東京から大三島へ
現在38歳になる吉井さんは、大学卒業後は東京で会社員をしていました。2011年の東日本大震災をきっかけに、供給されるだけの都市の食糧事情に危機感を持つようになり「会社員としてお金を稼ぐ能力よりも生物として食糧を調達できる能力を身につけたい」と、サラリーマンを辞めて猟師になることを考え始めました。
農業でなく狩猟を選んだ理由は、長崎県出身の吉井さんにとって、農業は親戚がやっていたこともあり身近な仕事。どうせならやったことがないことを始めてみたいと思い、猟師という道を選んだのだそうです。
猟師となるべく狩猟免許を取得し、銃を手に入れ、本格的に移住先を探し始めた吉井さん。伊豆大島や八丈島、新島などの東京都の離島、そして大三島を候補地として下見に訪れました。
その時に、獣害による農業被害額を超える価値をイノシシから生み出そうと活動している「しまなみイノシシ活用隊」と使い道を模索している猪骨の存在を知り、猟師とともに猪骨を使ったラーメンを作れないかと思ったそうです。そして、2014年に地域おこし協力隊の制度を利用して、妻の歩(あゆみ)さんと2人で当時住んでいた埼玉から大三島に移住しました。
そして、地域おこし協力隊員としての町役場の仕事をしながら、しまなみイノシシ活用隊のメンバーから猟の仕方やイノシシのさばき方について教わったり、ラーメン学校に通ったりし、猟師とラーメン店実現に向けて着々と準備を進めていきました。
「猪骨ラーメン」ができるまで
大三島に移住して4年目の2018年の春、大三島一の観光スポット「大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)」の近くに、念願のお店をオープン。
ここに至るまでに、吉井さんは延べ28回の試作と試食会を重ね、県内外や東京でのイベントなどで約2000杯の猪骨ラーメンを提供してきたそうです。
吉井さんが猪骨ラーメンを始めるまでは、廃棄されていたという猪骨。一日分のスープの仕込みをするには約8キロの猪骨を使うのだとか。
豚骨と比べて脂肪分が少なく脂の融点が低いため、うまみ成分の濃度が上がらず、イノシシ独特のすっきりとしたキレのいい脂のコクを引き出すのにかなり苦労したという猪骨スープ。吉井さんはベースのスープをつくるために、毎日8時間以上も猪骨を煮込んでいます。
豚骨ラーメンのようにこってりしすぎず、かと言ってあっさりもしすぎず、全てが絶妙においしい猪骨ラーメンは現在塩、醤油、味噌(みそ)の3種類。イノシシのあの、いかつい外見からは全く想像がつかない、さっぱりした優しい甘さのラーメン。
「鯛(たい)に例えるなら、イノシシは天然鯛で豚は養殖鯛ってとこかな。脂のさっぱりさが断然違うんです」と吉井さん。なるほど、このすっきりとしたキレのいい脂、爽やかな甘さがイノシシジビエの特徴なんですね。
チャーシューも、豚というより鶏にもっと肉のうまみを詰めた感じの上品な味わいで、柔らかくてとってもおいしい。これは確かに、大三島に来たら絶対に食べて帰りたい名物グルメの一品です。
移住を成功させるポイント
現在までに仕留めたイノシシの数は約20頭という吉井さん。「店をオープンしてからはなかなか猟師としての活動ができてないんですけど、元々は猟師をやりたくて大三島に移ってきたわけだし、やっぱりもう少し捕獲したいんですよね。檻(おり)わなにイノシシがかかっているのを見つけた時が、猟師としては一番アドレナリンが出る瞬間なんですが、その後、きちんと解体してお肉にするとなると一日仕事になっちゃう。だから、しっかり時間がある時じゃないとわなも設置できないんですよね」
「猟師プラスラーメン店をやりたい」という移住の目的を果たした吉井さんですが、ご本人いわく「これでやっとスタート地点に立てた」とのこと。「猟師としてのスキルもまだまだ磨けてないし、ラーメン店もオープンしてやっと1年半が過ぎたところ。お店をオープンさせるために借りたお金だって返していかなきゃならないし、まだまだやらなきゃならないことがいっぱいで、これからも険しい道のりを越えていかなきゃならないんです(笑)」
ですが、そう言う吉井さんの表情は楽しそう。「移住を成功させる秘訣はなんでしょう?」と聞いてみました。
「まあ自分のやりたいことができてますからね。成功っていうか、こっちに来てから毎日楽しく生活してますもん、お金の心配さえなければ(笑)。毎日を楽しく過ごすってことは、やりたいことがあって、そのやりたいことをかなえるために、すべきことができているってことじゃないでしょうか。だから移住生活を成功させるポイントは、やりたいことがあってその目的がぶれない、ってことですかね」(吉井さん)
自分のやりたかったことをかなえ、さらにその道を確固たるものにするために、日々努力し充実した毎日を送っている吉井さん。ぶれない信念と移住生活の楽しさが、この猪骨ラーメンを生んでいるのかと思うと、ますますスープの最後の一滴まで味わいたくなりました。ごちそうさまでした!