甘えを捨て、農業に集中したかった
伊藤さんが就農を志したのは18歳のころ。東京農業大学在学中のことだった。非農家の出身でありながら、将来的には農業に携わりたいという思いを高校時代から強く持っていたという伊藤さん。「机に座っているよりも、農業のことは体で覚えたい」という思いが日増しに強くなり、大学を休学して現場へ飛び込むことを決めた。
拠点として選んだのは、地元の埼玉県から約2000キロ離れた西表島。「農業をする場所は、できるだけ遠い方が良いと考えていました。そうでないと、遊ぶべきでない時期に遊んでしまったり、つらくなった時は親へ頼ったり、実家へ帰ってしまうかもしれない。そうした甘えを遮断して退路を断ちたかったんです」。当時を回顧する伊藤さんの言葉からは、並々ならぬ覚悟がうかがえる。
生活費を稼ぎながら農業のノウハウを身につけるため、はじめはサトウキビ農家でのアルバイトから離島での生活がスタート。当初は、特に栽培したい農産物があったわけではなかったという伊藤さんだったが、ここで運命の出会いを果たす。
「アルバイト先でパイナップルの栽培を少量行っており、そこで初めて沖縄のパイナップルを食べたのですが、その時の衝撃は今でも忘れられません。こんなにすっきりした甘さのパイナップルがあるのかと。海外からの輸入品とはまるで違うそのおいしさに虜(とりこ)になり、パイナップルのコトを勉強するうち、どんどんのめり込んでいきました」。この感動を、全国の消費者にも届けたい。そんな目標を抱くようになった伊藤さんは、アルバイトとして農作業に従事する傍ら、農地の確保に動くなど、パイナップル農家になるための準備を進めていったという。西表島に移住して3年目のことだ。
ジャングルだった牧場の一角をパイナップル畑に再生
就農に向けた準備を進めるにあたり、最も大変だったことの一つが圃場(ほじょう)の整備だ。借り受けた土地はもともと牧場の一角であったため、伊藤さんいわく、木や雑草が生い茂るジャングル状態。「最初はユンボを使った抜根作業からでした。休日は一日いっぱい作業にあたり、アルバイトの日は地主さんに手伝ってもらいながら作業を進めました」
7カ月間の作業の末、ようやく苗を植えられるようになると、いよいよ独立に向けて歩みだした。「TOK:i(とき)ふぁーむ」の屋号を設け、まずは資金繰りに奔走。沖縄県の新規就農一貫支援事業(青年等就農資金)を活用し、350万円を初期費用として借り受け、それらを元手にハウス2棟を建設。6000株のパイナップルを植え付けた。パイナップルの栽培は、ハウスと露地の両方を実践。自然開花のほか、ホルモン剤を使った開花調整も行っている。
手間を惜しまず13種類のパイナップルを栽培
TOK:iふぁーむでは主力の「ボゴール」や「ピーチパイン」、「ゴールドバレル」をはじめ、台湾原産の「繍球鳳梨花」など、多様な品種を手掛けている。栽培品種は計13種類にも上る。
一般にパイナップル農家が手掛けているのは、多くても5~6品種が主。それぞれ収穫時期が異なるため、品種が増えるほどに労力がかかるからだ。
驚くべきは、13品種ものパイナップルを、伊藤さんが1人で育てていることだ。「他の農家さんとの差別化を図る目的もありましたが、一番はおいしいパイナップルを届けたいという思いがあります。パイナップルの品種によって味や食感に特徴があるように、お客さん一人一人、好みの味や食感は違うはず。ぜひ、ご自身の好みに合ったパイナップルを見つけてほしいと思いながら栽培しています」(伊藤さん)
無論、品種によって栽培方法は異なるため、肥料をまく時期や着果のタイミングなど、気を配らなければならないことは多くある。伊藤さんは自身のパイナップルのウリについて「かけている手間が違う」と自賛するが、たゆまぬ努力の背景には、パイナップルへの深い愛情と顧客への思いがあった。
今春、ようやく初収穫。今後はオリジナル品種の開発も画策
ところで、2020年に植え付けた伊藤さんのパイナップルは今春、ようやく初収穫を迎える。「素直にほっとしています。ようやく、皆さまのもとにパイナップルを届けられる見通しが立ちました」と、伊藤さんは顔をほころばせる。
パイナップルはJAを通さずに自ら販路を開拓する方針。すでに神奈川県内のスーパーへ出荷契約を結んでおり、今後は贈答用としての販売先も増やしていきたいと展望を語る。「現在13品種のパイナップルも、交配を重ねてさらに5品種ほど増やしていきたい。ゆくゆくはTOK:iファームオリジナルの品種も開発できればと思っています」(伊藤さん)
愛情を込めて育てられたパイナップルが、人々の舌をうならせる日は近い。