コロナで打撃を受けた農泊の新たな活路、ワーケーション
新型コロナウイルスの影響で打撃を受けた業界は多くあるが、観光業界もその一つ。農業分野では、農家が農業体験や宿泊場所などのサービスを提供する「農泊」が観光に密接にかかわっている。コロナ前は外国人観光客にも人気だった。
一時利用客が減少した農泊だが、農泊を扱う宿泊予約サイト「STAY JAPAN」を運営する株式会社百戦錬磨の代表取締役、上山康博(かみやま・やすひろ)さんによると、地方の古民家や別荘など一棟貸しスタイルが特に人気を集めているそうだ。「コロナ前と比較して、一棟貸し施設の宿泊予約は落ちていません。確かに外国人観光客の利用は減りましたが、その一方で”ワーケーション” といった新たな需要を取り込んでいるからです」(上山さん)
農泊とワーケーションの相性は?
「ワーケーション」とは、WorkとVacationを合わせた言葉で、リモートワークを休暇で滞在する場所で行うこと。インターネットの普及もありオフィス以外で働ける職種が増えた。さらにコロナの影響で「対面でなくても仕事は可能」と実感することも多い昨今。環境の良い農村でゆったりと過ごしながら、必要に応じて仕事をするスタイルが認知されるようになった。一棟貸しスタイルであればスタッフとの接触がほとんどないため、感染リスクも低いと言えるだろう。こうした農泊を活用したワーケーションを「アグリワーケーション」とも言う。
一方、上山さんによると、オーナーの家に宿泊するホームステイ型の農泊は、客の受け入れを停止しているところも多いとのこと。しかし、今後ワクチン接種が進み、人々の旅行ニーズが回復した暁には、こうした施設のニーズは高まるだろうと予想する。「コロナで都市部の雇用が崩れました。都内で飲食や観光の仕事をしていた人が、地方への転職を考えるとき、まずは農泊などを活用して地方での暮らしを体験することから始めるのでは。また、ワーケーションを実体験することで、地方移住や『副業としての農業』という選択肢もでてくる。農泊は地方移住の入り口なんです」(上山さん)
農泊でのワーケーションを通じて地方移住や就農への機運が高まる可能性はあるのだろうか。実際に農泊施設でのワーケーションを体験することにした。
ワーケーションは、ネット環境の整った静かな場所で
ワーケーションの受け入れにおいてインターネット環境は最重要課題。現在は、インターネット環境を整えるための補助金の仕組みもある。
今回、ワーケーションの取材に訪れた徳島県は、全県でインターネットの普及を推進している。2019年末現在、ケーブルテレビの普及率は91.6%で全国1位(※1)。 加入者宅に引き込まれたケーブルテレビ回線端末でインターネットもサクサクだ。
そんな徳島県の西部は四国山地にあり、吉野川の美しい渓谷などの自然が魅力。そこで伝統的に行われてきた農法は「にし阿波の傾斜地農耕システム」として世界農業遺産にも認定されている。
阿波池田駅から車で宿に向かう。所々に苔が生えたアスファルトの山道は木に覆われて薄暗く、傾斜がきつい。数百メートルごとに点在する家は空き屋も多いが、道沿いで草刈りをする人を数人見かけた。ほとんど車とすれ違わないような道でも雑草に覆われないのは、こうした人々の努力のおかげだとわかる。
車で約25分、やっと見えてきたのが農家民宿Largo(ラルゴ)。テレビ番組で取り上げられそうな「ポツンと」感はあるが、手入れが行き届いた一軒家だ。庭はハーブなどの植栽で彩られ、寂しさは感じられない。
Largoを運営するのはこの地で生まれ育った住友桂子(すみとも・けいこ)さん。実母の林雪江(はやし・ゆきえ)さんとともに、客をもてなす。
※1 ケーブルテレビの現状(2020年8月版 総務省情報流通行政局地域放送推進室)
ワーケーション以外の楽しみも
ワーケーションが目的でやってきたとしても、その土地の暮らしを知る機会をスルーしてはもったいない。通常Largoで提供しているサービスも紹介しよう。
庭での野菜やハーブを収穫。新鮮な野菜は食事の材料に
さまざまな野菜やハーブが植えられた庭では、収穫体験が楽しめる。自分で収穫した野菜が食事で使われるというのは、農泊ならではの楽しみだ。
料亭並みの豪勢な夕食も。一人分とは思えないほどテーブルいっぱいに皿が並んだ。色とりどりに工夫を凝らした料理はどれもおいしい。
地元を愛するからこそ始めた農泊
Largoを運営する住友さんはアロマやハーブの講師として活動するとともに、地域貢献事業にも積極的に参加。「生まれ育った場所だからというのもあるけれど、ここではどの季節にも、どの時間にも大好きが見つけられる。大切にしたいものや人ばかりでここが頭から離れることはありません」と語る住友さんの地域愛は深い。
住友さんの実家である林家は、江戸時代からこの地に根を下ろして暮らしてきた。1970年ごろまでは高原野菜や米などを市場に出荷していたというが、傾斜地での農業は大量生産に向かないことから農業の規模を縮小、兼業農家となった。
林さん宅のある”にし阿波地区”では、20年以上前から地域ぐるみで教育旅行の受け入れ事業を行っており、林さんも関西圏からやってくる中学生に農業体験や宿泊場所を提供してきた。子供たちの受け入れは、林さんのような地域の人々の楽しみにもつながっているという。
一方、この地で暮らすのは過酷でもある。四国山地の冬は雪深い。2014年の12月には大雪のため山間部の道路が通行できなくなり、数日間“陸の孤島”に。一時は送電も止まり、電話が通じなくなった期間もあった。
この出来事をきっかけに周囲の人々がこの地を離れていく中でも、ここに住み続けることを決断した林さん。住友さんは母の思いを応援することにし、「母がここで最後まで心地よく過ごせるように」と実家の一部をリフォーム、さらにハーブの仕事の拠点をここに移して「Largo」と名付けた。Largoとは音楽用語で曲の速度を表す言葉で、イタリア語で「ゆったりと」「幅広く」という意味がある。
3年前には合同会社Largoを設立し、会社組織として農泊の支援事業も行うように。宿泊だけでなく「野遊びプラン」といった農業体験やバーベキューなどの会場利用にもサービスの幅を広げている。
アグリワーケーション~不便さも仕事への集中力に変える
Largoでは、昨年コロナの影響で一時的に宿泊サービスを中断したものの、最近ではワーケーションの受け入れも開始した。
利用客は経営者層が多いとのことで、静かな場所で集中して仕事、たまにテレビ会議、といった数日を過ごすそう。山深い場所にあるLargoだが、もちろんインターネットの接続に関して問題が起こったことはないという。
さらにLargoの意外な魅力は「最も近いコンビニまで4キロ」という立地かもしれない。都市では当たり前のものが“ない”ことへの諦めも、仕事への集中力を高めてくれる気がした。そして、その不便さはアグリワーケーションならではの「非日常感」の演出にもつながる。
不便さと非日常感を上手に共存させる“かすがい”のような存在が、住友さんと林さんの気遣い。利用客の様子を見て声掛けや対応の頻度を調整する細やかさだ。
人を受け入れることで、地域を存続させる
Largoからさらに山を登ったところにも数軒の家があったが、ほぼ空き家。しかし、点在する畑では家庭菜園のレベルだが作物を作っていた。住友さんによると、今はここに住んでいない持ち主でも、定期的に手入れに訪れるとのこと。この地を離れてもなお、ここでの豊かな暮らしを愛して、今の暮らしと両立しようとしているのかもしれない。
住友さんはこうした空き家なども活用して、地域を持続させていきたいと話す。「住まなくても、訪れてくれるだけでいいんです。ここの伝統や良さを伝えていけたら」と、住むには難しい場所だからこそ「訪れてもらう」ための工夫を模索している。アグリワーケーションでの民家の活用も、その工夫の一つだ。
これからのアグリワーケーションのニーズは
先に登場した株式会社百戦錬磨の上山さんは、今後も旅行先として「密」の反対の「疎」を求める傾向は続くだろうと予想している。また、外国人旅行者が以前のように入国するようになれば、彼らも日本でワーケーションをするだろうとも語る。特にヨーロッパからの観光客は長期滞在型で暮らすような旅の仕方を好むため、リモートで仕事ができればさらに滞在期間が長くなるかもしれない。そうすれば、アグリワーケーションのニーズが高まる可能性は高い。
総務省の統計によると、2020年5月に東京からの転出の数が転入を上回った。翌6月はまた転入が上回ったものの、その後も転出超過の傾向にある(※2)。
「今は農泊の夜明け前ですよ」と、農泊の施設の整備を進めるべきと語る上山さん。農業の副業としての農泊サービスへの展開や、都会でのサービス業経験者の就業の受け皿にもなる可能性があるという。
地方移住をしたい人にとっても、移住者や旅行者を受け入れたい地方にとっても、アグリワーケーションは魅力的なツールであることは間違いない。
※2 統計Today No.161(総務省統計局)