうしたらいいか。さまざまな角度から「土」にアプローチしている藤井さんの探究はまだまだ続きます。