■渡邉晃博さん(通称:あっき~)プロフィール
1984年新潟県生まれ。2007年新潟大学卒業後、就職のために上京したものの、2012年Uターンし子ども写真スタジオに入社。その後、保育士養成専門学校の事務員を経て、2017年祖父の後を継いで柿農家に。祖父は「越王(こしわ)おけさ柿」というブランド柿栽培の名人。現在は柿農家兼フォトグラファーの「撮る柿農家」と称して活躍中。
2019年に、夫婦で雑談するポッドキャスト番組「ウチら夫婦のぐだぐだな話(通称:ウチぐだ)」をスタート。新聞に取り上げられるほどの人気番組となる。
脱サラ、Uターンして農家へ
西田(筆者)
あっき~さんはおじいさんを継いで柿農家になったそうですね。渡邉家は代々柿農家だったのですか?
私にとって柿山は小さい頃からの遊び場でした。祖父は妥協のない職人肌の人、父親は公務員で時々柿栽培の手伝いをしている感じでした。うっすらとこの先、柿山はどうなるのかなと思ってました。
あっき~
西田(筆者)
しかし、あっき~さんは地元の新潟大学を卒業したあと柿山のある地元に残らず、東京の学習教材出版社に入社するために上京したんですよね? そこに何か思いはあったのですか。
就職して3年後には大学時代に出会った妻のうたと東京で結婚しました。でもその2年後の2012年には出版社の仕事を辞めて、夫婦で新潟に帰ることになりました。
あっき~
西田(筆者)
でもその時に学んだ撮影技術がフォトグラファーとしての基礎になっています。
あっき~
西田(筆者)
そこで、この先どうするのかと改めて祖父に直談判しました。そうしたら「俺ができなくなったら柿山はもう捨てようと思う」と。その時の表情が本当に寂しそうでした。それで「自分がやる!」と継ぐことを決意しました。
あっき~
西田(筆者)
あっき~
西田(筆者)
孫承継、渡邉家の実際
西田(筆者)
柿農家仲間から「うちにも体力のあるあんたんとこの孫に手伝いにきてほしいわ」と言われても、祖父が「こいつなんてダメだ。手伝いに行っても何にもならん」と私の目の前で言った時はショックでした。
あっき~
西田(筆者)
それから柿栽培の技術が身につくまで、フォトグラファーの活動など他のことはやらずに2年間、農業に集中しました。そんな中、やればやるほど祖父のすごさも分かってきました。
あっき~
西田(筆者)
前に引退した柿農家と祖父が話しているのを傍らで聞く機会がありました。引退した人はずっと過去の話をしてたのですが、祖父は今年の作柄、そして未来のことを話しててその向上心はすごいなと改めて感じました。
あっき~
西田(筆者)
ところで事業としての承継に問題はありませんでしたか。親子承継の場合はいくつになってもお小遣い制でなかなか経営権を譲ってもらえないという事例もよく聞きます。
あっき~
西田(筆者)
孫承継の未来、渡邉家の未来
西田(筆者)
収入としては柿の方が圧倒的に多いのですが、フォトグラファーとして活動することで、「越王おけさ柿」の認知度も高まってます。直売も少しずつしてますが、私のところだけでなく地域全体が盛り上がってほしい。そのための広報活動の一環としても考えています。
あっき~
西田(筆者)
あと、祖父母と同居せず私たち家族は別の場所に住んでいます。私が「通い農家」であることで、祖父といい関係が保たれていると実感しています。
あっき~
西田(筆者)
最後に、孫承継する人にアドバイスがあればお願いします。
あと何より大切なのはリスペクトを持つことですね。
あっき~
西田(筆者)
この先もおじいさんを大切になさってくださいね。そして産地を守るミッションに向けてがんばってほしいと思います。これからも家族の和気あいあいとしたポッドキャストの配信を楽しみにしています。