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米と水田の価値を最大化する「稲作革命」。農家が設立した営業会社で実現

竹下 大学

ライター:

米と水田の価値を最大化する「稲作革命」。農家が設立した営業会社で実現

岡山県でカフェを経営していた夫婦が、突然病に倒れた父の仕事を引き継ぐために栃木県でコメ農家になった。その時の栽培面積は22ヘクタール。
やむを得ず飛び込んだコメ専業農家の世界。知れば知るほど増すばかりの農業界への疑問と両親との価値観のすれ違い。
当初0%であった直売比率を一気に高めることに成功している、井上敬二朗(いのうえ・けいじろう)さんと真梨子(まりこ)さんに、就農4年目の本音を聞いた。
さらに、ふたりが掲げる「稲作革命」とは。

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コメ農家の仕事を夫婦で引き継いでみて驚いたこと

敬二朗さんと真梨子さんが、栃木でコメ専業農家になったのは2018年3月。前年9月に真梨子さんの父が病に倒れたことがきっかけだった。約5年間続けたカフェを畳んでのこの決断について、敬二朗さんは当時の気持ちをこう語る。

「とても母ひとりで対応できる状況ではなかったですし、カフェを売却して栃木への移住を決めました。ただ、いったんは引き受けるにしても、農家をやめるという選択肢も視野に入れてです。もし農家を継ぐことが絶対条件だったら、農業を始めることはなかったかもしれません」

敬二朗さんは証券会社、監査法人、環境ベンチャー、真梨子さんはSE(システムエンジニア)、監査法人という職歴だ。ふたりは2社目の有限責任監査法人トーマツで出会って結婚し、自分たちが本当にやりたい仕事を求めてカフェ経営に行きついた。大学卒業後、敬二朗さんは16年間、真梨子さんは13年間という期間を経て、コメ農家に転身したことになる。

「帳簿を一目見て、すぐやめてサラリーマンに戻るのが正解かもしれないなって思いました。農家の付加価値生産性の低さは予想を超えていましたから。岡山時代も農村の厳しい現状は知っていましたし、何とか解決したいという気持ちをもって始めたわけなんですけど、両親とぶつかる度にこの田んぼから逃げる方法はないか画策してましたね……」と敬二朗さん。

だが、葛藤の日々眠れぬ夜を乗り越え、ある時ふたりは稲作に可能性とやりがいを見つけることになる。怒濤(どとう)の1年目、収穫を終えほっと一息ついた時だったそうだ。

「稲作の良さは、最も機械化が進んでいるという点です。味や収量はともかく、生産するだけなら、多少のことではへこたれないイネの生命力があるので、誰でも割とやりやすい。さらに米は加工しやすく、貯蔵もできる。本気で米の可能性を追求している農家も少ない。じつは商品特性の面から見ればかなりの可能性を秘めているんじゃないかと、見え方が変わってきて」(敬二朗さん)

「もともと私たちは田んぼのある風景を眺めるのが大好きなんです。田んぼと米の消費量が急激に減っている現状に対して、自分たちで何とかしたいという気持ちが高まって、前向きに稲作に向き合えるようになりました。ただおいしいお米を作るだけじゃなく、米食文化について伝えたり、環境保全や生態の保全に役立っている田んぼの価値を知ってもらうことを目標にしよう。ここが『稲作革命』の出発点です」(真梨子さん)

真梨子さん

画像提供:FARM1739

儲かる農業への試行錯誤

目標は定まったものの、目の前に突き付けられた厳しい現実が変わるわけではない。

栃木県那須町、標高約400メートルの中山間地域に、ふたりが営む稲作本店の水田はある。起伏のある緩やかな東斜面に1枚0.2~0.3ヘクタールほどの田んぼが不規則に並ぶ。周囲は山林。その縁にポツンポツンと見える民家。住居以外の建物は、稲作本店の作業場だけ。サッカーグラウンドがいくつも並ぶような平地の水田とは異なる。作業効率を高めようにも思うに任せない土地柄だ。

現在の栽培面積は30ヘクタール(自社20ヘクタール、管理受託10ヘクタール)。自社圃場(ほじょう)は、「コシヒカリ」15ヘクタールと飼料米「べこあおば」が5ヘクタール。管理受託分も全量コシヒカリだ。自社圃場のコシヒカリは、1ヘクタールが無農薬栽培で、残り全てが減農薬栽培となっている。

事務所

FARM1739とTINTSの事務所と作業場

販売会社設立は両親との大げんかから

稲作本店は屋号ではなくブランド名で、生産会社の株式会社FARM1739(ファームイナサク)と販売会社のTINTS(ティンツ)株式会社の2社体制で事業を行っている。
カフェの売却で得たお金を資本金にして設立したTINTSは、両親との大げんかがきっかけだったそうだ。

「僕らが販路開拓したいと言うと、『いらんことするな。農協に出しとけば一番楽だから』と言われてしまって。うちの場合、栽培するのが仕事で、営業は仕事としては認められませんでした。これでは営業活動に関わることすべてがボランティアになってしまいます。さらに僕たちが投資したい方向と親が投資したい方向が、まるで一致していなかった。販路開拓を進めるには、営業会社としてのTINTSだけで独立採算できるようにするしか方法がなかったんです」(敬二朗さん)

「みんながお米について、守りに入ってる。逃げていく。そんな中で攻めていけば勝てるはず。ふたりの間ではチャンスは必ずあると話していました」(真梨子さん)

コメ農家は儲かってないのに、米屋さんの中にはうまく儲けている人が大勢いる。そう感じた井上さんたちは自分たちの米をTINTSで販売し始めた。誰もが一度は考える直接販売。直売比率を向上させられれば少なくとも今よりぐっと収益体質になる。問題は、そこまでやり続けられるかどうか、やり抜けるかどうかである。

「最初は那須エリアのホテルへの飛び込み営業から始めたんですけど、ぜんぜん売れませんでした。話すら聞いてもらえないこともざらで。何とかやっと1軒だけ決まって、そのお店の常連さんが有名な占い師の方で、うちの米がとてもおいしいとブログで紹介してくれたんです。これが稲作本店の米を知ってもらうきっかけになりました」(敬二朗さん)

その後も壁を突破できた要因は、売れるまで営業し続けた粘り強さと、人との縁だという。那須で人気のみそ屋「蔵楽(くらら)」や那須地域の食材を提供する複合施設「Chus(チャウス)」での取り扱いも決まり、仲良くなったオーナー達が口コミで広げてくれたそうだ。

「『あいつら頑張っているからどうにかしてやろうぜ』という人がいらっしゃって。みそ屋さんが大きなホテルの料理長に紹介してくださったことで、そのホテルでの採用が決まったりとか。とてもありがたかったですね」(敬二朗さん)

「ただおいしいお米だと伝えるだけでは売れませんね。どういう思いで、どうやって育てているかまでをお伝えしないと。スペックと価格だけで比較されるようになったらおしまいです。あの頃は必死さも価値になっていたのかもしれません」(真梨子さん)

田植え

画像提供:FARM1739

農協出荷比率を下げ、直接販売比率を高めていくための試行錯誤

一般的にコメの場合、100%農協出荷していたら利益はほとんど残らない。兼業農家であればそれでもよいのだろうが、専業ではそうはいかない。だが直接コストの削減は、既に限界だ。

井上さん達の直販比率の推移を、食用米のコシヒカリで示すと次のようになる。
1年目が5%(2018年産)、2年目が16%(2019年産)、3年目が29%(2020年産)と右肩上がり。4年目の今年(2021年産)は、50%を目標にしているそうだ。

「農家って、時間的な余力ができると面積や生産量を増やしたり、新しい作物の栽培を始めたりしてしまいがちなんです。でも、それだと付加価値をつける前に、品物を買い取ってもらうことになります。だから私たちは、余力はすべて販売に向けると決めています」(真梨子さん)

「『売れるかどうか』でなくて、『売る』と決める。どうしたら売れるかを考え続け、欲しい人が必ずいるはずだと信じて、売れるまで売る。『売れるかどうかわからないと思っている時点で、売れない』というのは、新卒で最初に入った証券会社時代に学びました」(敬二朗さん)

たしかに6次産業化の成功事例が少ないのは、商品の付加価値を明確に伝えられないまま、結局は流通に販売を委ねてしまっているケースが多いからなのかもしれない。
井上さん達は、就農直後に両親が行っていたアスパラガスの生産をやめ、栽培しやすいイネ「なすひかり」の作付けもやめた。コシヒカリ1本に絞ったのは、自分たちの水田で一番おいしい米が取れる品種だったからだ。

収穫

画像提供:FARM1739

米のパッケージデザイン

稲作本店の米袋のパッケージデザインは主張しすぎずおとなしい。コシヒカリだと気づいていないお客さんも多いそう。

「お客様の立場で考えると、でかでかとした文字が並んでいる米袋は、店頭での視認性という意味では便利ですが、実際に買ってみてうれしいデザインかというと、どうなのかな?と思っています」(真梨子さん)

「消費者はお米をお米として認識したいわけではないんじゃないでしょうか。米袋って、すぐに見えないところにしまいたくなるデザインが多いですよね。きっとお客様は、キッチンやリビングで米袋が目に入った時、誰かの贈り物にしたい時に素敵に見えるものが欲しい。そういう視点がお米のパッケージにも必要なんじゃないでしょうか。だって、お米は日本の家庭で一番身近な食材なんですよ」(敬二朗さん)

「どうすればお客様に選んでいただけるか。ほんの小さなことでも、毎日のようにふたりで話し合っている感じですね」(真梨子さん)

米袋

稲作本店の特別栽培米5キロ(画像提供:TINTS)

初の6次産業化商品「イナポン」

稲作本店最初の加工食品は、ポン菓子の「イナポン」だ。2019年4月からTINTSで製造販売しており、典型的な6次産業化の商品といえる。成功事例が少ない6次産業化だが、稲作本店の場合はどうなのだろうか。
イナポンは想像以上に活躍してくれているそうで、販売実績は2万袋を超えた。米だけでは難しかった、自社の存在を対外的に知らせる広告塔の役割を果たしているのだそうだ。

「イナポンを発売したことで、お米の売れ行きがよくなったんです。お米はダメでもイナポンなら取り扱っていただけるケースが何度もあり、イナポンが呼び水になって大口のお米の販売に結びつくケースも出てきました」(敬二朗さん)

イナポン

TINTSが製造している自社米で作ったイナポン(画像提供:TINTS)

ポン菓子機

ポン菓子機導入は、設置費用も含めて約100万円の投資(画像提供:TINTS)

イナポンに続く第2弾は「おいしい米粉」で、自社で製粉するコシヒカリの米粉だ。唐揚げやお好み焼きに最適で、お米と一緒に買うリピーターも多いそう。また第3弾としてデビューしたばかりの「純米甘酒」は、無添加で原材料はお米のみ。砂糖の甘さではなく、お米だけの甘みと米こうじのうまみが際立つ。こちらは、地元で有名な有限会社岩上商店に製造委託しているそうだ。

おいしい米粉

TINTSが製造している「おいしい米粉」(画像提供:TINTS)

純米甘酒

製造委託している自社米を原料にした純米甘酒(画像提供:TINTS)

星野リゾート リゾナーレ那須との関係

リゾートホテルに宿泊しながら、農業体験ができる星野リゾートのリゾナーレ那須。施設内にある水田、畑、温室の面積は、それぞれ85アール、13アール、3.3アールと本格的だ。井上さん達は水稲栽培をホテルのスタッフにアドバイスするかたわら、今年(2021年)から始まった「お米の学校」でゲストスピーカーを務めている。
ただ驚いたのが無報酬だということ。ついつい、リゾナーレ那須との関係は割に合わないのではないか、と余計なことが気になってしまう。

「そうですね。その部分だけを切り取ったら確かにそう見えてしまうかもしれません。でも僕たちは十分すぎるメリットを感じています。そもそも無名の僕たちに、あの星野リゾートさんがお声をかけてくださった。しかも、プレスリリースやメディアにも稲作本店の名前を出していただけるなんて、どれだけありがたいことか。『イナポン』にしても、リゾナーレ那須さんで販売してもらえている実績が、販路拡大にとても役にたっていますから」(敬二朗さん)

「リゾナーレ那須さんにはさまざまな方が泊まりにいらっしゃいます。そういう方々に稲作本店のことを知っていただける。さらに、田んぼの将来についてゲストと一緒に考える場が提供されるんですから、お釣りを払ってもよいぐらいですよ」(真梨子さん)

「開業時の総支配人がこう言ってくれたんです。『お互いにメリットを享受し合える対等な関係でいきましょう!』って。これをお聞きした時に、背中がジワッとアツくなって、信頼できる会社さんだなって思いました」(敬二朗さん)

【リゾナーレ那須】お米の学校記念写真

星野リゾート「お米の学校2021」でリゾナーレ那須のスタッフと(画像提供:リゾナーレ那須)

米と水田の価値を最大化する稲作本店の「稲作革命」はまだ動き出したばかり。にもかかわらず、大企業を巻き込むかたちでその活動の輪は広がりを見せ始めている。それはまた次の機会に語りたい。

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