山奥に田んぼを復活させたらどうなるか
そもそも、なぜ50年以上も放置された山奥の耕作放棄地を復活させたのか。
提案したのは、佐藤さんの応用生態学研究室に所属する大学院生・寒河江康太(さがえ・こうた)さんだった。子どものころから生き物に興味があり、「昔ながらの里山の生態系を取り戻したい」という願いを持っていた。
そんな中、以前から佐藤さんの研究に協力していた地元農家の佐藤好明(さとう・よしあき)さんが、集落の外れにある耕作放棄地を紹介してくれた。
「こういう山奥の田んぼに生態系を戻したらどうなるのかを見てみたい」、そんな強い好奇心が湧いた寒河江さんから、佐藤さんに研究の一貫として取り組みたいと願い出たのがきっかけだった。
耕作放棄地を復活させた事例は全国にも少なからずあるが、50年以上手つかずの耕作放棄地を復元するなど、普通の人は発想すらしない。復元しても生産性が低く、経済的にはほとんど意味をなさないからである。そのような場所で研究を続けるのは、労力や研究費といった現実問題を考慮すると大変厳しい。
だが、その後も寒河江さんの強い説得が続き、佐藤さんは研究費を投入し、研究室としてこのプロジェクトに取り組むことを決めた。「耕作放棄地の復元には多額の経費がかかります。でも、寒河江君の純粋な思いも大切にしてあげたいと思いました。ただし研究費を使う以上、それなりの学術的な成果が求められます。そこが難しいところです(笑)」(佐藤さん)
荒地が田んぼとして復活するまで
50年来の耕作放棄地を田んぼに戻すまでには、約2カ月間を要した。
人員は、たまに研究室メンバーや地域住民などの応援が入ることもあったが、基本的には寒河江さんと好明さんの2人で進められた。
雑草と低木の刈り払い
50年間放置されてきたその農地は、丈の高いアシが密生し、小さな木もまばらに生え、かつての田んぼの面影などまったく感じられない荒地となっていた。
2021年9月末、まずは生い茂るアシやクマザサなどを刈り払うところから始めた。低木を切り倒して伐根もしなければならない。ぬかるみに足を取られながらの作業は相当な労力を要し、雑草と低木をすべて刈り終えるまでに約1週間かかった。
すき込み作業
次に刈った雑草のすき込み作業である。
大量のアシや雑草を土にすき込むのは、かなり骨の折れる作業であった。好明さんがバックホウ(油圧ショベルの一種)などの重機を入れて一気に作業を済ませることを提案したが、寒河江さんは「重機は入れずにトラクターでやってほしい」と要望した。
「土を深くから掘り返すと、土中の環境が急激に変わって、生態系が壊れてしまうんです」と寒河江さんは説明する。ただ耕作放棄地を復活させるのではなく、多様な生物が生息できる田んぼを取り戻すことが本来の目的であるため、生態系が崩れてしまっては意味がないのだ。
土を深く掘り返すと虫がいなくなるという寒河江さんの主張は、好明さんも自身の経験から理解できた。また、「天地返し」をして深い土が地表に出てくると、乾いて硬い土になってしまう恐れもあった。
好明さんは寒河江さんの望む通り、環境への影響が小さいトラクターによるすき込み作業を地道に続けることにした。
水路の復旧
水路は幅20センチほどのコンクリート製で、土砂が盛り上がって見えるほどに堆積(たいせき)していた。土砂は粘土質で硬く、スコップなどではなかなか作業が進まず、はいつくばって素手でかきだすしかなかった。40~50メートルに及ぶ作業は、さすがに寒河江さんと好明さんの2人だけでは先が見えず、研究室メンバーや地域住民らにも協力を依頼した。
水路の上流では巨石が水の流れをせき止めており、それを撤去できずにかつての所有者が放棄したものと思われた。現在であれば重機を入れて簡単に撤去できたであろうが、数十年前は人力でやらざるを得ず、そこまでの労力をかけられずに諦めてしまったのだろう。
こうして元の田んぼの姿を取り戻した、愛称「復活田」。寒河江さんは、復活田に冬季間も水を張り、雪の積もっている間も水中の生物が生息できるようにしておいた。
次回は、復活田でどのような栽培方法が用いられているのかを説明するとともに、その成果と見えてきた課題に触れる。