■お話を伺った方
小林美穂(こばやし・みほ)さん
【プロフィール】
農研機構畜産研究部門畜産物研究領域乳製品開発ユニット上級研究員(農学博士)。1996年、農林水産省畜産試験場採用、2016年から現職。平成28年農林水産省補正予算経営体強化プロジェクト「国産スターターを用いたブランドチーズ製造技術の開発」を実施中。
国産チーズスターターとは
――小林さんはこの3年、国産チーズスターターの開発の研究をされています。この研究を始められたきっかけは?
チーズは発酵食品で、乳酸菌を発酵スターターとして働かせて作ります。日本にはもともと漬物や日本酒など、各地に特徴的な発酵食品がありますよね。そういうものも乳酸菌が関与しています。そのようなご当地の乳酸菌を使ってチーズを作ったら、地域ごとの特色のあるチーズができるのではないかという声があり、研究を始めました。これまでも各地の乳酸菌でチーズを作ったという報告はあるようですが、発酵スターターとして商品化されているものはありません。
――だから「国産初のチーズスターター」と言われているんですね。
ところで、そもそもスターターの働きとはどういうものでしょうか。
それをご説明するにはまずチーズの作り方をご説明しないと。ここではセミハードタイプで熟成を必要とするゴーダチーズのスターターを想定しています。
まずは生乳を殺菌した後、スターターを入れて牛乳の中の乳糖を乳酸に変え酸性にすると、ヨーグルト状になります。
そこにレンネットという乳を固めるための酵素を入れてお豆腐のように固めてカード(凝乳)と呼ばれる状態にし、水分(乳清・ホエイ)の分離を促すために、特殊な道具でカットします(上の写真①)。
分離して出たホエイを抜いて(上の写真②→③)、型に詰めて形を作り(上の写真④)、塩水につけたのち3か月ほど熟成させると、ゴーダチーズができます。
――つまり、スターターの役割は生乳を酸性にすることですか?
メインスターターの主な役割はそうです。でも、ここで開発しているのは国産初の「補助スターター」なんです。名前は「L. パラカゼイOUT0010 (OUT0010)」と言います。これは熟成の時に働くスターターです。
味に特徴を出す「補助スターター」
――メインスターターと補助スターターの違いは何でしょうか?
OUT0010は最初の頃はまだ働いていないんです。チーズを成型して熟成庫に入ったころから働き始め、乳酸菌の酵素が乳たんぱくを細かく切って、いろんな味のもととなるアミノ酸を生み出していきます。補助スターターはメインスターターの100分の1しか入れないのですが、熟成中に増殖して、1か月過ぎたころにはメインスターターの菌数に追いつき、3か月後にはOUT0010菌がほとんどになります。熟成中にずっと生き続けて、チーズの味を特徴づける役割をするんです。
――メインスターターはまだ外国産を使っていても、少しの補助スターターで味が変わるんですね。味の特徴は?
旨みを出すグルタミン酸のバランスなど、従来のスターターで作ったものと違う結果が出ています。また香り成分も、ナッツの香りがする成分や発酵バターのような香りを出す成分などが多く検出されました。
昨年8月に行った106人規模の消費者官能評価試験でも、同じ材料と市販スターターで同じように作った従来のゴーダチーズと比較して、今回のスターターを添加したものの方が高い評価を得ました。
また、北海道のアグリビジネス創出フェアの際に来場者の方に試食していただいたのですが、OUT0010を加えたチーズがおいしいと答えた方が最も多かったです。
――それは味にも期待が持てそうですね。そんなおいしいチーズを作る乳酸菌はどこから来たのでしょうか?
OUT0010は北海道のとある酒蔵の酒粕からとった乳酸菌がもとになっています。実は、今回のスターターの開発にあたって、今回一緒に研究をしている北海道と栃木県の食品から乳酸菌を集めました。その中で菌の選抜をし、最終的に1番になったのがOUT0010です。
――早く食べてみたいです。
残念ながら、まだ一般の方にこのスターターを使ったチーズは召し上がっていただけないんです。チーズスターターは安定した状態で運べるように、乳酸菌をフリーズドライさせなければならず、消費期限も1年間は必要と考えています。今はまだその試験をしている状態です。
それぞれの地域のご当地スターターづくり
――補助スターターでそんなに味が変わるなら、あちこちで自分の土地のスターターがほしいという声が大きくなりそうですね。
はい、実際そういう声を受けて開発を始めましたので、各地の研究機関でご当地のスターターづくりができるように、今回の取り組みについてのマニュアルと、開発したスターターの利用事例集を作って公開します。
――個人のレベルで「俺の工房独自のスターターを開発したい」という方も同じようにできるのでしょうか?
うーん(笑)、不可能ではないかもしれないですが、現実的ではないと思います。
蔵付き酵母でつくる日本酒や自然酵母で作るパンは、アルコールや加熱で人の口に入るときには菌が死んでいますが、チーズの場合はずっと乳酸菌が生きていますから、その管理はかなり厳しくなければいけません。
まず個人のレベルでは無菌の施設がないですし、乳酸菌を培養するには培地も食品を開発するのに必要とされる基準があります。さらには安定的に使用するためにフリーズドライ化するなどの加工も必要でしょう。やはり、研究機関と一緒にやる方が確実に安全で良いものができると思います。
――やはりご当地スターターで作ったものはご当地の食材と味の相性が良かったりするものでしょうか。
それはまだ試していないので何とも言えません。でも、スターターによって味を特徴づけることができることは官能評価試験でも証明されています。
また、先ほど申し上げたように、乳酸菌が生きている食品なので、これからは乳酸菌の様々な効果をうたえる「機能性チーズ」という方向性も考えられるかもしれませんね。
――実際に証明されている機能はあるのでしょうか?
いわゆる健康に良いというようなものは今のところありませんが、今回のOUT0010を使用したことでチーズの熟成が早まったことはわかっています。ゴーダチーズは通常3か月以上熟成させるのですが、パラカゼイOUT0010を使ったものは2カ月程度で出荷できる状態になりました。1か月熟成期間を短くできるということは、チーズ工房さんにとっても早くコスト回収ができるので、良いことではないかと思います。
――それはとてもありがたいことですね。
チーズ工房さんが商品にOUT0010を使えるようになるのはいつになりそうですか?
2021年中の発売を目指して今、消費期限の試験をしています。現在でも作ったチーズを販売しないことを条件に試供品をお渡しすることはできます。早く皆さんに使っていただけるように頑張っています。
――OUT0010が味を良くする上にコスト削減につながるスターターであることがわかりました。日本のチーズを輸出するときにさらなる差別化にもなりそうですね。
はい。今回の開発が国産ナチュラルチーズの振興のお役に立てればと思っています。
取材協力・画像提供:農研機構 畜産研究部門畜産物研究領域乳製品開発ユニット
(※小林美穂さんプロフィール写真は筆者撮影)