阿蘇の野焼きって一体何なの?
褐毛(あかげ)和種の「あか牛」が放牧されている風景で知られる阿蘇の草原。日本一の広さがあり、2.2万ヘクタールという面積は、沖縄県の石垣島と同程度だ。
阿蘇地域では、人々が広大な草原と共生してきた歴史がある。草原に生える草は牛や馬の放牧だけでなく、茅葺(かやぶ)き屋根にも利用されてきた。
もともと火山活動が活発な阿蘇は、大きな木は育たず草原になる土地だ。奈良時代に書かれた「日本書紀」に、すでに阿蘇に広い草原があったとの記述がある。
とはいえ、手入れをしなければ草原は荒れ、雑多な草木が生えるヤブになってしまう。
整然とした草原を維持するために長年行われてきたのが、春に枯れ草を焼き払い、新たな芽吹きを促す「野焼き」だ。長いものでは1メートルを超えるほど伸びる茅(かや)などの枯れ草を、一斉に焼き払う。一説には1000年近く前から行われているとも言われている。
阿蘇エリア各地で行われる中で大規模なものの一つが、約60ヘクタールを対象とする草千里の野焼きだ。地元関係団体、阿蘇市、熊本県等で構成する「草千里野焼き実行委員会」が主催し、のべ2000人もの人が関わる一大プロジェクトである。熊本県の担当部門である企画振興部・地域振興課の河津慶彦(かわづ・よしひこ)さんに、野焼きについて話を聞いた。
「自分も阿蘇出身のため、子供の頃から野焼きは身近なものでした。草原を守るために必要な行為だと知ったのはだいぶ後になってからですね。阿蘇は雄大な自然が魅力ですが、決してありのままの姿ではなく、人の手で守ってきた自然、土地の歴史や文化と密接に結びついた自然だと思います。日本国内で野焼きをしているところは少なく、大分や山口、岡山や静岡でも行われていると聞きますが、これほど大規模なのは阿蘇だけかもしれません」
環境を破壊すると思われがちな野焼きだが、野焼きをしない方がかえって草原が荒れるのだという。枯れた草を焼かずに放置しておくと、春になってもスムーズな世代交代ができずヤブになってしまう。
草原がヤブになると生態系が崩れて野生の動植物だけでなく阿蘇の伏流水にも影響が出る。
整った草原の保水力は、大きな木の生い茂った森と同程度と考えられており、森を形成するほど大きな木がなかなか育たない土壌の阿蘇では、荒れたヤブにせず草原を維持することが重要な意味を持つ。
草原が蓄える水量を維持することで、阿蘇を源流として九州各地へ流れる6つの1級河川(大野川・五ヶ瀬川・緑川・白川・菊池川・筑後川)へ供給される水が守られる。また、熊本県内に数多くある豊かな湧水も、阿蘇が水がめの役割を果たすことによって生まれている。
古くから阿蘇をはじめ、下流域にあたる熊本の人々が生活用水や農業用水として利用してきた水は、広大な草原のたまものなのである。野焼きによって守られるものは、牛のための牧草地だけではないのだ。
そんな野焼きも最近では担い手が減っており、継続的に行うのは簡単ではない。河津さんは県庁職員として、どう考えているのか。
「地元の人員で足りない分は、ボランティアで補っています。牛を飼う農家が減っているのも、草原を維持しようという動機付けが弱まっている一因かもしれません。それでも、野焼きは阿蘇の草原を守るために必要な行為だと考えています。行政としては、必要な支援をしながら少しでも野焼きの伝統が長く続くよう取り組みたいですね」
自然が相手の野焼きは、いつでもできる訳ではない。当日はもちろん、前日が雨でも火が燃え広がらないため決行できない。また、強風時も危険なため見合わせとなる。2020年の草千里の野焼きは、悪天候により4度も延期されたという。穏やかな晴天を祈りながら、当日の取材に向かうことになった。
いよいよ、草千里の現場へ
野焼き予定日であった2021年3月6日の朝、草千里は濃霧に包まれていた。ひいき目に見てもこれは無理じゃないかな、と不安を感じつつも、皆で霧が晴れるのを待つ。
草千里の野焼きは大規模で関係者の数も多く、延期する場合も日程調整が難しい。多少条件が悪くても、できる限り予定通りに決行したいのが本音だ。
多人数のボランティアを管理しているのが「公益財団法人阿蘇グリーンストック」である。霧が晴れるのを待つ間に、阿蘇グリーンストックの専務理事である桐原章(きりはら・あきら)さんに話を聞いた。
「事前に1日がかりのボランティア講習会を行っています。危険を伴う作業ですから、座学で学んだ後に作業訓練まで修了した人だけが、野焼き現場に入るという仕組みで運営してきました。野焼きにすっかり魅了され、何年、何十年と続けてボランティアに加わってくださる方も多く、ありがたいですね。今後はより若い世代を募りたいです」
火消し棒などの道具などを見せてもらっていると、霧が晴れるどころか小雨が降り始め、草がしっとりと水気を含んできた。こうなってしまうと、霧が消えても火が燃え広がらない。さらには強風注意報が出されたため、この日の野焼きはやむなく延期の判断となった。
この日は野焼きそのものを取材することはかなわなかったが、焼く範囲を管理する「輪地切(わちき)り」作業について桐原さんから話を聞いた。
輪地切りとは幅6〜10メートルほどの防火帯・緩衝帯のことで、野焼きの下準備としてとても重要なものだという。夏の終わりから秋にかけて、余計な草などを払って少しずつ作っていく。輪地切りの長さは、阿蘇地域全体で530キロメートルにも及ぶ。直線距離にすると、阿蘇から滋賀県の琵琶湖周辺まで到達する長さだ。
スケール感の大きさに改めて圧倒されながら、阿蘇を後にした。
過去、現在、そして守るべき未来のために
その後も3回ほど悪天候により延期となり、4度目の設定となった3月25日。
ようやく晴天に恵まれ、風も穏やかな朝がやってきた。多くの人たちが集まり、忙しく動いている。
火消し棒を持った部隊が集結していた。確実な作業が求められる火消し部隊は、選ばれし者たちなのかもしれない。かっこいい!
いよいよ点火が始まる。危険と隣り合わせの作業であり、特に神経を使う。ベテランが地形を見て、風を読みながら少しずつ火をつけていく。
乾燥した枯れ草から、たちまち炎が上がる。風向きにもよるが、ものすごく煙い。むせながら撮影する。
突風などに起因するやけどのほか、斜面地での転倒によるけがが発生することもあり、ごくまれにではあるが死者が出ることもある。危険を冒し、時に命がけで守られてきたのが、阿蘇の草原なのである。
火消しのタイミングを見極めるのも難しい仕事だ。安全のため一度に広範囲を焼きすぎないよう注意し、不要な枯れ草を焼ききったところで確実に消火しなければならない。
道路や輪地切りの境界に立ち、延焼せぬよう様子を見守りながら、必要に応じてジェットシューターと呼ぶ消火用の放水器具を使って火を消していく。
表面の枯れ草を焼き払われた草原は、1カ月もすると新たな芽吹きの季節を迎える。新緑は阿蘇を訪れる観光客の目を楽しませ、放牧される牛たちの食料となる。
草原の草が深く根を張ることで、地中の保水力は維持される。年間3000ミリほど降る豊富な雨はしっかりと蓄えられ、6つの1級河川へと流れていく。
燃え盛る炎と立ちのぼる煙が広がったのち、全て鎮火したのはおよそ2時間後。
3度の延期を経て、今年も無事に草千里の野焼きが終わった。
およそ1カ月後に草千里を訪れると、一面に新芽が広がっていた。焼け野原になった草原も、着実に再生しているようだった。
編集後記
阿蘇の草原に春を告げる「野焼き」。
人と自然が共生してきた阿蘇の野焼きは、多くの人の熱意と努力によって続けられている。5月ごろには新芽が伸び、牛たちが放牧される様子が見られるのが、阿蘇で繰り返されてきた光景だ。
春の訪れを寿(ことほ)ぐような青空の下、草千里は燃えていた。