継がないと決めていたのに農家の6代目になった理由
種子さんは200年続く農家の6代目。しかし、元々は後を継ごうと思っていなかったのだそうです。小さい頃から、家族で出かけることもままならず、年に1回出かけられる日はお正月だけ。参観日に来る親の手は土で汚れていて、毎日一生懸命働く姿をそばで見てきました。そんな農業の大変さを間近で見てきたからこそ、自分にはできないと考えていたのです。
高校卒業後、東京の大学に進学して司法書士を目指すことにした種子さん。試験になかなか合格できず、卒業後も都内でフリーターをしながら勉強を続けていた頃、親から「赤字続きだから、農家はやめる」と連絡が入りました。「うちの家は、初代から数えると農家を続けて200年以上。これまで守られてきたものが、いざ、自分の前でなくなるということに直面した時、心が揺らぎました。勉強は通信講座でもできる、でも農業は青森でしかできないと思い、実家を手伝いに戻ることを決めました」と当時を振り返ります。
農家の手伝いを始めた種子さんは、初めて見た帳簿に衝撃を受けたそうです。年間の売り上げもわずかで、完全に赤字の状態でまさに火の車。種子さんが大学に進学した際は、「金のことは気にするな」と言ってくれていただけに、感謝と申し訳なさで胸がいっぱいになりました。どうにか経営を立て直さなければと強く感じた種子さんは、そこから奮闘を始めます。
まず取り組んだのは、インターネットによる直売システムの構築です。それまでは農協を通じて販売していたため、売上額から3割程度が、手数料として引かれていました。農協を通さずに販売するためには、売り先を確保しなければならない。種子さんは、自らネットショップを開設しようと考えて、ホームページを作成するためのHTMLなどを独学で学び、公式サイトを立ち上げたのです。当初、親からは「小遣いくらいは稼げ」と言われてスタートさせましたが、売り上げは右肩上がりで伸びていって、最終的には「販売は任せる」と言われるまでになりました。
さらに、作業効率を上げられるよう、それまでは枝豆などの他の作物も栽培していましたが、ニンニクだけに絞りました。農園で作られるメインの作物であるニンニクだけにこだわって作りたいという思いも、その根底にはあったそうです。「一生懸命寝る間も惜しんで、ホームページ制作の勉強をしたり、ニンニク作りをしたりしているうちに、いつの間にか後を継ぐことになっていたんですよね。でも、農業って大変ではありますけど、自由に動き回れる仕事だから、実は自分に一番合っていたのかもしれません」と話す種子さんの姿からは、6代目としての貫禄が感じられます。種子さんが就農して3年目には、農園は赤字だった時に比べて1.5倍の売り上げとなり、その後10年目まで右肩上がりで推移しました。
土づくりと種選びにこだわって作られるニンニク
1960年代に「福地ホワイト6片種」という種類のニンニクの栽培が始まった田子町は、ニンニクの一大生産地としても有名です。田子町でとれるニンニクは、大玉で1片が大きく、実がよくしまっていて、雪のように白いのが特徴で、全国的にも質の高いニンニクが作られています。
農園では、土づくりと種選びに力を入れて、ニンニクの栽培を行っています。土づくりについては、クローバーやトウモロコシなどを腐らせずに土壌に入れて耕し肥料にした「緑肥」が使われています。ニンニクは連作障害が起きやすい作物なので、3年植えたら3年休ませて、その後緑肥を植えて、栄養を補うことが狙いです。
また、種選びは、植え付け後に発芽したくらいの段階から進められ、粒の大きさや高さ、葉の色や大きさなど、さまざまな観点から行われます。近頃は、自然環境の変化によって、これまで受け継いできた種だけではなく、寒さや日照りに強い種を選ぶように工夫しているのだそうです。ニンニク栽培の要である種をいかに鍛えるかが、農家の腕の見せどころなのかもしれません。
さらに、種子さんは、おいしいニンニク作りを追求するため、新型コロナウイルスの感染拡大前には、月に1回は東京のレストランを訪れ、ニンニクを生かした料理を味わってきました。「おいしい料理は、ニンニクの複雑さが感じられて、こもったような臭いにおいじゃなくて、とてもいい香りがするんです。そして、ニンニクはにおいだけじゃなくて、味わいも感じられるものですから、そんなニンニクを目指したいと考えています」と種子さんは話します。
「鶏もも一本カレー」が商品化されるまで
そんなこだわりのニンニクを使って作られたのが、レトルト食品の「鶏もも一本カレー」です。作ったきっかけは、種子さん自らがカレーが大好きだったこと。自分が作ったニンニクがたっぷり使われたカレーを、大勢の人に食べてもらいたいと、開発を始めました。また、収益の伸びしろに限界を感じ、現行の経営方針から一歩踏み込んで、カレーなどの加工品づくりにも力を入れ、売り上げを伸ばしたいという思いもありました。
レトルト食品に加工するためには高度な技術が必要なため、知り合いの食のコンサルタントからの紹介で、小さなレトルト食品工場に協力を依頼。その工場は、衛生管理が行き届いており、おいしいものを作るスキルもあったため、種子さんの希望にかなっていたそうです。また、その工場で、軽度の知的障害のある人が生き生きと働く姿を見たことも、レトルトカレーの開発を後押ししました。「こんなに楽しそうに作ってくれるんだったら、うちもこの人たちに作ってもらいたい。この人たちの役に立ちたい」という種子さんの思いが、動きだしたのです。
種子さんがこだわったのは、ニンニクのうまみをいかに感じてもらえるカレーにするかということ。「ニンニクって“臭い”にフォーカスされがちですが、しっかりと味があるんですよ。それをしっかり味わってもらえるカレーを作りたかったんです。ニンニクは決して主役になる必要はないので、主張を消して、うまみを凝縮させることにこだわりました」と言います。ニンニクは火入れしてにおいをとばしてから、すりつぶしてカレーに入れることで、臭みを消しています。1袋あたり3粒と、たっぷり入っているにもかかわらず、ニンニクの主張は強くなく、じんわりと口の中でうまみを感じられるようなカレーが完成しました。
作物の6次産業化については、以前からニンニクを熟成発酵させた黒ニンニクも作ってきた種子さん。小さな農家が経営効率を上げるためだけでなく、安心感や楽しさ、興味深さも届けられるのが、6次化の魅力だと考えています。課題は、どうやって販売を伸ばしていくか。現在は企業のギフトカタログや道の駅、自社のサイトやポケットマルシェなどで販売していますが、今後経営を安定させていくためには、より販路を拡大する必要があると考えています。
「田子ニンニク」を絶やしたくない思いが原動力
種子さんにこれからの展望について聞いてみると、返ってきたのは「おいしいものを作りたい」という返事でした。農園が赤字で大変だった時に、たくさんの人に手を借りて、なんとか乗り越えたからこそ、おいしいものを作ることで恩を返したいと考えているそう。また、昨年結婚した種子さんのパートナーは、正統派のフランス料理店の元シェフ。今後はその力も借りて、ニンニクを使った新たな食を売り出すことも検討しています。
ただ、懸念しているのは、田子町のニンニク農家の減少と衰退です。田子町はこれまで50年近く、日本のニンニクの生産地としてトップを走り続けてきましたが、人口は年々減り続けています。高齢化が進み、20〜30代の生産者は片手で数えられるくらいまでに減ってしまっているそうです。
種子さんは、「偽善者っぽいから言いたくないけど」と前置きをした上で、こう締めくくりました。「おそらく田子ニンニクは将来的に消滅することは避けられない状況です。でも、そんな中でも名前だけでも残したい。次世代の田子町の子どもたちが『日本一だ』と胸を張って自慢できる郷土の誇りを維持できるように、努力していきたいですね」
ニンニク作りだけでなく、6次化を進め、地方の農業を盛り上げていきたいという種子さん、今後の活躍が楽しみです。
(写真提供:種子にんにく農園)