集落営農法人として史上最年少!? 29歳で代表に就いた元JA職員による経営改革

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集落営農法人として史上最年少!? 29歳で代表に就いた元JA職員による経営改革

窪田 新之助

ライター:

集落営農法人として史上最年少!? 29歳で代表に就いた元JA職員による経営改革
最終更新日:2020年12月28日

広島県東広島市にある重兼農場の山崎拓人(やまさき・たくと)さん(31)はいま、集落営農法人の代表としてはおそらく最年少だろう。就任したのは2018年4月、弱冠29歳の時。多くの集落営農法人が構成員の高齢化と後継者の不在から存続の危機にある中、黒字経営を続ける同農場から若返りを図る要点と利点を学びたい。

入社を決めた盤石な経営基盤

多くの銘酒を生む「酒都(しゅと)・西条」を抱える東広島市の東部にある高屋町重兼。重兼農場は1989年、この地区の農地を一手に引き受ける、いわゆる「ぐるみ型」(※)の集落営農法人として県内で初めて誕生した。

※ 「集落ぐるみ型」。集落の農地全体を一つの農場とし、一括して管理・運営する集落営農を指す。「集落一農場型」ともいわれる。

経営耕地面積は40ヘクタール。創業以来黒字を続けているという点で集落営農法人としては珍しい存在だ。その主な理由に触れると、園芸品目の栽培をやめたことに加え、過剰な設備投資を避けてきたことがある。

関連する挿話として、設立前に地元のJA広島中央との間でこんなことがあった。重兼地区の住民らは近い将来に集落営農法人をつくることを決めていたので、JAには農家に農機の営業をするなと言い含めていた。設立に携わったJA広島中央営農販売部の中土敏弘(なかど・としひろ)さんは笑いながら、「もし売ったら、以後は一切農協から買わないからなと言われましたからね」と語る。一方、山崎さんは「内部留保が潤沢だったことも入社の決め手になりました」と振り返る。

農家と思ったことは一度もなかった

山崎さんが生まれたのは重兼農場が創業した1989年。山崎家もまた構成員としてこの集落営農法人に加入していたので、「祖父母が農作業をしている姿を見たことがありません。父は農業とは関係のない自営業。だから自分が農家だと思ったことは一度もありませんでした」。

こう振り返る山崎さんが初めて農業と触れ合うことになったのは高校時代。アルバイトで重兼農場の農作業を手伝うようになり、農業への関心が芽生えた。重兼地区に住み続けたいという思いもあったことから、大学を卒業後はJA広島中央に就職した。
ところが4年後に重兼農場に転職。さらに3年目には弱冠29歳で代表に就く。背景にはほかの集落営農法人と同じく超高齢化と後継者の不在があった。

事業承継を揺るがした定年延長

JA広島中央の中土さん

JA広島中央の中土さん

前任の代表・本山博文(もとやま・ひろふみ)さんは当時77歳で、組織内を見渡してもほぼ同じような年代の人ばかり。これには2013年の改正高年齢者雇用安定法が強く関係している。集落営農法人を設立するに当たり、当然ながら将来の経営継承については見通しを立てていた。息子の世代の誰がいつ、どの時期に企業や団体を退職して、常勤として働いてくれるようになるかということだ。

とはいえ予測通りにいかないのは世の常。とくに大きく外す結果を招いたのは、同改正法によって企業や団体での定年が段階的に60歳から65歳になるとともに、年金の支給を始める年齢も順次引き上げられたことだ。

「年金の受給開始が延長されていったことで、会社や団体の社員や職員は60歳で退職できなくなってしまいました。早期退職しても、年金はすぐに支給されないからです。集落営農法人の給料は安いから、年金がなければ生活していけないんですね」

こう語る中土さん自身も現在61歳でJAに勤め続ける。近隣にある別の集落営農法人の構成員でもあることから、地域の農業の行方には切実な不安を抱く。
「退職を70歳まで引き上げるという話もあり、それこそ農業をする人がいなくなるのでは」

後継者が不在だったことから、重兼農場の元代表・本山さんは仕方なく地域外にも求人をかけた。山崎さんはそれを知った時に転職を決めた。
「もともと自分のなかで地元で農業をしたいという気持ちが生まれていた。外から人を入れるくらいなら、自分が応募しようと思いました」

こうして突如、創設当時の人ばかりで活動してきた重兼農場に、息子ではなく孫の世代の後継者が入ってきた。多くの集落営農法人の運営を支援してきた中土さんは「重兼農場は珍しくうまくいったケースですね。私の地元の集落営農法人含めて、2世代、3世代での同居が少なくなり、それに伴い若い人も少なくなりました。後継しようにもできないところが増えています」と打ち明ける。
では、そうした集落営農法人では諦めるしかないのか。山崎さんはまずは足元を確かめることを勧める。

「集落営農法人の代表や理事が知らないだけで、ひょっとすると息子や孫が近いうちに戻ってきたり、働き先を探していたりする家があるかもしれない。まずは各戸に後継者となる人がいないか聞き取りをすべきですね」

若手の雇用と経営の効率化

ICTの活用などで経営の効率化を図っている

ICTの活用などで経営の効率化を図っている

もう一つ言及したいのは、代表が孫の代まで若返りしたことで良かった点だ。山崎さんと中土さんによれば、その一つは雇用における地域の壁がなくなったこと。もう一つは、それと関連して経営の効率化と収益の向上が図られたことだという。

山崎さんの代になって初めて重兼地区以外の人材を雇用するようになった。これまでに20~40歳代の3人が入社している。

その原資は経営の効率化で生み出した。一例を挙げればICTの活用がある。電
子地図を活用して誰が、いつ、どこの田で、何をするのかといった情報を管理する。一連の情報についてオペレーターはスマートフォンで確認できる。以前は紙の地図を使ってきた。山崎さんは「紙だと、よその田で間違って刈り取りすることが結構ありましたね」と振り返る。

さらに個人ごとにその日の仕事の目標を設定するようにした。「仲間内だとだらだらと過ごしてしまうことがあるので、目標の設定は大事です」

こう語る山崎さんが重兼農場に転職してきたころと前後して、集落営農法人の次なる段階への構想が動き出していた。これまで、集落営農の組織は2階建ての建物に例えられてきた。1階部分は農地の利用調整や環境保全などの公益機能を、2階部分は農業の生産・加工や販売を担う「2階建て方式」という仕組みだ。これにJA広島中央と住民、それぞれの「地域の農地を守り、引き継ぐ」という共通の思いが重なり、必然的に各集落営農法人から広域的に作業を受託する「3階部分」を生み出す。次回は集落営農の将来像について考えてみたい。

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