農研機構は、国内の農業と食品産業の発展のため、基礎から応用まで幅広い分野で研究開発をおこなう機関。柴田昇平さんは、九州・沖縄地域の問題解決に取り組む九州沖縄農業研究センターに所属しており、30年にわたって農業気象の研究をおこなってきました。
水稲への被害は甚大。予測不能なフェーン現象
フェーン現象とは?
フェーンとは、山を越えて反対側の斜面を吹き下ろす、乾燥した高温の強風のこと。日本では北陸地方など、日本海側の地域で吹くことが多いです。このフェーンが吹く「フェーン現象」が起こると、風下では乾燥した高温の空気に水分を奪われ、水稲をはじめとする農作物が被害を受けます。
なかでも、水稲への影響は深刻です。フェーンによって脱水が起こると、葉の周縁部から枯れ上がり、光合成ができなくなって収量が落ちてしまいます。また出穂期(約半数の茎から穂が出た時期)から1週間ほどの間に被害を受ければ、もみが実らずに枯れてしまう「白穂」に。出穂期から10~20日間ほどの間に被害を受けると、米にリング状の白く濁った部分がある「乳白粒」が発生し、等級が下がってしまうこともあります。
フェーン対策は、勘と経験頼り
これまで、何年かに一度は稲作に大きなフェーン被害が出るものの、いつフェーンが吹くのかはわかりませんでした。
「フェーンは台風の前後に発生することがあります。農家の方ができることといえば、台風の発生に合わせて水量管理などの対策を取ることくらいでした」(柴田さん)
しかし勘と経験に頼っても、フェーン現象の被害を100パーセント防ぐことはできません。フェーンの発生を科学的に予測して被害を未然に防げたら、との思いからフェーン現象予測の研究は始まりました。
3日前にピンポイントで、フェーン被害を予報!
農研機構が提供する、フェーン注意情報
柴田さんたちが開発したフェーン現象予測システムは、単純にフェーンの発生確率を予測するものではありません。実際に水稲にどれだけの被害が出そうなのか、被害のリスクを予測できるのが大きな特長です。現在このシステムは農研機構が提供する「栽培管理支援システム」上に「フェーン注意情報」として実装されており、登録すればだれでも利用できます。
このフェーン注意情報は、3日先までの水稲のフェーン被害リスクを予測し、地図上で表示するもの。1キロ四方の解像度で地点予報が出るため、自分の田んぼがある場所の被害予測をピンポイントで知ることができます(現在は九州北西部のみが予測対象)。
「あくまでも予報なので、精度は100%ではありません。しかし、従来はいつ起きるかまったくわからなかったフェーンに対し、農家の方は事前に対策がとれるようになりました。これからフェーン被害が減っていくことを願ってやみません」(柴田さん)
予測システムの開発で大変だったことは?
フェーン現象の程度を表す値「FTP」
水稲のフェーン被害は、温度、湿度、風速から計算される「蒸散強制力(FTP)」という値を使って予測されます。
FTPは、大気が植物から水を奪おうとする程度の大きさを示します。FTPの値が大きいほど、植物の水ストレスが大きくなり、水稲のフェーン被害が発生しやすい気象条件だといえるのです。
5年間の地道な実験。数式モデルを導き出した
このFTPと実際のフェーン被害との相関関係を導き出したのが、フェーン現象予測システム開発の肝の部分。
「5年間にわたり、さまざまな品種の稲を、植え付け時期を変えながら研究所内で育てました。フェーン被害が発生すれば、そのときのFTPと、被害の度合いを記録し、グラフ化しました。このデータ集めが、開発のなかで一番骨が折れたことです」(柴田さん)
その結果わかったのが、夜間のFTPがフェーン被害に大きな影響を与えるということ。より乾燥の強い昼間ではなく、夜間が重要だったということに、柴田さんたちも驚いたそうです。実験の結果をもとに、夜間のFTPから、水稲のフェーン被害を予想する数式モデルを導き出しました。
テクノロジーの進歩が、フェーン現象予測システムを実現した
しかしこの数式モデルは、あくまでも「実際に計測した」FTPから、フェーン被害を予想するもの。導き出した数式モデルを使って、事前に水稲のフェーン被害リスクを予測するには、FTPの予測も必要となります。
現在、予測FTPを計算するための気象予報は、農研機構が独自におこなっています。実は、気象予報をおこなうには非常に高性能なコンピューターが必要で、一昔前ならば手に入れることができなかったと、柴田さんは語ります。
「近年は気象予測ソフトの精度が上がり、かつ安価に高性能のパソコンを手に入れられるようになりました。おかげで気象事業者以外でも気象予報がおこなえるようになったのです。その結果、予測FTPも計算できるようになり、フェーン現象予測システムを現実のものとすることができました」
地道な実験とテクノロジーの進歩、その両者が合わさって初めて、フェーン被害の予測は可能になったのです。
フェーン被害予測、今後の展望は?
最後に、フェーン現象予測システムのこれからについて、柴田さんにうかがいました。
「現在は、九州北西部のみが予測対象ですが、今後は農研機構の地方支部と協力しながら、全国的に展開していきたいと考えています。また、予測情報を活用した、北陸地方の県との共同研究も始まっています。フェーン被害はお米の品種によっても異なります。そのため、さらに多くの品種の実験データを蓄積し、FTPを使った数式モデルの改良も進めていきたいです」
世界初のフェーン現象予測システムは、近年のテクノロジーの進歩と研究者の地道な実験によって生まれたものでした。Web上で登録すればだれでも利用できるので、ぜひ活用してください!
農研機構 栽培管理支援システム
https://agmis.naro.go.jp/
取材協力・画像提供:農研機構