阿武隈地域の豊かな自然に抱かれた「福島県石川町」ってこんなところ
福島県石川町は中通り南部、阿武隈高地(あぶくまこうち)の西側に位置する人口約1万5千人が暮らす小さな町です。川沿いの平坦地と山間地からなり、町内に母畑(ぼばた)・猫啼(ねこなき)をはじめとする温泉郷が風情ある景観を映し出しています。春には町の花である1千万本以上の桜が町の中心部を流れる川沿いに咲き誇り、訪れる人を魅了。市内には国道118号線、JR水郡線が南北に走り、空の玄関福島空港にも近接していることから石川地方の産業、文化の中核を担っています。
阿武隈川の清らかな水源と豊かな大自然を有する石川町では、良質な農畜産物が育まれています。水稲、夏秋トマト・キュウリ、インゲン、ナス、レタスなどのほか、袋を被せない無袋栽培によって太陽の光をたくさん浴びた糖度の高いリンゴ、主に国産粗飼料で育つ「いしかわ牛」などが有名です。
その石川町で「笑平でこぼこ農園」を営んでいるのが紀陸 洋平(きろく・ようへい)さん・聖子(せいこ)さんご夫婦です。埼玉県出身の2人がなぜ、石川町に移住したのでしょう。その理由をズバリ、本音で語っていただきました。
定住先を求め、たどり着いのが石川町でした
紀陸 洋平さん・聖子さん夫妻が福島県石川町にやってきたのは2013年4月のこと。群馬県昭和村の農業法人退職と同時に村営アパートの契約が満期終了になったことを機に、定住先として選んだのが石川町でした。
「農業ありきではなく、住む場所を探していたというのが正直なところです。移住者に人気がある北海道も検討しましたが、福島県に問い合わせた際、電話対応いただいた方のあたたかい対応が決め手となり、福島への移住を決めました」
と、当時を振り返る洋平さん。奥様の聖子さんが福島県に問い合わせの電話をかけたのは2011年秋頃のこと。東日本大震災発生から半年、福島県は震災復興や原発事故による風評被害対策の真っ只中にありました。そんな時に移住を検討している聖子さんからの問い合わせはどんなにありがたかったことでしょう。しかし、当時の福島県は放射能の影響などが懸念されていました。子育て中の聖子さんにとって福島県への移住に不安はなかったのでしょうか。
「関東に住み、長年電力を享受してきたのに何もしないままでいいのかと、自問自答の日々を送っていました。母親として、風評被害を避けて暮らすことより、震災や原発事故を人事ではなく自分事として受け止めなければいけない、子供たちに伝えていかなければという思いがありました」(聖子さん)
移住先を福島県に決め、エリアを検討する最中、「NPO法人ふるさと回帰センター」が主催する移住フェアで石川町を知ることに。偶然にも聖子さんの大学時代の同級生の妻の出身地であり、当時のまちづくり担当者の手厚い対応にも縁を感じ、夫妻は移住先を石川町に決めました。
「長男の小学校入学前に住まいを決めたかったこともあり、準備はバタバタでしたが学校の手続きや住居の斡旋など、町の担当者がとても丁寧にサポートしてくれたので助かりました」
こうしてスタートした紀陸ファミリーの「いしかわ暮らし」ですが洋平さんは当初、石川町での仕事は農業にこだわっていなかったと話します。
「福島で農業をやるなら会津(あいづ)という勝手な思い込みがあり、石川町なら農業にこだわることはないかな、と。でも、幼い頃から家庭菜園の手伝いを通して感じていた農業の楽しさ、群馬県で学んだ野菜づくりの奥深さなどを思い出し、町内の農業法人を尋ねてみることに。雇用就農を考えていたのですが代表の方より『自分でやってみたら?機械も貸すし、圃場(ほじょう)もきっと見つかるよ』と、アドバイスいただき、それをきっかけに独立就農を決意しました」。
その後、6人家族になった紀陸ファミリー。移住当時小学生だった長男はなんと、高校生に!賑やかな日々を送っているとのこと。
一家の暮らしを支える仕事はもちろん「農業」です。前職で栽培技術を培ったほうれん草、小松菜、レタスなど葉物野菜を中心に少量多品目の営農スタイルで産直や市内のスーパーマーケットなどに直接販売をしています。
順風満帆に見える紀陸さんですが、移住から9年の間にはさまざまな苦労がありました。
地域の一員となり、信頼関係を築くことが大切。子育てを通して生まれた絆
「葉物野菜に適した水はけが良い圃場を探していた時に、役場の方の紹介で土地を借りることができました。全く前例のない「移住者」、しかも会ったこともないわたしたちに快く大切な土地を貸していただけたのは、地主さんのご好意以外のなにものでもありません」(洋平さん)
大雨によって収穫直前のレタスが全滅するなど数々の失敗と苦労を乗り越えてきた紀陸夫妻。現在は1.3haの圃場をフィールドに低農薬による露地野菜の栽培に取り組んでいます。
「大きな圃場を借りて大型機械を導入したり、ハウスを建てるには借入をするとなるとマイナスからのスタートになります。限られた土地で通年を通して収益を得るには、連作障害のリスクを回避しながらできるだけ経費をかけない営農が自分たちにはベストと考えました。国の支援制度を活用しながら安定経営を目指すと共に、自分が美味しいと感じる野菜、作って楽しい野菜を試行錯誤しながら地域に届け続けることに軸足をおいてこれまでやってきました」
夫妻が手がける野菜には素敵な「おまけ」がついています。それが、聖子さん手作りの「おやさいカード」です。野菜に添えられた手書きのあたたかい文字は夫妻の人柄そのもの。顔が見える農業の実践は地域住民や消費者に安心感をもたらし、子育てを通じて地域に溶け込むことができたと聖子さんは話します。
「現在の住まいを選んだ理由の一つに、子供を歩いて小学校へ通わせたいという思いがありました。片道40分となかなかの距離ですが、通学途中にご近所の方と子供が触れ合ったり、時にはトイレをお借りしたり、子供のおかげで町の一員になれたと感じています。子供の友達を通じて親御さんと仲良くなったり、支え合ったり。石川町は都会にはない人の温もりが感じられる場所です」
物事を円滑に進めるためにはコミュニケーションが必須であるように、移住もまた、地域住民との関係構築を図ることが大切と夫妻は話します。地域のために何ができるのかを示し、積極的にコミュニティに溶け込むことが移住を「定住」につなげると洋平さんは説明します。
「わたしの場合は地区の消防団に入団したことで地域の一員になれたように思います。それまでの2年間はやはり壁がありました。移住から2年間くらいを定住に向けた準備期間のつもりで暮らし、仕事体験や地域行事に参加しながら関係構築を図ることが大切だと思います。定住をするなら勢いだけでなく、当面の生活費も含め、準備をしっかりすることをおすすめします。現在、石川町では子育て支援に力を入れていますが、移住後に四男を出産した際は日数が足りず、出産祝い金を1円も受け取ることができませんでした。わたしたちはお金の面での支援はほとんど受けていませんが、これから移住される方は町の制度をよく理解したうえで、移住からの定住を検討されるとよいと思います」。
と、移住の楽しさも難しさも本音で語っていただいた紀陸夫妻。これからも地域農業の発展を担いながら日々の食卓に笑顔を届けてくれることでしょう。
また、移住・定住・就農の何をもって成功とするかは人それぞれですが、もし、金銭的安定を成功の指針とするならば、私たちは決して成功例ではありません。
しかし、「自分で自分の人生を考え、決定し、悩み続けること」を成功だというならば、成功と言えるかもしれません。日本全国、移住・定住の成功例はたくさんありますが、成功には運や環境や考え方など、”これをすればうまくいく”という算数の答えのようなものはありません。ですから、可能であれば、「失敗例」に目を向けることが有効だと思います。なぜなら、「失敗」には一定の規則性があると思うからです。「勢い」と「準備」その両方のバランスをうまくとり、「よい人生」にしてほしいと思います。
最大500万円を支援。共に創る幸せ実現の町「いしかわ暮らし」を始めませんか?
石川町では移住するにあたり、さまざまな支援制度を用意しています。特に力を入れているのが「子育て支援」です。その一部を紹介しましょう。
※石川町へ移住し子どもが2人生まれ、子育てされた場合に最大500万円を支援。
このほか、保育料や給食費、予防接種、妊婦医療費などの補助制度があります。
移住定住に関する詳しい情報はこちら
石川町に移住し、子供2人が生まれ、子育てした場合は最大500万円の支援金を受け取ることができるなど、手厚い支援金制度も必見です。
また、住まいや仕事に関する支援金も充実。移住者が安心して新たな暮らしをスタートするためのサポートを行なっています。
「人口減少が続く石川町を活気あるまちにするためには、石川を定住先に選んでいただいた方からの協力が必要不可欠です。町としては移住者が不安なく暮らせるよう、地域住民と共に寄り添いながら支援をしていきたいと考えています」
と、抱負を語る石川町農政課の須釜 典子(すがま・のりこ)さん。
移住は勢いで決めるのではなく明確なビジョン、準備が必要であることを教えてくれた紀陸夫妻。それをサポートする支援体制が石川町にはあります。
「どんな地域でどんな暮らしを送りたいのか」
石川町なら、その答えにきっと導いてくれることでしょう。
■お問い合わせ■
石川町役場農政課
〒963-7893 福島県石川郡石川町字長久保185-4
TEL:0247-26-9126