食べる人にも働く人にも「ウェルビーイング」を
「イチゴは世界で勝負できる作物だと思ったんです。食卓にイチゴがあるとうれしいし、贈り物でもらうと幸せになれるじゃないですか。この感覚を世界に輸出して、世界中の人がイチゴで幸せになるといいと思ったんですよね」
そう語るのは、遊士屋株式会社代表取締役の宮澤大樹(みやざわ・だいき)さん。三重県伊賀市の中山間地にある農園で「完熟クラフト苺(いちご)BERRY(ベリー)」というブランド名で品質の高いイチゴを作り、海外の富裕層向けに輸出。国内でも自社ECサイトで販売しており、有名パティスリーでも使用され高い評価を受け、多くのシェフが畑を見学に訪れるといいます。
そんな遊士屋で働くのは、さまざまな生きづらさを抱えている人や、その状態を克服して生き直そうとしている人。同社はイチゴを食べる人だけでなく、作る人の「ウェルビーイング」をかなえるため、さまざまな取り組みをしています。ウェルビーイングとは、精神的・身体的にだけでなく、社会的にも満たされた幸福な状態のこと。創業メンバーにはそれぞれ、イチゴを通したウェルビーイングを目指す理由がありました。
創業者3人の思いが出会い、イチゴでウェルビーイングを目指し始めた
遊士屋の誕生は2017年。設立のきっかけは宮澤さんとある2人の人物が出会ったことでした。
1人目の人物は、一般財団法人ワンネス財団の創業者である矢澤祐史(やざわ・ゆうじ)さん。ワンネス財団は、メンタルヘルスに課題を抱える人たちの生き直しを応援し、伴走する団体です。矢澤さんはその福祉カリキュラムの一環として、農作業とセラピーを掛け合わせて当事者をケアし、雇用創出もかなえる取り組みをできないかと考えていたそう。
そんな矢澤さんと出会ったのが2人目の人物、熊本県でイチゴを生産する森川竜典(もりかわ・りゅうすけ)さん。森川さんは白イチゴをはじめとした贈答用の高級イチゴを生産し、海外への輸出まで行っていましたが、人材不足の農業の未来に危うさを感じていました。この2人が意気投合し、農業の人手不足解消と生き直しの応援を掛け合わせた新しい取り組みができないか、という話に。
そこに合流したのが宮澤さんでした。当時宮澤さんは新規事業開発やデジタルマーケティングを行うデザイン会社を経営しており、農業系プロジェクトの仕事に関わった経験から、「クリエイティブな力を農業に生かしたい」という思いを持っていたといいます。そんなとき矢澤さんと森川さんの思いに触れ、「イチゴで生産の現場から消費者の食卓に至るまで、バリューチェーン全体がハッピーでウェルビーイングなモデルを作り、世界中に発信していきたい」と、遊士屋設立へと動き出しました。
しかし、思いはあっても農業は全くの未経験だった宮澤さん。農業に対しては「周辺を支援するサービスは増えてきたので、生産側のプレーヤーが増えたらいいよな、という程度の認識で、ほとんど無知でした。農業の難しさを全く知らないが故に参入できましたね。今考えると怖いです」と当時を振り返って笑います。
イチゴに適さない気象条件を逆手に取った生産方法
遊士屋が50アールのイチゴハウスを構えるのは、伊賀市の山間部。冬は頻繁に霧が発生して昼まで晴れず日照時間が短く、かなり寒くなります。そんなとてもイチゴ栽培に向いているとは言えない土地に農園を開いたのはなぜなのでしょうか。
「ワンネス財団を応援してくれていた方から紹介を受けた耕作放棄地で栽培を開始した、という感じですね。役所の方からは、もっと県東部・南部の良い土地を紹介すると言われましたよ。でも今はこの土地でやってよかったと思っています」(宮澤さん)
日照時間が短く寒いため、ここでは一般的な産地よりイチゴが熟すまでの期間が長くかかります。その一見短所と思える状況を逆手に取り、一粒一粒のクオリティーにこだわって丁寧に育てているそう。
さらに遊士屋ではイチゴを完熟させて出荷しています。イチゴは収穫後に追熟しないため、畑で完熟させることで自分たちがおいしいと思えるレベルのものを出荷できると宮澤さんは言います。
しかし完熟したイチゴを出荷すると、輸送の過程で果実が潰れたり傷がついたりするのが一般的です。そこで果皮が硬くなるように肥料の配合を工夫しながら、輸送に耐えつつ果汁をパンパンに閉じ込められる果実に仕上げ、それを出荷日の朝に収穫。さらに、極めて小さい傷も見逃さないほど厳しい選果基準をクリアしたものをパック詰めし、最短で翌朝には客先に届けます。こうした工夫で、鮮度を保持したまま輸出することも可能になりました。
働き手の幸せのために高品質なイチゴを作る
このこだわり抜いた生産方法により、高い品質のイチゴを生産することに成功している遊士屋ですが、栽培経験者は創業者の一人である森川さんのみ。スタッフの多くは農業未経験者だそう。
スタッフの中には、ワンネス財団のカリキュラムの中で生まれて初めてイチゴ栽培に触れ「この仕事を継続したい」と感じて就職する人もいるといいます。
宮澤さんは「良い人が集まってくれましたね。イチゴの生産を“自分ごと”として捉えて取り組んでくれています」と話しますが、農業初心者のスタッフのモチベーションを上げる秘訣(ひけつ)はどこにあるのでしょうか。
「田舎にあたるこのエリアに、世界でトップクラスのシェフが農園の見学にきてくれるんです。ニューヨークのレストランでも僕たちが作ったイチゴが使われているのですが、そういうことが働くみんなのモチベーションにつながるようです」(宮澤さん)
生産するイチゴへの誇りは、彼らのウェルビーイングにもつながると宮澤さんは言います。
「ウェルビーイングな状態の条件に、人生の意味を感じていること・没頭できることがあること、という要素があるんですね。そこを満たして幸せを実現できる職場になるように意識しています。わざわざ海外に出す、というのもそこが狙いの一つです。作業の精度を上げて品質の高いイチゴを生産することで、世界中のシェフに使ってもらえて、その先にいるお客さんが喜んでくれる。それってうれしいじゃないですか」
このように遊士屋では「自分が働くことで世の中に与えているポジティブな影響」をスタッフに積極的に伝え、“社会的に満たされる状態”を作り出しています。また、働く人たちとのファミリー感を重視しており、月に1度、全スタッフと人事スタッフが必ず1対1で面談を行うなどして、個別の事情を共有し、将来どうなりたいかを聞き、メンバー同士でも互いにケアしあっているといいます。こうした努力によって、同社では働き手が主人公になってウェルビーイングに過ごせる環境を整えていっています。
自分たちの作る農産物の正しい価値を見極める
遊士屋のスタッフが高品質なイチゴを作り、正当な価格で販売し続けるためには、それに応じたイチゴの販路の確保が必要です。そのために、宮澤さんは世界中で、遊士屋を応援してくれているパートナーの人たちと一緒に飛び込み営業をし、コツコツと努力を重ねているといいます。
「仲間が海外の取引先を紹介してくれる場合もありますが、泥臭く営業活動することも多いです。メール、DM、電話を使ってアポイントを取る場合もありますし、現地のレストランに行って食事をした際にシェフと話をしたり、シェフの“出待ち”をすることもあります」
そこまで努力できる理由を聞くと「使ってもらえる価値があるという自信があるからです。そもそもみんなが気づいていないだけで、日本産の農産物は世界から求められているんです」と宮澤さんは言います。
また、そんな日本の農産物の輸出の可能性についても次のように言及しました。
「日本にいる僕たちが当たり前のクオリティー・味だと思っているものは、場所が変われば異常なほど品質の高いものになる。そこにプライドを持って、自分の作る農産物の価値を正しく理解して、チャンスを逃さないことが大切だと思います」
その一方で、輸出しない選択肢もあっていいという宮澤さん。生産者自身がそれぞれの判断で経営の方向性を決めるべきとも言います。
「もちろん海外に出ることだけが正解ではありません。生産規模やどこを目指しているかは生産者それぞれで異なるし、みんながみんな輸出する必要もなく、ブランディングもしなくてもよい。どこを選択してリソースを集中投下するかを判断することが大切だと思います」
遊士屋は日本だけでなく海外でも勝負できるイチゴを生産することで、スタッフたちのウェルビーイングをかなえようとしています。食べる人から正当な評価を受けることで、自分の働きや農産物の価値を自ら認めるということ。それが大きな意味で農業生産に携わる人のウェルビーイングなのかもしれません。
【取材協力・画像提供】遊士屋株式会社