目的は田んぼの原風景や米食文化を継承するため
リゾートホテル内でさまざまな農体験ができることを売りにしたリゾナーレ那須が開業したのは、2019年11月。場所は栃木県、標高約500メートルの那須高原だ。
星野リゾートは、ここで「アグリツーリズモリゾート」という新しい旅のスタイルを提案している。都会の喧騒(けんそう)から離れ、その土地での農体験や自然体験、文化交流とともにリゾート滞在を楽しむというコンセプトだ。
日本で農業体験をテーマにする以上、稲作に触れないわけにはいかない。ホテルの敷地がほぼ四方を取り囲んだ場所に、たまたま第三者の田んぼがある。これを借りて水稲栽培のアクティビティーを開発できないか。
隣接地に田んぼがあることを条件に買収するホテルを探したとは考えられないから、リゾート滞在を通して米に親しむ人口を増やすという「お米の学校」プロジェクトは、おそらく後付けの理由で始まったと推察する。
星野リゾートは「お米の学校」を、「田んぼの原風景や米食文化を継承する」ためのプロジェクトと位置づけている。この50年間で半減した水稲の国内での作付面積と、同じく半減した国民一人あたりの米消費量に対して、星野リゾートが危機感を抱いて始めた社会貢献活動が「お米の学校」なのである。
経緯はどうあれ肝心なのは、このプロジェクトの実効性、すなわち参加者の意識と行動をどれだけ変え得るアクティビティーなのかだ。
世の中にあまたある田んぼ体験プログラム。これらと比べてリゾナーレ那須の「お米の学校」は、どこがどのように違うのだろうか。また星野リゾートならではの提供価値は、実際にどのような場面で示されるのだろうか。
リゾートホテルならではの田んぼ体験とは
お米の学校ならではの特徴は、「種まきから始まる」という点にある。
「田んぼ体験プログラムは田植えから始まるのが一般的ですよね。これは主催者が忙しいなどいろいろな理由が重なって、種まきをしていただき難い事情があるからです。一粒のご飯のありがたみを伝えたいのであれば、種まきこそ体験・体感していただきたい。私たちが真っ先に検討したアクティビティーは種まきでした」。こう語ってくれたのは、プロジェクトリーダーの林夏菜子(はやし・かなこ)さん。
スタッフ同士で何度も議論を重ねる中で、「お米の一生に触れる」というテーマが決まっていたこともあって、異論は出なかったそう。手間のかかる無農薬栽培に決めたのも、生態系保全に水田が果たす役割を考えれば当然の流れであった。
「お米の学校2021」概要
第1回(4月中旬):種まき
第2回(5月上旬):田植え
第3回(8月中旬):田んぼの観察、火おこし体験
第4回(10月上旬):収穫、はぜかけ
第5回(10月下旬):脱穀、もみすり、精米、羽釜での炊飯体験
料金(大人):5回16,500円/人、スポット(1回参加)3,300円/人 ※宿泊代含まず。小学生料金あり
定員:各回20人
「お米の学校」で気になるのは、畑と温室のアクティビティーは年中無料で体験できるのに、なぜ有料にしたのかだ。
アグリガーデンスタッフの小鷹広之(こたか・ひろゆき)さんが、「お米の学校は人数制限があって宿泊客全員に参加してもらえないため」と説明してくれた。また、現在は新型コロナウイルス対策のため、宿泊者以外の客は参加できないプログラムになっている。
「有料にさせていただいた分、プレッシャーは大きいです。もちろん他のアクティビティーよりも満足度を高めようと慎重に作りあげてきました。体験だけで終わらないところが『お米の学校』ならではの提供価値だと考えています。成功したかどうかは、座学プラス体験を通じて、家族の会話の中にお米の話題が増えたかどうか次第ですね」
地元の農家との連携のかたち
目的と方向性が定まったとしても、難しいのはそれをどのようにアクティビティーに落とし込むかだ。そもそもスタッフの中には稲作経験のある者などいない。そこで野菜栽培と同じように、地元の農家に指導を仰ぐことになった。
水稲栽培の指導者は、自社分と受託分合わせて30ヘクタールの水田を管理している米農家、稲作本店(FARM1739:ファームイナサク)の井上敬二朗(いのうえ・けいじろう)さん、真梨子(まりこ)さん夫妻。
稲作本店から米を定期購入しているスタッフがいたこと、稲作本店が無農薬栽培も行っていたこと、稲作本店が販売しているポン菓子「イナポン」をホテル内のショップで取り扱おうとしていたことが縁で始まった関係だ。
「井上さん達に教えていただいている中で、これだけ強い思いを持っている人の話こそ、お客様にお聞かせすべきなんじゃないかと思い至りました」(小鷹さん)
何事についても言えることだが、一人称で実体験を語るからこそ聞き手の心情に訴えかけ、心に残せるもの。全5回のうち3回は、ゲストスピーカーとして井上さん夫妻が、稲作農家の実情や自分たちの思いを直接伝えるプログラムになっている。
「アグリツーリズモリゾートでは、点ではなく面で生産者の思いを伝えていくことを戦略に据えています。ホテルのアクティビティーで先生役を務めていただくだけでなく、宿泊後にもお客様と生産者がつながれるような仕組みを作りたいですね。これまでのグリーンツーリズムには生産者の負担が大きいという問題があります。この負担を私たちがどうやって減らすか。私自身がグリーンツーリズムに携わった時の反省の上に立って検討を進めています」(小鷹さん)
そもそも星野リゾートでは、全国の施設がそれぞれの地域で育んできた文化や生産活動を、体験価値として提供することを方針に掲げている。リゾナーレ那須であれば、那須の発展につながる農業に取り組んでいる生産者と消費者をつなぐことがその価値というわけだ。
これには前述のような農体験だけではなく、生産者のストーリーを知った上で商品を購入したり味わったりするといった体験も含まれている。実例をひとつ挙げると、リゾナーレ那須が牛乳を仕入れている森林ノ牧場との関係がある。コロナ禍で出荷できずに廃棄せざるを得なくなった森林ノ牧場のジャージー牛乳を購入して食品ロスを削減し、「星野リゾートのミルクジャム」を開発。自社工場で製造して施設のお土産にしたり、スイーツメニューに用いたりしている。
参加者の反応から見えてきたもの
「お米の学校」は各回約2時間で構成されている。農作業については子供でもつらいと感じない程度で終わる時間配分だ。
9時に田んぼに集合し、まずはクイズ中心の座学を30分ほど。最初のやり取りは毎回、「今日の朝ごはんは何を食べましたか?」で始まる。
毎回パンを食べた人の方が多い。これに動じず林さんがクイズを次々出していって場を温めていく。
クイズは子供でも答えられるように工夫されていて、とても興味深い。実際には子供よりも親の方が喜んでいたりするのだが、これはこれで構わないだろう。
田植えの途中で急に雨が降ってきた時のことを林さんが話してくれた。
「途中で田植えをやめましょうとお伝えしたら、子供も大人も目標どおりやり切りたいとおっしゃってくださったこと、一体感が生まれたのがうれしかったです。お客様を濡らしてしまうのは、ホテルとしての快適性追求と真逆ですから、続けるという判断に勇気がいりました」
「火おこしに苦労したご家族もいらっしゃいましたけど、みなさん一生懸命取り組んでくださいました。何より炊いたご飯を残さず食べてくださったのがうれしかったですね。火おこし体験は普段のアクティビティーに組み込んでもよさそうです」(小鷹さん)
クイズに対する参加者の回答から見えてきたものがある。それは我々の想像以上に米や稲作に対する世の中の関心は低いという現実。何も知らないという事実だ。これらを受け止め、農と食にかかわるプロとしてできることは何かをあらためて考えさせられる機会になった。
収穫した米の用途
施設内の畑で収穫された野菜の一部はレストランで宿泊客に提供されているが、田んぼで取れた米はどうなるのだろう。じつは米作り初年度だった昨年、スタッフが初めて作った米は、一粒たりともレストランで用いられることはなかった。理由は、星野リゾートが用いる米の品質基準を満たしていないためだ。
となると食品ロスの観点からも、なおさらリゾナーレ那須で取れた米の行方が気になる。
はたしてレストランで提供されることはなくとも、ほぼ全量が宿泊客の胃袋に入る仕組みになっていた。具体的には、甘酒やポン菓子に加工されて施設内で提供されているのだ。それでも使いきれない米は、昨年は年末年始期間のプレゼントとして宿泊客に配布された。
農作業が他のスタッフに与えている影響
水田と畑と温室の作業は現在、基本的にアグリガーデンスタッフだけで回しており、人手が必要な田んぼの除草のみ他のスタッフが加わる体制になっている。
アグリガーデンスタッフからは「農」に対する熱心さは伝わってくるが、どうしても気になってしまうのが他のスタッフはどうなのか、だ。
ごく一部の者たちの活動にとどまり組織力を十分に発揮できない状況は、異業種がアグリビジネスに参入した際に起きがちな問題だからである。日本初のアグリツーリズモリゾートをうたう以上、宿泊客に対してすべてのスタッフが施設で栽培している作物や地域の農業の魅力を伝えられるようになっていてもらいたい。
星野リゾートのホテル運営はスタッフ全員がすべての業務をこなすマルチタスク制であり、専門スタッフだけで回している農作業と農体験アクティビティーは、例外的な対応だ。だが、スタッフ全員が一定レベルの農業知識を身につけない限り、星野リゾートが目指す農体験によるおもてなしなど実現できるはずはない。いまの運営体制でよいのかには疑問を覚えた。
「将来的にはアグリガーデン業務もマルチタスクに組み入れられるように、マニュアル作成の仕組み化を進めています。アグリツーリズモリゾートを創りあげたくて、希望して異動してきた者も多いですから」と小鷹さん。
アグリガーデンスタッフが出題する社内試験が2カ月に1回あり、多くのスタッフが満点を目指して予習に励んでいるのだそうだ。
理想を実現するための課題
コロナ禍での初開催となった「お米の学校」。全5回のうち3回を終了した時点で既に見えてきた問題が2つある。それは、受け入れ人数が少なすぎる点と、複数回参加する人がほとんどいない点だ。
「種まきから米づくりの一年を体験できる」「田んぼという日本の原風景をお客様と一緒に作る」を宿泊客に実感してもらうには、まだまだ課題は多い。
「お米の一生を体感できるプログラムですから、複数回参加してくださるお客様が大勢いらっしゃるはずだと想定していました。ですから一度ですべてをお伝えすることは考えていなかったんです。今後は1回の参加でも、ご飯をもっとたくさん食べたいという気持ちを持ち帰っていただける内容に改善していきたいですね」(小鷹さん)
「いまのペースでお米が減っていった時に何が起きるのか。この田んぼでの体験やご飯のおいしさを通じて、食べ物や自然について考える機会をご提供したいのです。もちろん田んぼでのアクティビティーの受け入れ人数は増やしていきます」(林さん)
「楽しかったで終わらないようにしたい」という2人の言葉は、リゾナーレ那須のスタッフ全員に浸透していくはずだ。
「お米の学校」プロジェクトは、いわば1粒の種もみから育った1本の苗が水田に根付いたばかりのような段階。はたして本物のイネのように1粒から1000倍にまで増やせるかどうか。今後の育ち具合を見守っていきたい。