生物多様性との接点:農業と民間企業の違い
自然の中で生産活動を行ってきた農業関係者にとって、自然の変化を感じて水や肥料を調節したり、収穫のタイミングを図ったりするのは当たり前のこと。環境問題として古くはアメリカの生物学者レイチェル・カーソンの指摘した農薬による野生鳥類への悪影響から、農産物の付加価値を高めるための有機農業などまで、正負の双方向で生物多様性と農業は深く関わり続けています。
他方、多くの民間企業にとって、生物多様性はなじみのあるものではありません。食品産業などフードチェーンに属する産業では、川上の農業の取り組みを伝える形で生物多様性に関係してきました。しかし、多くの製造業やサービス業では、事業活動を行っている場所と自然が物理的に離れがちで、生物多様性との関係が実感として理解しにくいという点が、農業と大きく異なっています。そのような状況でありながら、民間企業では生物多様性の保全に関する取り組みを始めようとしているのです。
金融の力が生物多様性対応を推し進めている
民間企業の生物多様性保全の動きが始まった直接の理由が、金融業界からの環境配慮の要請です。気候変動の実態が明らかになる中で、規制や異常気象のリスクにさらされる懸念が高まり、民間資金の提供先として適切かどうかを判断するための情報を企業自ら開示するような仕組みが作られました。先進的な企業が次々と開示に対応し、まず、温室効果ガスの排出と自社事業の関係を確認しました。そして次に対応を求められているのが生物多様性というわけです。
実は、農業においてもESG金融(※)という形で、環境配慮などに取り組む農業者に民間企業のお金を呼び込もうという動きが進んでいます。農林水産省では2022年3月に「農林水産業・食品産業に関するESG地域金融実践ガイダンス」を公表し、地域金融機関の取り組みを促しています。農業者が新たな技術導入や事業拡大をする際、資金調達に当たって生物多様性に取り組むことが、金利優遇やブランディング支援といったメリットにつながっていく可能性があるのです。
※ 環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)の面から考慮した企業評価に基づいて投融資を行う仕組み、およびその取り組み。
企業は、まず初めに、事業活動と生物多様性の接点を探すことになります。すると、生産場所以外に、原料調達の過程で多くの影響を与えていることに気がつき、より生物多様性に配慮した原料調達にシフトすることになります。このことは、フードチェーンの上流にある農林水産業にとってビジネスチャンスが広がることを意味します。また、フードチェーンに直接関係しない異業種も、社会課題の観点から農業参入の機会を検討している事例が増えており、生物多様性に配慮した取り組みのチャンスを農業現場で模索するような動きも増えてくると考えられます。
生物多様性に配慮した農業を取り巻く未来
では、具体的にどのようなことに対応すれば生物多様性に配慮したことになるのでしょうか。そのヒントについて確認していきましょう。
国際的な生物多様性保全を進める生物多様性条約において、研究成果を基に政策提言を行うIPBES(Intergovernmental science-policy Platform on Biodiversity and Ecosystem Services : 生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学-政策プラットフォーム)という組織が「生物多様性と生態系サービスに関する地球規模アセスメント報告書」を公表しています。この中で、地球規模で自然の変化に大きな影響を与えている直接的な要因は、影響の大きい順に並べると以下のようになるとしています。
① 陸と海の利用の変化
② 生物の直接的採取
③ 気候変動
④ 汚染
⑤ 外来種の侵入
農業の視点で見ると、例えば①は、新たな農地を開拓することで草地や林地の生態系に影響を与えたり、水路の整備に伴うコンクリート三面張りによって水草や水棲(すいせい)昆虫などの生息地を破壊してしまうといったことが想定されます。④であれば、農薬の不適正使用や肥料の流出、畜産ふん尿の不十分な処理などが当てはまるでしょう。
こうした問題に、民間企業の技術で対応していくこともありえます。農作業の履歴を半自動的に収集する農機や、土壌診断をしながら必要な場所に適切な施肥を進める技術、川底を一部残したり植物が生息できる護岸技術を導入することによる半自然的な水路の整備などが開発されており、こうしたスマート農業などの技術の活用は有望です。
また、問題解決だけでなく、付加価値をつける方向性も考えられます。例えば、農業現場での生物多様性保全の効果を、具体的な生物のモニタリングを通じて確認していくというものです。画像からAIによる動植物の判定をする技術などは実用化されており、これまでコウノトリやトキ、赤とんぼなどの生物を象徴としたブランドづくりを、特徴的な生物が生息していないエリアにおいても実現する、生物多様性保全の担保を訴求したブランドづくりにつなげられる可能性もあります。
今後の注目すべき動き
2022年7月に開催されたIPBESの会合では、野生種の取引について警鐘が鳴らされました。例えば、海洋天然魚資源の約34%が乱獲された一方、66%が生物学的に持続可能なレベルで漁獲されており、大西洋のクロマグロなど漁業管理が行われると資源量が増加することが確認されたとしています。野生樹種は世界の工業用丸太の3分の2を占め、野生植物、藻類、菌類の取引は10億ドル規模の産業であり、観光資源のような野生種の非採取利用も大きなビジネスとなっているとされます。こうした知見の蓄積は、やがて新たな規制や、そもそも資源がなくなり利用できなくなるといったことを通じて農業にも影響が及びかねません。生物多様性保全に関連した情報は急速に増えており、アンテナを張ることは重要でしょう。
私も、民間企業の間で生物多様性の保全を何から始めるべきか、情報を提供する機会が増えています。2022年9月5日に開催予定の環境・社会課題解決のためのコミュニティー GREEN×GLOBE Partners (GGP)のイベントにおいても生物多様性をテーマとしたセミナー、クロストークイベントがあり、関連技術を有するベンチャー企業とともに生物多様性の保全を進める仲間づくりの必要性を考える予定です。
生物多様性に最も近接している産業である農林水産業から、他産業とも協力しつつ、生物多様性の保全を先導していく、今はそんな重要な機会の只中にあると感じています。
生物多様性に関連したビジネス支援、農業分野に注力。世界初となる生物多様性に特化したファンド商品を企画・開発。ネオニコチノイド系農薬等のリスク評価制度設計。スマート農業技術と先端技術の評価・普及支援、静岡県研究開発事業審査委員。