コロナは農業にチャレンジする好機?
2020年の夏、新型コロナウイルスの影響で仕事が激減した旅行業の人たちに、海外からの農業実習生が入国できず人手不足となった農業の現場で働いてもらう、というニュースを見た人もいるのではないでしょうか。農家は新たな担い手を確保でき、旅行業者は農家からの受託料を得て、双方にメリットのある取り組みとして紹介されていました。
そのような報道があった頃に、旅行会社に勤める荒木さんはコロナ禍を「個人的に農業にチャレンジする好機」と捉えました。
荒木さんは学生の頃、バックパッカーのスタイルで世界中を旅しました。その中でも東アフリカのタンザニアで、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロに登ったのが印象的だったこともあり、アフリカや中近東地域を専門とする旅行会社「道祖神」に入社。そこで14年ほど旅行業に携わっています。
その一方、荒木さんは以前から農業にも興味を持っていました。兵庫県南西部の実家には畑があり、現在は母親が家庭菜園規模で野菜を育てており、祖父の代までは稲作も行っていました。荒木さんは子どもの頃に畑を耕したり、田植えや稲刈りなどを手伝ったりした経験もあるそうです。
2020年の初夏に、埼玉県狭山市の農家「株式会社プラウド」が短期で枝豆の収穫を手伝ってくれる人材を募集しており、応募した荒木さんは採用となりました。
バイタリティーのある荒木さんは枝豆収穫の仕事を楽しむことができ、その後も同社で農作業を手伝うことに。農業は力仕事も多いので慣れていない人は特に体力的な疲労を伴いますが、野菜を作る楽しさを実感した荒木さんは、同社の畑の一画を借りて「自分で何か栽培」してみることになりました。
なぜキャッサバを育てることに?
農業を始める場合、その土地に向いている特産品や、育てやすい葉物などを選ぶのが一般的ですが、荒木さんはちょっと違いました。アフリカの多くの国々で親しまれている「キャッサバを育ててみたい」と思ったのです。
日本では“タピオカの原料”として知られるようになったキャッサバは、中南米原産の根茎類(イモ類)で、アフリカや中南米では主食としても重要な作物です。また近年の東南アジアでは自国内で食用にするほか、輸出用作物・工業用デンプン・バイオ燃料としての利用価値も高まっています。
キャッサバの栽培は、日本では沖縄・奄美地方が気候的に向いているものの、乾燥に強く、栽培に関しては比較的容易なので、本州各地で栽培している事例もあります。荒木さんも、キャッサバ栽培に興味を持ってから本やネット上でいろいろ調べ、借りた畑でチャレンジしてみようと決めました。
旅行業でのつながりで売り先も確保
荒木さんは、茨城県の霞ヶ浦近辺でキャッサバを栽培している人に苗を分けてもらい、2021年5月から約1反(10アール)の畑で栽培を開始しました。キャッサバの栽培は難しくないと言っても、初めてなのでわからないことばかり。「埼玉県児玉郡上里町でキャッサバを栽培している農家さんに栽培・収穫・販売のことまで快く教えていただき、とても感謝しています」と荒木さん。
キャッサバは順調に成長し、半年ほどで収穫できる状況になりました。キャッサバのイモは細長くて折れやすいので、手作業で収穫する場合はかなり深く掘る必要があります。そこで、上里町の農家さんの畑でキャッサバの収穫をお手伝いした時に使っていた道具をまねて、収穫の道具を自作。「見込みより少なかった」というものの、9~10月に約400キロのキャッサバを収穫できました。
生のキャッサバはあまり日持ちがしないので販売も重要です。そこで荒木さんは、アフリカ出身日本在住の知人や、ブラジル料理店、東南アジア系の外国人が経営する店などに売り込みました。「キャッサバがポピュラーな国の人は、多彩な食べ方やそのおいしさを知っていますが、日本ではまだ知名度の低い食材。今後は一人でも多くの人に食べてもらえるような活動にも力を入れたいと考えています」(荒木さん)
人脈を生かしてイベントも開催
旅行業に携わってきた荒木さんの強みは、やはり人脈と企画力です。1年目にして、キャッサバを収穫・販売できただけでなく、11月初旬に収穫体験イベントを行いました。集客に関しては、勤務先「道祖神」のWebサイトも活用。アフリカが好きな人とその家族などがイベントに参加して、楽しんでいました。
またイベントに参加した皆さんは、キャッサバ収穫後に、西アフリカのブルキナファソ出身のシェフ、エミールさんのランチを満喫。普段も都内各所で、キッチンカーにてアフリカ料理を提供しているエミールさんは、荒木さんとのお付き合いも長いそうです。メニューには、日本ではめずらしいキャッサバの葉を使った料理もありました。
※ 有毒ではない種のキャッサバであっても葉の部分には毒性があるので、フグなどと同様、調理方法を熟知していない人が葉の部分を扱うのは危険です。
今後も「半農半旅行業」を続ける
現在農業以外の仕事をしているけれども、農業に興味がある人は少なくないのではないでしょうか。親や親戚が農業を営んでいる場合は就農しやすいものの、完全に新規で就農する場合は、生活のことを考えると難しい一面もあります。
今回取材した荒木さんも、「今後完全に農業へ移行する予定ではなく、まずは副業としての農業を目指しています」と話していました。荒木さんのキャッサバ栽培への挑戦のように、これまでの職歴や人間関係を農業に生かすというのも、新たな就農の形と言えるかもしれません。