「変わった商売」をする仲卸業者
私は東京の大田市場で「大治(だいはる)」という青果物の仲卸の会社を経営しています。
大田市場には現在164社の青果を取り扱う仲卸業者が入居していて、それぞれの顧客のニーズに合った商品を、主に市場内の卸売会社から仕入れ、供給をしています。
大田市場のほとんどの仲卸は、スーパーマーケットや八百屋さんなどの小売業者を顧客にしていますが、当社は20年ほど前から外食産業にも納品を開始して、コロナ前には小売業と外食産業に対する売り上げがおおむね半分ずつくらいになっていました。
通常、仲卸業者はほとんどの商品を市場内の卸業者から仕入れます。大田市場は全国から多くの青果物が「向こうからやってくる」場所。わざわざこちらから買い付けに行く必要はありません。しかし大治では「市場外からの仕入れ」が約3割を占めます。つまり、市場外にいる農家に直接買いに行くという、仲卸業者がめったにやらないことをやっているのです。そのため、顧客の構成も取扱商品も同業他社とは異なる「変わった商売」をしている仲卸という評価をいただくことが多いです。
その市場外仕入れの中でも、地元である東京産の野菜と有機野菜は特に力を入れていて、2017年には「一般社団法人東京野菜普及協会」を設立しました。
平成の間で変わった市場をめぐる情勢
こうした商売のスタイルは、1996年に私が家業である大治に入社してから約25年間で徐々に培われたものなのですが、自ら好んで変化したというよりは、顧客のニーズと世の中の変化によって変わらざるを得なかったというのが本当のところです。
バブル期の1989年に大田市場が開設された当初、206社あった青果の仲卸は30年で2割消滅、東京都内で青果を取り扱う9つの中央市場全体では4割近くが閉店を余儀なくされた厳しい状況でした。そんな中、売り上げ規模からすると中堅の部類に属する当社が生き残るには、他にはない特徴を持つ必要がありました。お客さんに競合の大手仲卸と同じ商品を提案しても、価格競争では太刀打ちできないからです。
そこで他社が扱わない「市場には入荷していない商品」を開拓し、取引先に提案するようになりました。市場で商売をしているのに「これ、市場には入荷していないんですよー」という自己否定的な売り込み方法で、なんとか徐々に売り上げを伸ばすことができるようになりました。
「東京野菜」との出会い
北は北海道、南は沖縄まで、面白そうな野菜があれば直接連絡をして取り扱いの幅を広げていたのですが、1998年のある日、ふと「もっと近くにも良い野菜、良い生産者がいるのでは?」と思いつきました。
早速インターネットで検索してみると、「1994年に東京23区内に初めてJAの農産物直売所ができた」という記事を発見。それは東京23区で最も農地面積が広く農業が盛んな練馬区の大泉学園にある「こぐれ村」という直売所で、すぐに視察に向かいました。
こぐれ村では鮮度の良いさまざまな農産物が販売されており、お客さんもたくさん来店していました。非常に活気のある売り場を見て、私は衝撃を受けました。
「遠くに行かなくても、こんなに近くに素晴らしい野菜があるのなら、これを扱わない理由はない!」
そう思い立ち、売り場に掲示されていた生産者の写真の中から一番若くて、やる気のありそうな人の名前を控えて帰路につきました。
当時はインターネットもそこまで普及していませんでしたが、その生産者の名前を検索してみると、幸運にもメールアドレスを発見。そこで、これまで他の仲卸とは違う商品を販売してきたことや、「これからもっと生産者に近い立場で新たな品目の販売に取り組み、消費者に喜んでもらいたい」という思いをメールにしたためました。そして最後に「一度お会いできませんか?」と書き加え、勇気を持ってメールを送信しました。
すると翌日、「ぜひ会いましょう! 私も就農前は大田市場で働いていました!」という返信が来ました。なんという偶然か!と驚きつつも数日後に大泉の畑を訪問することになりました。それが東京野菜の取り組みのきっかけとなった、関口俊一(せきぐち・しゅんいち)さんとの出会いでした。
「東京野菜」の規模の小ささが強みになるとき
しかし、そこからすぐに取引開始ということにはなりませんでした。
消費地に近接する大泉では、庭先や直売所での販売で売り切ってしまえるので、販売に困ることがなかったのです。
関口さんから数人の生産者を紹介してもらい取引を打診しましたが、「どうせ長く続かないんじゃないの?」とか「今は新しい販路を必要としていない」という反応がほとんどでした。
関口さん自身は当時30歳そこそこで、まだ経営の主導はお父さんが握っていたので、興味はあるけれど踏み出せない状況だったと記憶しています。
また、実際に取引が始まったとして、現地から市場までの物流はどうするのかという課題もありました。少量の取り扱いでトラックをチャーターするわけにもいきません。
個人的には「東京の農産物の一番の売りは『鮮度』になるのでは」と思っていましたので、できれば収穫したての農産物を集荷し、その日のうちにスーパーや八百屋に届けて販売してもらう仕組みを作りたいと考えていました。
話がまとまらない中、大泉の居酒屋で数人の農家さんと飲みながら、新しいトウモロコシの品種の話をしていました。
当時、非常に甘みの強い「味来(みらい)」という黄色一色のトウモロコシが市場に入荷してくるようになったのですが、鮮度劣化のスピードが速く、おいしく食べられる期間が短いことが弱点でした。これを産地から輸送し市場を通している間に鮮度は落ち、消費者に届くころには食べごろを過ぎてしまうことが取引のネックだったのです。
「これを取れたてで消費者に届けることができたら面白い取り組みになるけど」という話をしたところ、一人の生産者が「それ、俺が作ろうか?」と言ってくれました。大泉で減農薬栽培に取り組む加藤晴久(かとう・はるひさ)さんです。これが東京野菜の取り組みの第1弾です。
取引先の高級スーパーに「味来を最もおいしく食べられるタイミングでお渡しできます」と売り込んだところ、担当者が興味を持ってくれ、通常の市場での取引額よりも若干高い価格での取引が決まりました。幸い運送業者の協力も得られ、畑から取引先のスーパーに直接配送が可能になりました。
結局、甘くておいしいトウモロコシは、舌の肥えたカラスの格好のターゲットとなってしまったようで、残念ながら少量の出荷に終わりました。しかし、野菜を畑からダイレクトに客先へ届けるという新しい経験に、何か今までにない興奮のような熱いものを感じました。どうやら加藤さんたちも同じ感覚だったようです。
せっかく農業をやるなら何か新しいことをやりたい、先輩生産者と異なる取り組みをしたいという気持ちに火が付いたのでしょう。
このトウモロコシをきっかけにその冬のキャベツの出荷の話が一気にまとまりました。
キャベツはトウモロコシのようなスポットではなく毎日20ケースほどの出荷です。
ある日、キャベツ畑の横の納屋を訪問すると、裏返したコンテナに座った加藤さんが山積みになったキャベツを雑巾で拭いていました。
「何しているんですか?」と尋ねると「昨日雨が降ったろ、キャベツに泥が跳ねたから拭いているんだよ。泥がついていたら、お客さん嫌でしょ?」。
当たり前のような会話ですが、この時の会話が東京野菜のいくべき道を探るヒントになっています。
一つ一つのキャベツの泥を拭き取る作業は効率と相反するものです。
泥を拭いても拭かなくても、キャベツの単価は変わらないと思います。1日に1000ケース以上出荷するような大規模な生産者であれば不可能な作業でしょう。
規模が小さいことを強みにする農業、それが東京の農業のやるべきことなのではないかと最近さらに強く思うようになりました。
これからの都市農業の課題を解決する仲卸の役割
東京野菜だけでなく、これからの都市近郊の農業にとって必要な課題がいくつかあります。
・小規模であることを強みにする仕組み作り
・大都会の近くに畑があることを生産以外にも活用
・顧客の明確化……不特定多数をターゲットにしない販売の確立
これらの具体的な内容については次回以降に触れますが、この課題は東京以外の生産にとっても共通する部分が多いと思います。
これらの課題を解決することが、農産物の価格決定のプロセスや仕組みを変えるきっかけになるかもしれません。
この記事の筆者
本多諭
1971年生まれ。大学卒業後、株式会社紀ノ國屋を経て1996年から家業である株式会社大治に入社。2011年代表取締役社長に就任。2016年には一般社団法人東京野菜普及協会を設立し、代表理事に就任。
2017年に関連会社の大治水産設立。高島屋のグループ会社との合弁会社を設立しその代表者に就任するなど、自社グループ外の活動も行っている。