エンリッチミニトマトとは
トマトを生で食べることが多い日本では、その味の追及は各生産者がしのぎを削り、毎年のように新しい高糖度や高機能のブランドトマトが発売されている。
そんなレッドオーシャンのトマト栽培の世界で、一般財団法人格付けジャパン研究機構による比較試験で「データプレミアムNo.1格付け認証」となったのが、長万部(おしゃまんべ)アグリ株式会社が栽培する「エンリッチミニトマト」だ。味のばらつきはほとんどなく、糖度は平均して8以上、リコピンやGABAなどの栄養価も高い。しかも反収は一般的なトマトに比べると非常に高く、約1.5倍にもなるという。
さぞや長年農業に人生を捧げてきた篤農家がその経験をもとに苦労してつくりあげたトマトなのかと思いきや、「誰でもおいしく作れる農法」で栽培されたというから驚きだ。
実際、長万部アグリは、東京理科大学と長万部町が連携した地方創生事業の一環として生まれた企業で、農家が立ち上げた農家による企業ではない。
エンリッチミニトマトは、「アイリッチ農法」という特殊な栽培方法で作られている。このシステムを開発した株式会社プラントライフシステムズ(以下、PLS)代表取締役の松岡孝幸(まつおか・たかゆき)さんに話を聞いた。
農業素人でもおいしいトマトが作れる「アイリッチ農法」とは
アイリッチ農法の柱は2つ。潅水制御オペレーションシステム「トマトのKIBUN」と、特殊な「サンゴ砂培地」だ。
PLSはこの農法を各方面からの資金提供を得て、東京大学を中心にいくつかの大学との共同研究で作り上げた。
トマトの気分は数理モデルで解く!
アイリッチ農法の柱の一つは、トマトが何をしてほしがっているかを作業する人にわかりやすく伝えるシステム「トマトのKIBUN」だ。では、トマトの気分をどのように再現し、環境および潅水制御につなげるのか。
特徴は、作物へのアプローチの仕方が従来の農業の考え方と全く違う点にある。
開発にあたった松岡さんは、もともと自動車業界で自動運転のモデルベースの開発をする会社を経営していた。モデルベースとは、MBD(Model Based Development)とも言い、「対象となるシステムをコンピュータ上でシミュレーションできること」がその特徴と言える。PLSはその技術をトマト栽培に応用した。つまり、「トマトの生態メカニズムを数式化し、仮想で再現」したのだ。
まずはトマトの状態をセンサーで把握。それにどう対応するかは、遺伝子の解析などを通じて最適な解を導き出した。作業者の手元には、すべき作業だけが表示される仕組みだ。
センサーは自社開発しない
トマトの状態を把握するにはセンサーが不可欠だ。さぞ特殊なセンサーを使っているのだろうと質問してみると、松岡さんは笑いながら「うちはモデルベースを活用して技術提供をする会社ですから、センサーは開発できません(笑)。ハウス内でとる情報は温度、光量、湿度など、他社のシステムが得るものと変わらないので、開発の必要もありません」と言う。しかも使用するセンサーの数は300坪に一つだけ。かなり経費を削減できる。
匠の技×ビッグデータは必要ない
現在のAIを用いた栽培システムは、いわゆる栽培の匠と呼ばれるような農家の技術を再現するタイプが多い。篤農家の過去の経験や勘に基づく栽培方法をビッグデータとしてため込み、そこからセンサーで読み取ったトマトの状態に合うものを探し出して適用する。しかし、その場合大量のデータを処理しなければならないため、通信量も消費電力量も膨大になりエコではないと松岡さんは語る。
実はトマトの生理は比較的簡単な関数で再現できるという。処理能力の高いコンピュータも必要ないため、システム用の電力は小さな太陽光発電で賄えるそう。非常に経済的でエコ、持続可能なシステムだと言えるだろう。
アルカリ培地で従来の農業の常識を覆す
アイリッチ農法では土を使わない。この農法のもう一つの柱は、サンゴの砂を使ったアルカリ性の培地を使用することだ。これにより病害や連作障害など、農業につきもののトラブルにも見舞われることがないという。従来、農業では「弱酸性~中性の土壌が良い」という常識があったが、PLSによりそれは見事に覆された。
さらにエンリッチミニトマトの栽培では工夫を重ね、地元長万部の名産であるホタテの貝殻を培地に利用した。長万部では大量にホタテの貝殻が廃棄されており、これをサンゴと共に利用することで、培地にかかるコストをかなり下げることに成功した。サンゴは輸入しなければならないためどうしてもコスト高だが、これに代わってホタテの貝殻の培地を全国展開することができれば、高品質のものを低コストで栽培することが可能になる。
トマトが甘くなる遺伝子のスイッチを押せる
サンゴ砂の培地でのトマト栽培の環境&潅水制御については、東京大学との共同研究でその全容を解明し、システムを継続開発をしている。
トマトを甘くする方法としてよく知られている手法は「水やりを最小限にしてトマトに負荷をかける」という方法だ。確かに甘くなる。しかしこれはトマトの実が小さくなり、収穫量を下げる原因ともなる。そこでPLSと東京大学は、トマトに負荷をかけずに甘くする遺伝子を突き止め、そのスイッチを押す環境制御の方法を見つけたのだ。
「従来は、大玉、中玉のトマトをぎゅっと凝縮させることで小さくして糖度を上げていました。しかし、私たちの方法なら、大玉は大玉のまま甘くすることが可能です」(松岡さん)。
この「遺伝子のスイッチを押す」という作業は糖度に限ったことではない。発生に係る要素を突き止めることで、栄養素や皮の硬さなど、使う人に応じてトマトをカスタマイズすることができるという。
後述するが、この「カスタマイズ」が、販路獲得と取引価格に大きく影響することになる。
アイリッチ農法が解決する農業の課題とは
属人的な農業技術と初期投資額の高さが農業参入を妨げる
松岡さんが農業に興味を持ったのは、知り合いの紹介で農家の「野帳」と呼ばれる栽培日誌をシステム化する依頼がきっかけだった。ずっと農業とは無縁で最先端の技術を扱う業界にいた松岡さんは、農業の課題も目の当たりにすることに。「誰もが認める大事な産業なのに、儲からないのはなぜか」と考えるようになったという。農業の平均年収は、金融業の約半分。この格差には疑問を抱かざるを得なかった。
一方で、「新規就農者が農業の技術を覚えるのが難しい」という話もよく耳にした。あるベテラン農家が「野菜がどうしてほしいか言っているのがわかる」というので、なぜそれがわかるのかと松岡さんが尋ねたところ「それは俺にしかわからない」との答えが返ってきた。松岡さんはその時「農業の技術が難しいのは、それが属人的な感性に基づいているからではないか」と気づいたという。
「自分がこれまで培ってきたモデルベースなら、農業の技術の問題も解決できるのではと思いつきました。しかし技術だけでは農業を変えることはできないし、従来の『農業』を継続しているだけでは今までとは変わらない。『農事業』にして収益を上げるシステムを作って、他の産業の収入格差をなくそうと考えたわけです」(松岡さん)
儲からない、販路と野菜の価格の仕組み
農家は一生懸命に野菜を生産する。しかし、その売り方には無頓着な人が多い。どんなに努力しておいしいトマトを作っても、その値段は「相場」になるのが普通だ。
一方でブランド化に邁進して高付加価値で差別化を狙う企業も増えている。
先に述べたとおり、アイリッチ農法では使う人のニーズに応じたカスタマイズが可能だ。「栽培する前にどんなトマトをどれだけほしいか、先に注文を取ってしまうんです。そうすれば、価格は相場に左右されることはありません」と松岡さんは言う。
味を調整するためのトマトのスイッチを押すことができ、味にばらつきがないことが特徴のアイリッチ農法なら、ほぼ完ぺきに要望に応えることができる。農家は安定収入を得ることができるだろう。
「我々の技術は単に高品質と収穫量を担保するだけではなく、夏の栽培が困難な時期に栽培できるということも重要な点です」と松岡さんは通年栽培によって農家の収入を安定させることにも自信を見せた。
また、より多くのニーズの傾向を得てデータ化することで、今後どの時期にどんなトマトをどれだけ作れば利益が最大化できるか、といったシステムも開発している。
PLSはこのようなニーズと生産のマッチングも行い、農家の収益向上を図っている。
耕作放棄地の問題も解決
農家の高齢化が進み、農地を持ちながら耕作を続けられないという人も多い。その農地の活用にもPLSの技術は一役買いそうだ。
SDG’sの観点から、農業の将来性に目をつけた一般企業が農業に参入する例が増えている。しかしそのほとんどが3年以内に撤退する。農業の経験も未熟で、収益を上げることが難しく「儲からない」からだ。しかし、PLSの技術があれば、農業は「誰でもできる」。
問題は農地だ。農業はどこででもできるわけではないからだ。一方で耕作をやめても農地を持ち続けたい、でも先祖代々の土地を見知らぬ人には譲りたくも貸したくもない、という農家は多い。そこで、農家からの相談を受けた銀行が、農家への農地活用の解決策として、PLSの技術を使って農業参入する一般企業に農地を貸すことを提案する場合もあるという。農地が有効に管理・活用され、農家は賃料収入も得られることになる。
今後の展望は「世界平和」
PLSのアイリッチ農法はその第一弾としてエンリッチミニトマトで成果をあげ、注目を浴びつつある。そして、PLSはこれを他の作物にも展開しようとしている。「我々は数理モデルを用いて世の中の問題を解決する会社です。自動車、コンシューマーエレクトロニクスでも世の中の役に立つことが最重要。今回PLSが目指すところは農業を『農事業』にすることです」と松岡さんは語る。
さらには、海外展開のための評価試験も2か国でも始まっている。気候や通信環境や電力などのインフラの普及また、日本人の指導者が抜けていった状況に左右されないアイリッチ農法なら、農業に向かない地域でも食糧をつくることができる。そして、松岡さんの最終的な目標は「世界平和」だという。「世界の紛争のほとんどは、資源や食料をめぐるもの。どこでも安定的に食糧を作ることができるようになれば、世界は平和になるのでは」。
全世界的に人口が増えつつある今、食糧を得るために欠かせない農業技術の重要性は増している。「誰でもできる農事業」のインパクトは大きくなりそうだ。
画像提供・取材協力:株式会社プラントライフシステムズ