下請けからの脱却! ビジネスとしての林業の実現
――小さい頃から自然が大好きだった青木さん。林業のキャリアの始まりは、東京都西多摩郡檜原(ひのはら)村の森林組合だったそうですね。東京チェンソーズはどのように誕生したのですか。
当時は大好きな山の中で働けて、自分で山の環境を整えることができていたのでとても満足していました。ただ、給料が日給制で雨の日や正月やお盆の休みが長くなると手取りが少なくなるという不安定な状態で。そんな時、檜原村の森林組合が広域合併して東京都森林組合になったんです。組織が大きくなり作業班を外注するという話が出ていたので、だったら独立してやってみようと。そうして「東京チェンソーズ」が誕生しました。
──当時、林業で独立するのは珍しいことだったと思います。創業から法人化までどのように仕事を展開していったのでしょうか。
林業は都道府県から委託を受ける公共事業が多いので、最初は元々いた森林組合が受けた東京都の仕事の下請けをしていました。でも山を奇麗にするだけじゃなくて、その木を使って加工して販売するといった、公共事業だけじゃない新しいチャレンジがしたくて。それには、資金も人も必要。そうした思いから2011年に法人化しました。森林組合との関係性を心配する声もありましたが、ちょうどその頃、東京都のスギの伐採事業が始まったんです。人手が足りない状況となり、結果的に法人化するのにとてもいいタイミングとなりました。
木材単価を1本3000円から3万円にした
──森林整備や伐採した木の市場出荷といった従来の事業に加え、新しいことにたくさんチャレンジしていますよね。
購入した自社の山から伐採した木を地元の製材所で加工して販売しています。原木のまま販売しても樹齢60年のもので一本あたり3000円くらいにしかならないんです。山から切り出して運ぶ労力を考えると驚きですよね。でも製材すると原木よりもサイズが小さくなるのに、単価がひと桁変わるんです。
──手を加えるだけでそんなにも価値が上がるんですね。
3000円の原木だけを販売していると、どんどん木を切っていかないと稼げませんよね。結果的に山を荒らすことになってしまう。そこで、森林保全をしながら自分たちも稼げるようにと考えたのが「一本丸ごと使いきる」というコンセプトです。これまで捨てられていた枝の部分や曲がった木などを製品化して販売します。それらの製品をSNSなどで積極的に発信することでニッチなニーズを見つけることができるんです。「市場には枝を加工した素材がないので多少高くても欲しい」など意外な声も入ってきます。
昔は大量生産で規格化されたものがメジャーでしたが、今は個性ある木材の需要があります。そういう会社がどんどん増えていけば丸太よりも枝の方が高く売れるようになると思うんです。
とはいえ、全てを自分たちでやるのは難しい。製品化のノウハウや販路があるわけでもない。なので、他の企業とコラボレーションしてモノづくりをしています。例えばデザイナーや特注家具を作っている企業とコラボして家具を作ったり、おもちゃの企業とコラボしたり。もともと販路があるところと組み、お互いの強みを生かせるようにしています。
“時間がかかる”を逆手にとった林業体験
──山の今を伝える、とってもユニークな取り組みをしていますね。
「山のめぐみを森から街へ直接届けよう」というコンセプトで「森デリバリー」という出張型ワークショップを行っています。毎週末、都内の保育園や幼稚園、商業施設などでワークショップをしたり、素材を生かした木製品を販売したりしています。商品を置いてもらうことが難しくてもワークショップとなるとイベントとして入れますし、最近は委託料をいただいて呼んでもらうことも増えてきました。自然の楽しさを伝えることはもちろん、純粋に自社のPRにもなっています。
──森林を育てるプロジェクトも気になります。これはどんなことをするのでしょう。
「東京美林俱楽部」と名付けたこのプロジェクトは、有料会員の方と30年かけて一緒に苗木を育てて、東京に美しい森林をつくっていこうというものです。3本の苗木を植えるところから始まり、下草刈り、枝打ち、間伐と、一通りの山仕事を楽しむことができるんです。
2本は自分の好みの木製品にし、1本はそのまま山に残します。そうすることで手入れの行き届いた美しい森林ができてきます。2014年から始めて、会員は240組にもなりました。子どもが生まれたタイミングで会員になり、30年経って結婚した時の引き出物にしようかなぁ、なんてお話をされている方もいますし、山に行くきっかけが欲しいと入会したシルバー世代の方もいます。
林業は農業と違って木が育つのにとても時間がかかります。一見価値を見出しにくいですが、時間がかかることを逆手にとって、付加価値をつけました。自分の育てた木が成長して自分のもとへ返ってくる、そんな体験を売り物にしているところはなかなかないと思います。
檜原村を日本一のおもちゃの村に
──檜原村との新しい挑戦が始まっているようですね。
檜原村の93%は森林で、ずっと丸太を売ることだけに特化してきたので林業を産業化できていませんでした。するとどんどん林業から人がいなくなってしまう。このままではいけないとやきもきしていた時に、ドイツに木のおもちゃの村があることを知りました。人口3000人のうち、2000人がおもちゃ作りに携わっていると言われています。これだ!と思い、檜原村を日本一の木のおもちゃの村にしませんかと村長に提案しました。家具の産地や名木の産地はすでに国内に有名なところがありますが、木のおもちゃでブランディングしているところはまだない。今は地産地消という追い風も吹いているし、国内の木のおもちゃの自給率は5%ほどで伸びしろも十分にある。そこで食育ならぬ「木育」をしようと、2014年に檜原村が「ウッドスタート宣言」をしました。村で生まれる赤ちゃんの誕生祝い品に、地元の木で地元の職人が作ったおもちゃをプレゼントすることから始まり、全国から木のおもちゃを集めたおもちゃキャラバンを開催するなど、村全体でおもちゃの村としてブランド化していこうという機運が高まっています。
──そしていよいよ、青木さんの思いがカタチになる日が近づいてきましたね。
2019年の11月に工房ができて、2021年の秋には「森のおもちゃ美術館」が完成する予定です。年間5万人の親子が檜原村に来る流れができます。そのようなお客様に向けて、檜原村でモノづくりをやろうという会社がどんどん増えていくと思うんです。そうした人たちが集まって、初めて木のおもちゃの村として産業になると感じています。林業界には成功事例があまりにも少ない。補助金が無くなったら人が減ったり事業が止まってしまったりと、新しい取り組みのための補助金ではなく、林業を維持するだけのものになってしまっているのが現状です。産業には新しいチャレンジが欠かせないですし、自分たちで仕事を生み出すことで、補助金だけに頼らないビジネスとしての林業が実現できると考えています。うちは大きな会社でないからこそ、社員の個性を生かした新しいチャレンジができます。林業には可能性がまだまだあって開拓の余地がある。そんな会社がもっと増えれば、これまでなかったような新しい林業の在り方ができていくんじゃないでしょうか。