区長泣かせの直接支払制度
「面倒くさい」「分かりにくい」。補助金の申請は、しばしば怨嗟(えんさ)の的になる。農業補助金の中でも巻き込まれる人が多く、不満をよく耳にするのが「中山間地域等直接支払制度」と「多面的機能支払交付金」だ。
公金を出すからには、面倒さで一定のふるいにかけるべきと考える読者もいるかもしれない。ところが、この2つは、農業関係者にできるだけ多く使ってもらおうという建てつけで始まった。そうでありながら、申請者を拒絶するかのような手続きの煩雑さを誇る。実にちぐはぐなのである。
両制度とも、主に地域農業を維持するための活動、つまり水路や農道、のり面といった共用部分の維持管理に交付金を出す。草刈りや溝さらいといった共同作業にいくばくかの金で報い、集落の維持につなげてもらうのが狙いだ。中山間地域等直接支払制度が名前の通り中山間地を対象にし、多面的機能支払交付金が平地も対象にするのが、最も大きな違いだ。重なる部分が多く、2つ同時に申請することも多い。
中山間地域等直接支払制度を例にとると、申請時に農業者団体が作る必須の書類は、8つある。事業計画に活動計画、構成員一覧、対象となる農用地の地図、集落の将来像など。活動後も、活動の記録から出納簿、報告書などの提出が控える。制度の説明資料には「以下の点にご留意下さい」という注意書きがある。
「集落協定の事務作業が一部の者に集中していないか、事務作業を担う者への報酬が適正な水準となっているか等について、協定参加者で点検・確認を行いましょう」
これは、事務負担の集中に苦しむ人――筆者の知る限りで特に地区のリーダーである区長――が絶えないことの裏返しだ。
この制度は、条件不利地での活用が期待されている。申請する集落の多くは、限界集落だろう。煩雑な申請書類を手書きで提出する猛者は少ないはずだから、申請業務を担えるのはエクセルなどの表計算ソフトを扱える人に限られる。面倒な業務を進んで引き受ける人はまずいないので、集落の中で何か役職を持つような、断りづらい状況の人に白羽の矢が立つ。条件を満たす人は何人もおらず、一度この役に当たった人が「今年も頼む」と“無間地獄”に引きずり込まれるのだろう。
筆者の知る最悪の例は、両制度の申請を任され、うつ病を発症したというものだ。慣れない交付金の申請とその後の報告を60代、70代になって任されるのは、かなりのストレスだろう。集落のためという大義名分というか、周囲からの圧力を前に「割に合わない」と投げ出すわけにもいかない。うつ病は極端な例に違いないが、制度を使ったことのある2万5000を超す集落の少なくないところで、程度の差はあれ問題が起きているはずだ。
「事務負担の軽減は命題だ」
農林水産省も問題意識は持っている。「事務負担の軽減は命題だ」。多面的機能支払交付金を担当する農地資源課はこう話す。提出書類の削減、記述式を選択式に変更するといった簡略化は毎年のようになされている。農水省は事務を外注に出すことも勧めていて、先ほどの「以下の点にご留意下さい」には続きがある。
「事務作業の担い手がいない等の場合は、集落協定の広域化等による専従職員の配置や、交付金を活用した事務の外注化を検討しましょう」
行政書士や近隣の土地改良区などに作業を外注し、受け取る交付金から外注費を捻出せよということだ。とはいえ、集落が得る交付金は2019年度の実績で全国平均が207万円で、平均24人が参加しているので、1人当たり8.7万円にしかならない。これでは、参加者の取り分をさらに減らして外注しようとはならないだろう。だから、複数の集落が一緒になって、外注するなり専従職員を雇うなりせよと言うのだ。
ただ、これは言うほど簡単ではない。集落での事前の話し合い、各集落の役員を集めた会議などに要するエネルギーとコストは、とてつもないはずだ。
事務負担の軽減を問い合わせたとき、首をひねってしまう場面があった。中山間地域等直接支払制度を担当する地域振興課から「農水省として電子申請化を進めており、活用する方向に動いている」との回答があったのだ。電子申請にすると、申請に必要な圃場(ほじょう)の地図データのやり取りが容易になるという。
それは、確かにそうかもしれない。が、現場が求めていることは、そんな微調整なのだろうか。事務作業を押し付けられた初老の男性が、居間だか台所だかで領収書と電卓と分厚い紙ファイルを前に、報告書のことを思案している。こんな光景が現実ではないかと思うのだが、霞が関が想定する現場というのは、一体どんなところなのだろう。
新規就農支援のはずが使い捨てに拍車か
ここまで、補助金の使いにくい例を見てきた。一方、きわどい使い方や不正利用が多いのも、農業補助金の特徴だ。本来の目的を逸脱して使われがちなものに、農業法人が新規就農者を雇用する際に使える「農の雇用事業」がある。そのうちの「雇用就農者育成・独立支援タイプ」では、「農業法人等が就農希望者を新たに雇用して実施する研修に対して支援」する名目で、年間最大120万円が最長2年間、雇用する側に支払われる。
※ 農の雇用事業には、このほか「新法人設立支援タイプ」「次世代経営者育成タイプ」といった研修支援もある。
研修といっても、現場での農作業が主になる。農業法人にとってみれば、新規就農者を雇って現場で作業させ、研修という体にすれば、支払う給与が交付額分浮く。農水省就農・女性課は「あくまで研修費を支援するもの」と説明する。が、理念はどうあれ、研修生を使い捨てよろしく酷使する農業法人が絶えなかったのは、残念ながらこの制度の存在に負うところが大きい。
農の雇用事業で研修を終えた1年後の農業への定着率は、全国平均で66.1%(2018年度、農水省調べ)。つまり、33.9%が研修後1年以内に農業をやめている。就農・女性課によると、定着率の改善のために農業法人に対し、2017年から一定の定着率(1年目、2年目、3年目を調査)を満たすよう求めている。17年からは定着率が3分の1以上、18年からは50%以上ないと、事業を利用できなくなった。したがって、研修生を切り捨て可能な雇用の調整弁と捉えるのは、以前と比べて難しくなってきている。
なお、この事業が新規就農者の積極的な雇用と、一定期間を経た後の雇い止めにつながっているという筆者の主張は、就農・女性課に全否定された。これまでそういう指摘はなかったそうだ。では、筆者が各地で見聞きした研修生の使い捨てを、一体どう考えればいいのか。「信じるか信じないかはあなた次第です」という怪しげなことを、言い捨てておくしかなさそうである。
農地バンクの協力金は大盤振る舞い
補助金が本来の目的からはずれた使い方をされたら、行政も被害者だと言えるかもしれない。一方、制度設計からしてどうなのかと感じる補助金もある。農地バンク(農地中間管理機構)の「機構集積協力金」だ。農地を農地バンクにまとめて貸し付けた場合に地域や地権者に払われる。
農地を流動化させ、有力な借り手に集約し、農業の効率を上げ、持続可能にする。そんな農地バンクの目的を達するには、協力金が必要だと考える読者もいるだろう。確かにその通りだ。が、農地バンクの立ち上げ当初、既に行われていた賃貸借を、改めて農地バンクを通すことが横行し、その場合も協力金が支払われたと聞けばどう感じるだろうか。行政は農地バンクの利用実績を高め、地域や地権者は協力金を得ることができた。
公然と行われ、おとがめはなかった。というか、担当する農水省農地政策課によると、問題ないのだそうだ。農地バンクで貸し借りを仲介する農地が増えるほど、交換分合(分散した農地を使いやすいようにまとめること)がしやすくなると考えるから。
「よりまとまった農地利用につなげやすいという趣旨で、仮に既存の貸借があったとしても、農地中間管理機構を通じた貸借に切り替えていただくのは望ましいことだと考えています」(農地政策課)
とはいえ、既存の貸借がありながら、農地バンクを通したからと協力金が出るのは、いかがなものか。行政と農地の貸し手、借り手にとっては三方良しだったのかもしれない。が、納税者にとってはどうか。おかしいのではないかと指摘する声は、農業現場にもあった。不問に付されたこと、今でも問題ないとされることに、釈然としないものを感じる。
農水省のホームページには「逆引き事典」というコーナーがある。事業名から探すのではなく、こういう主体がこういう目的で使える補助金や融資制度はないかと、利用者や目的、品目、年度などを指定して検索できる。非常に分かりやすい、良い仕組みだと思う。
一方、農業補助金の歩く「逆引き事典」と言えるようなコンサルタントも、少なくないと聞く。補助金を本来の目的に使う指導なら良いのだが、どうすれば高額を取得できるか、いかにぼったくるかの指南も少なくないのだとか。その活躍の成果か、補助金の獲得にまい進する農業法人をよく見かける。とにかく補助金をとりたいという熱意はひしひしと感じるが、一体何をしたいのか、話を聞いても見えてこない。
補助金の恐ろしいところは、国庫を蚕食して甘い汁を吸ったつもりが、逆に補助金なしにはやっていけなくなり、腑(ふ)抜けのようになってしまうことだ。農業補助金は、果たしてこれでいいのだろうか。