動画で伝える農業生産ノウハウ
新たに農業を始める際や新しい品目を取り入れる際のハードルの一つが農業生産ノウハウの習得です。作業手順、機械の扱い方のように定型的なものから、作物の成長や症状に合わせた対処の仕方のように臨機応変な判断が必要なものまで、多くの知識を獲得しなければなりません。
こうしたノウハウは、農業大学校や熟練の生産者の下で、実際の作業を見ながら学んでいくのが一般的ですが、実際の作業を現場で目にする機会は限られています。なぜなら、コメなどの多くの作物は1年に1作しかできないため、同じ作業を経験できるのは年に1度になってしまうためです。新規就農者など経験の浅い人の場合、一度覚えたことであっても翌年には忘れてしまっているというケースが少なくありません。作業のマニュアルを記録していても、文章やイラスト、写真のみで細かな作業のポイントまではなかなか思い出せません。
そこで有効なのが動画の活用です。動画では、映像と音声により、より多くの情報を得ることができ、頭にも残りやすくなります。YouTubeなどでも多くの農業関係の動画が投稿されており、新規就農者にとって貴重な情報源となっています。近年、スマートフォンやアクションカメラに次いで、撮影用のデバイスとして注目が集まっているのが、スマートグラスです。
撮影に加え、遠隔地とのリアルタイムでの情報共有が可能
スマートグラスとは、頭部に装着して使用するメガネ型の情報端末です。ウェアラブルカメラ、マイク、スピーカー、ディスプレーなどの機能を備えており、使用者が実際に目で見ている光景に情報を重ねて表示したり、遠隔地と情報の送受信ができたりと、その用途は多岐にわたります。
作業の様子を撮影する際、スマートフォンやアクションカメラを持ちながらでは片手が塞がってしまうため、別に撮影者が必要になってしまいます。スマートグラスの場合は両手を自由に使えるため、一人で作業と撮影を両立することができます。また、熟練者にとっては作業記録に使用できるほか、経験の浅い人にとっては、熟練者と映像をリアルタイムで共有してマイクやスピーカーなどを使ってやりとりしながら、遠隔で指示を受けることも可能です。
株式会社日本総合研究所が実施した、農業現場でのスマートグラスの活用可能性に関する検証では、機械操作や枝の剪定(せんてい)など、形・位置・数などの判断が重要な作業において、スマートグラスを活用したノウハウ習得支援が有効であることがわかりました。なお、収穫のように作物の色・傷などを正確に把握する必要がある作業においては、反射光などの影響もあり、現状のデバイスでは作物の状態を鮮明に捉えられなかったものの、撮影された映像を肉眼で見るだけではなく、カラーチャートなどをディスプレー上に表示させることで、こうした作業でも適用できるようになります。
ARによる作業支援がノウハウ習得を助ける
作業の撮影や遠隔での情報共有だけでは、スマートグラスの良さを最大限に引き出せているとは言えません。ディスプレーを備えたスマートグラスでは、ARの活用が注目されています。ARとは「Augmented Reality」の略で、一般的に「拡張現実」と訳されます。実在する風景にバーチャルの視覚情報を重ねて表示することで、目の前にある世界を“仮想的に拡張する”というものです。
例えば、ブドウの栽培では、ブドウの房一つあたりの粒の数が適正になるように間引く「摘粒」と言われる作業があります。限られた時間で適正な粒数に調整するのは難しく、摘粒は熟練のノウハウが必要とされる作業の一つとされています。
そこで近年、スマートグラスによる摘粒支援の技術開発が進んでいます。スマートグラス越しにブドウの房を見ると、ディスプレー上にAIでカウントした現在の粒数が重ねて表示されるというものです。これにより、経験の浅い人でも効率よく作業ができるようになると期待されています。
他分野での利用のアイデアも広がる
ノウハウ習得の支援だけでなく、観光などの分野でもスマートグラスの活用可能性があります。例えば、農園に訪れた人にスマートグラスを着けてもらい、農園の案内の際、現在の姿に作物が育ってきた様子を仮想的に重ねて表示するというアイデアがあります。これにより、栽培における農業者のこだわりや試行錯誤を説明しやすくなります。また、事前に参加者が描いたイラストがキャラクターとして現れるといったエンターテインメント要素を取り入れてもよいでしょう。
観光農園の中には、菜の花やヒマワリなどの季節の花を売りにしているところも多くあります。現実世界では、見頃が過ぎれば散ってしまう花も、ARを使えば、昔話の「花咲かじいさん」のようにきれいに咲かせることができます。こうした技術を使うことで、農業や農園の魅力を伝えることが可能です。
スマートグラスは今後、さらに価格の低廉化、小型軽量化などが進むと見込まれています。今後、新たなデバイスを活用した革新的なサービスの誕生に期待が高まります。
書き手・日本総合研究所 前田佳栄
株式会社日本総合研究所 創発戦略センター コンサルタント
現在、農産物の価値伝達や農業分野での気候変動適応策などに関する研究及び政策提言に従事するほか、農業関係の連載・講演および調査・コンサルティングを行う。