自分の武器を探し求め挫折した20代
――就農したのは32歳。農業でやっていこうと決断するまでには様々な道のりがあったそうですね。
20代の時は、とにかく国際支援に携わりたかったんです。「貧困をなくしたい」と世界平和に情熱を燃やす、今思えば志だけ高い若者でした。インターン生として受け入れてもらえるNGOと出会い、カンボジアの現地駐在員として働くチャンスに恵まれたのですが、意気揚々と日本を飛び出したものの現実は厳しいものでした。情熱以外に強みを持っていない自分の無力さを痛感する日々でしたね。若さと気合いで毎日現場には行くけれど、3年程経った時に「このままじゃ駄目だ」と思い、帰国することにしました。
――帰国して出会ったのが農業?
そうですね。海外で農業展開を狙うベンチャー企業に就職しました。当時はまだ国際支援への気持ちを捨てきれず、「農業」よりも「海外」というキーワードに惹かれたのが本音です。農業を自分の武器にして、もう一度国際支援の現場に携わりたいと思ったんです。
ところが農作業をしてみると、意外と面白かった。他産業では当たり前にやっていることができていない現状も見えて、「もしかしたら自分にも何かできるかもしれない」と可能性を感じました。
――探していた「自分の武器」が見つかったんですね。
はい。でも会社としては農業の海外展開を目指していましたし、ベンチャー企業だったので、半年後には単身で上海郊外の農場に派遣されました。たった半年間の農業経験では現地スタッフに的確な指導をすることができず、悩んでいた時に声をかけてくれたのがアグレスの土屋梓(つちや・あずさ)社長でした。上海の仕事を引き継ぐタイミングで転職しました。
――アグレスでは3年間農作業だけに集中したそうですね。なぜですか?
武器にしたいと思っていた農業スキルが中途半端な状態だったからです。いつか農業で新しい挑戦をするためには、基礎を固めて経験と実力をつけたいと思いました。
――20代の時に無力さを感じ、自分の強み(=武器)が必要だと思ったからこその判断なのですね。
――現在は土屋社長からのご期待もあり、人材採用・育成や新規事業開発、そして社外活動として日本4Hクラブなど広く活動されていらっしゃいますね。特に、海外スタディツアー「農スタ」は、農業法人では画期的な取り組みだと思います。
自社の採用や事業化だけが目的ではないんです。次世代を担う、力強い農業者を創出することも使命だと思っています。
これからの日本は、人口減少で国内消費は減っていきます。今までとは違う形で勝負しなければならず、世界に目を向けなければいけません。
農スタは人口が増え市場が見込めるアジアの現場を見に行くツアーです。私の駐在経験をいかして、カンボジアの農業現場や観光ガイドにはないディープな地を訪れます。「行けば必ず何かが得られる」というものではなく、「一歩踏み出したい」という若者への起爆剤になれば良いと思っています。
――山浦さんだからこそ実現できるツアーですね。ご自身が目指す「農業×国際支援」も形になってきていると感じます。
組織のトップが考える「若手を動かす力」
――農家の“こせがれ”が120名超集まる「PALネットながの(長野県農業青年クラブ)」では、初の法人社員での会長だそうですね。日々若手農業者と接していて感じることはありますか?
危機感のない農家が多いと感じます。
確かに毎日の農作業は大変ですし、そのなかで新しい情報、新しいネットワークを得るのは億劫だと思います。ですが、それでは自分の家の農業、自分の地域のことしか分からず、客観的に自分や地域を見ることができません。
これからは、“動く農家”と“動かない農家”の差が広がり、後者は淘汰されていくと思います。若手農業者にはどんどん外に出て欲しいですし、私は地域のリーダーとして若者に有益な情報を発信していきたいと思っています。
――PALネットながのや日本4Hクラブに加入することで、他地域と繋がるチャンスは増えそうですね。
そうですね。全国には面白い農家がたくさんいますから、気の合う農家と新しいことを始めるなど、チャンスはたくさんあると思います。
ですが、こうした組織はあくまでステージ。よく若い方から「ここに入ると具体的に何が得られ、どんなメリットがあるんですか?」と質問されるのですが、それは自分次第です。入ったからと言って、受け身では何も生まれません。でも、動こうとすればすれば世界まで広がっているのが4Hクラブです。
――確かにそうですね。他の組織でも同じことが言えると思います。では最後に、長野のトップとして、若者を動かして組織を盛り上げるためには何が必要だと思いますか?
「組織はあくまでステージ」というお話をしましたが、私はそのステージでロックスターになることが大事だと思っています。やる気がない、やる意味を見い出せていない人に対して何かを推奨するより、自分が新しい試みをして実績を出し、憧れてもらって後に続いてもらう方が早いんじゃないかと思い始めました。
そしてステージに上がった時には、精一杯応援したいと思っています。
――ご自身が20代で苦労した経験と気づきがあったからこそ、後継者に挑戦できるステージを作りたい。そんな思いが伝わってきました。ありがとうございました。
【参考リンク】
PALネットながの
株式会社アグレス
山浦昌浩さんブログ「日本農業を革新する!」