70歳でまだまだ現役! 西下さんが開拓したブルーベリー観光農園
今回話をお聞きしたのは西下はつ代(にしした・はつよ)さんです。
【西下はつ代さん プロフィール】
株式会社ブルーベリーオガサ代表取締役。
農業はほぼ素人ながら、1987年に静岡県菊川市で「ブルーベリーの郷(さと)」を開園。現在は年間3万5千人を超える人がブルーベリー狩りに訪れる。現在70歳。ブルーベリーはもちろん、キャッサバや青パパイヤの栽培なども手掛けており、常に新しいことへのチャレンジを続けている。
農家に生まれたはつ代さんは1968年に結婚し、旦那さんと一緒に自動車部品工場を営んでいました。
しかし、納期に追われ忙しく働く日々を過ごす中
自分の人生がこのまま終わっていいのか
いつかは自然の中で生活したい
と強く思っていたそうです。
その思いは日に日に強まり、二男三女に恵まれた後の1983年から部品工場で働きつつ農業を始め、1986年、はつ代さん37歳の時に全てを農業にかけると決心し部品工場を辞めました。
(その後、部品工場は2002年に閉鎖。)
30年以上前、まだ男社会の色合いが濃かった農業を未経験の女性が始めるというのは大変難しかったそう。
「女性1人でうまくいくわけがない」と農地を借りるにも農業委員会からのOKがなかなか出なかったそうです。
やっとみつけた農地は、農協があっせんしてくれた廃業予定の50アールのお茶畑。
その時に農協と「3年くらいはお茶の生産をする」と約束しましたが、うまくできずに失敗に終わりました。
そんな中、お茶畑を借りるのとほぼ同時期に、20アールほどの何も作っていない農地も借りることができたはつ代さんは、お茶と同時にブルーベリーの栽培も始めました。
そしてブルーベリーの魅力と可能性に気づき、やがてお茶畑でもブルーベリーの栽培をすることにしました。
未経験で農地も農機もなし。ブルーベリーの観光農園を選んだワケ
ちだ
- 地域でやっていない作物
- 将来が期待できる新しい作物
- 女性でもできる作物
というのを探していました。
そこでブルーベリーをたまたま見つけて、これだ!ってピンときたからです。
はつ代さん
詳しく聞いてみると、
- 「現代農業」でブルーベリー栽培についての記事があった
- 当時はまだブルーベリーは珍しく、未経験で女性でもできるのではと興味を持った
- その記事を書いた方のところ(鹿児島県)へすぐに赴き、栽培方法と苗をゲット
- 実際、栽培は他の野菜と比べて容易で、大ざっぱな自分の性格にも合うことがわかった
ということでした。
はつ代さんの住む菊川市は、お茶、メロン、イチゴ、トマトの生産が盛んな地域です。
農地を購入するにあたってお茶の生産をしなければなりませんでしたが、心はすっかりブルーベリーにあったそうです。
ちだ
ブルーベリー栽培は本当にそこまで難しくない?と思った方はこちらの記事をどうぞ!
しかし、ブルーベリーは茂った木に小さな実がつき、実の熟し度合いもバラバラなので収穫がとても面倒です。
ちだ
はつ代さん
年間3万人以上!それもリピーター多数!なワケは家族経営だからこそ?
ブルーベリーの郷のブルーベリーは露地栽培です。収穫期間は6月中旬から8月中旬。
年間のメイン営業期間は2カ月間ほどなのにもかかわらず、来園者は3万人以上でリピーターもかなり多いそう。
ちだ
入園料を払ったら、一日ずっといてもOK
ブルーベリーの郷の特色は
入園料1540円(※)を支払ったら時間無制限食べ放題
というものです。
※ お土産パック付き、中学生以上の料金(税込み)。その他の料金はブルーベリーの郷のホームページをご確認ください。
ちなみに、他のブルーベリー農園をネットで調べてみたところ、30分で1000円など時間制限のあるところや、時間無制限だけど2500円のところなどがあり、料金と時間で比較するとブルーベリーの郷は安いと感じました。
ただ、ブルーベリーの郷以外にも時間無制限で同じくらいの値段の農園はありました。
リピーター続出の秘密は他にもあるはず!
家族経営ならではの温かみとスピード感
リピーターの中には
「オバチャーン、また来たよ!」
「孫を連れてきたよ!」
というようにまるで親戚のような雰囲気で来る人も多いそう。
はつ代さん
そのアットホームさは、農園に一歩足を踏み入れるとすぐに感じられます。
入園時の説明は、軽妙に、まるで近所のお話好きのおばさんのよう。
「真っ黒いのが完熟だでね! いちごじゃないに!」
「触るとコロンと落ちるのがおいしいの。ぎゅーぎゅーひっぱらないといけないのは『みるい』だよ。みるい、わかる? 未熟っちゅーことだよ」
また、暑いなかブルーベリー狩りから帰ってくると
「はい、扇風機の前にきてー」
「これ塗ってー。ブラックペパーミントを煮出した清涼剤! 天然のクーラー!」
なんてこともするそう。
家族で経営しているからこそ出せる温かみ、がリピーター続出のヒントかもしれません。
こういったフレンドリーな接客は、可能な限りマニュアル化もしているそうです。
また、ブルーベリーの郷のホームページを見ると
- 雨天セット入園
- 魚釣り
- バーベキュー
- ジャム作り
などさまざまなオプションが設けられています。
フレンドリーな接客や数々のオプションは、多くの試行錯誤から生まれた結果だそう。
まずやってみる、動いてみるという意識を家族全体が共有しているのが強みですね。
はつ代さん
西下家では、家族で月に1回話し合い、経営の軌道修正をしているそうです。
ひらめき、アイデア、思いを共有して形にする、試行錯誤する、そういったことが身軽におこなえることが家族経営の強みなのかもしれません。
家族経営もラクじゃない!
家族経営って農業を営む上でとてもいい形なのでは!?
真理子さん
次女の真理子(まりこ)さんは、高校卒業後すぐに農園で働き始めました。
はつ代さんとまさに二人三脚で農園を大きくしてきた方です。
開園最初の数年の真理子さんの目標は「じゅうぶんな自分の給料を確保すること」だったそうです。
母であるはつ代さんと衝突することも少なくなかったそう。
今では毎日笑いながら過ごせてますけどね。
真理子さん
家族経営だからこそ、距離が近く意見の衝突が起こりやすいということがデメリットと言えるかもしれません。
一方、はつ代さんは常に自分のビジョンを示し、明るく、なんでも言い合うようにしていたそうです。
結果、今のブルーベリーの郷の形があるんですね。
主たる人がどう振る舞うかそれが家族経営をうまく生かすために重要なポイントかもしれません。
32年間続けられた、拡大してきた理由。ヒケツは、行動力。
32年間観光農園を続けるというのは簡単なことではありません。
そのヒケツは何か。はつ代さんから聞いたさまざまなストーリーの共通点は「行動」でした。
試験観光農園
観光農園をもくろんでいたはつ代さんですが、農園初期はまだブルーベリーの苗木が全て30センチほど。
収穫できる実も多くありません。
しかし、観光農園にしたい。
そこではつ代さんがおこなったのが
試験観光農園
と銘打ち、そのブルーベリーの成長過程をお客さんに見てもらうということでした。
ちだ
当時ブルーベリーは珍しく、
初めて見た!
おいしい!
という評判を得たそうです。
しかし、試験観光農園をおこなうことで得られたものは、ブルーベリーを知ってもらえたことだけではないそうです。
はつ代さん
来園した方からはこんなフィードバックをもらったそうです。
トイレが欲しい
休憩所が欲しい
何か食べられるものを置いてほしい
こういった具体的な要望は一つ一つ形にしていくようにしたそうですが、はつ代さんはそこからさらに自分のイメージを膨らませました。
家族でゆったりしたいだろうから、ゆったり摘み取りができるように遊歩道を広くしよう。
小さな子やお年寄りが動きやすいように階段を作ろう。
家族で来ると、お父さんがブルーベリーに興味がない様子が見られた。そんな人が楽しめるように釣り堀を整備しよう。
家族経営ならではの身軽さで、こうしたアイデアもどんどん形にしていったそうです。
ちだ
その後、試行錯誤を重ねて試験農園開始から5年後くらいには農園の経営もだいぶ軌道に乗ってきたそうです。
ブルーベリーはまだたくさんとれないけど、加工品作り
試験観光農園の時にせっかく来てもらっても買って帰れるものが少ないのは申し訳ないと、はつ代さんは長野県の農園などからブルーベリーを取り寄せ、ジャムを作って販売したそうです。
また、ジャムと同じタイミングでブルーベリー酢の開発にも着手。
地元の商工会からお金を借りて、小ロットで製造してくれる会社を探し商品化にこぎつけました。
ちだ
ただ、家族を大事にしながらきちんとビジネスを回していくためにも当初から加工品の生産販売は必須だと感じていたので、商品を形にするためにとにかく動きました。
もちろん、今は自社農園のブルーベリーで加工品を作ってますよ。
はつ代さん
イスや売店、農園の道も手作り。お金がないなら知恵を絞って形にする
僕が今から観光農園をやろうと思ったら、アレコレ考えてしまいます。
イスやテーブルはきれいなものを作りたいな。
売店もかっこよくスタイリッシュにしたいな。
農園内のお客さんが歩く道もこだわって作りたいな。
でも、お金ないなぁ。どうしようかなぁ。
こうやって、なかなか物事が前に進まないか、お金がどんどんかかってしまうでしょう。
しかし、はつ代さんはお金が無いなら無いなりに形にすることを優先させたそうです。
イスなどは、職人さんのところへ真理子さんと2人で習いに行って、自分で制作。
作れないものは、学校やオフィスの不用品を譲り受けて。
農園内の売店は、コンクリートを打つのも屋根を作るのもやっぱり真理子さんと2人で。
農園内の道は、乗り方もよくわからないけど(!?)パワーショベルを借りて、やっぱり自分の手で開墾。
ちだ
身軽な家族経営、そのメリットを最大限生かしてどんどん行動に移そう!
このままではいやだ
ピンときた
から始まったはつ代さんのブルーベリー農園は、行動と試行錯誤を繰り返すことで32年間続き、年間3万を超える人が訪れるようになりました。
小規模家族経営だからこその身軽さを最大限生かし、アイデアをすぐに行動に移して、考えながら改善していくはつ代さんの姿勢は、農業のみならず全てのビジネスに共通する大きなヒントなのかもしれません。