トゥクトゥクに乗った花苗農家
熊本県宇城市不知火。名産品である「デコポン」をはじめとした果実やコメなどの生産が盛んな地域で、山に囲まれ田畑が広がるのどかな光景だ。
今回訪れたのは、この宇城市不知火で花の苗や一般家庭向けの野菜苗などを中心に生産する「シンビレッジ」。ハウス、田畑を合わせて5ヘクタールの敷地面積で花の苗約50品種、野菜苗約50品種、合計100品種以上を年間200万鉢も生産しているという。
看板の前で待っていると、エンジンの音が近付いてきた。
さっそうと現れたのは赤い屋根とスカイブルーの車体のトゥクトゥク。
運転しているのは、シンビレッジの専務取締役・吉村透(よしむら・とおる)さんだ。
吉村さん
筆者
吉村さん
普段移動する時もトゥクトゥクに乗っていることが多いという吉村さん。
子供の授業参観にトゥクトゥクで行き、恥ずかしいからやめてと言われてしまったこともあるのだそう。
しかし、この目を引く車が一つの看板になり顔を覚えてもらう事で、地域の人や子供たちとの交流につなげることが目的なのだという。
吉村さん
父の代から宇城市不知火で花苗農家を営んでおり、吉村さんはその二代目。
「地域があってこその農業」という想いが強くあり、地区名である「新村」から名前を取り「シンビレッジ」と名付けたのだそう。
同地区では過疎が進み、後継者がいない農家も多い。そのため、担い手のいない田畑も吉村さんが運営しているのだという。
吉村さん
筆者
すれ違いざまに、車の中からみんなにこにこと笑顔でお辞儀をしていく。
移動する数分の間にも、この可愛いらしい車と吉村さんが地域に愛されている存在だと感じた。
「生産者の顔がわかる花苗」を目指す
トゥクトゥクに乗って花苗のハウスにやってきた。
吉村さんはこの花苗のハウスから、実際の作業風景をはじめ、花苗の横でダンスをする様子などユニークな動画をSNSで発信している。
その理由は“花苗の生産現場を届けたい”というのが念頭にあるからだ。
元々は「花苗農家を継ごうという考えはなかった」という吉村さん。農業高校を出た後は、ホームセンターに就職した。
さまざまな日用品を扱うホームセンターで、たくさんのメーカー品を目にした吉村さんは、実家の花苗がそこに並んでいるのを見た時に「花苗もメーカー品なんだ」と思ったのだそう。
それまでは、実家の仕事は“ただ花を育てている”という感覚でしかなかったが、自社で生産した商品を世に送り出すプロの仕事なのだと感じたのだという。
顔出しをしている花苗生産者が少ないこともあり、誰が作ったかもわからないような苗として扱われてしまう現状の中、生産者の顔が見えるような、メーカー品としての花苗作りをしたいと、SNSを始めた。
このほか、花の活用法などを提案するイベントやマルシェでの出店などで積極的に情報発信している。
これまで花と触れ合うきっかけがなかった人や、ハードルが高いと感じている人に、まずは花に興味を持ってもらい身近に感じてほしい、という思いが、活動の原動力になっている。
吉村さん
子供たちへの「花育」で地域貢献
吉村さんはSNSでの発信以外にも、地域の保育園や幼稚園、小学校での“花育活動”も積極的に行っている。
就農して2年ほどたった時に「今の子供たちはなかなか土と触れ合う機会が少なく、経験がないと大人になっても(花を育てることに)興味が湧かないのでは?」と思ったのが、活動のきっかけだ。
吉村さんが花育活動を行う幼稚園ではこれまで、卒園式で使う花をホームセンターなどで購入してきたが、現在は子供たちが選んだ花を自ら寄せ植えして卒園式で飾るという活動をしている。吉村さんは、累計2000人以上の子供たちと花を通して触れ合ってきたという。
これまでは売れる売れないという意識でしか花を見ていなかったという吉村さんだが、「この色が好き」「これはママが好きな花」と自由な発想で花を選ぶ子供たちの姿に、花の持つ本来の意味に気付いていったという。
吉村さん
マルシェなどの直接お客さんと触れ合う機会では、花の苗は一般的に「花の苗」としか認識されておらず「何の花なのか」という所まではなかなか知られていない事を痛感したと、吉村さん。
まずは、興味を持ってもらい、花と触れ合うきっかけを作っていきたいと話している。
花を送り合う文化を作りたい
店に並んでいる花苗を見る事はあっても、生産現場まではなかなかのぞくことができない。
しかし吉村さんは、いわば「舞台裏」的な現場の風景にこそ価値があると考えている。
眺めて奇麗で終わりではなく、「苗」だからこそ実際に「植える」という体験を通し、花や土と触れ合う時間を作り、心の豊かさを得ることができるのではないか、と吉村さん。
たくさんの花を見るだけならば、花園などでもできるが、生産現場だからこそ、実際に花と触れ合える体験が生み出せるのではないかと考えているのだそう。
花が咲いている現場はもちろん、新村地区の美しい田舎の風景自体にも価値があると考える吉村さんは、実際にハウスへ足を運んでもらい、花苗を選んで寄せ植えを体験できるような、シンビレッジの観光ツアーなども視野に入れているのだという。
また、自分で花苗を買って植える時間がないという方でも、子供たちの花育体験や、発展途上国へ花苗を届けるといった花に関わる活動を支援出来るような仕組みを作っていきたいと話してくれた。
実際に花を育てる時間の余裕がなくても、花を通して広がっていく輪の中にたくさんの人を巻き込んで“花を送り合う文化”を作っていきたいと展望を語る。
吉村さん
やりたいと思ったら居てもたってもいられなくなってしまうのだそうで、シンビレッジの敷地内で花火を打ち上げたり、マツエクやネイルをやってみたり、小学校のPTA会長まで務めているのだとか。興味があることには臆さずどんどん挑戦していっているのだそう。
筆者
あとはやっぱり、子供たちの笑顔を見ると頑張れちゃいますね。
吉村さん
「地域に貢献するためにというより、やりたいことや好きな事をやっていくうちに、それが地域や誰かのためになればいいなぁ」と話す吉村さん。
「子供たちの夢になる花農家」を目指すその姿は、花と同じく、人を笑顔にすることを何より重視されているように感じた。