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品目と販路のリセットに成功した担い手農家 次の目標は「若手の育成」

吉田 忠則

ライター:

連載企画:農業経営のヒント

品目と販路のリセットに成功した担い手農家 次の目標は「若手の育成」

千葉県野田市の野菜農家、鈴木等(すずき・ひとし)さんは栽培と販売の両面の徹底した努力で事業を伸ばしてきた。だが30代半ばを過ぎた時、メインの品目と売り先を全面的に切り替えた。決断の背景には何があったのか。今どんな営農の形を目指しているのか。鈴木さんにインタビューした。

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家族経営から組織経営に転換

鈴木さんは現在42歳。畑の面積は7ヘクタール弱で、0.6ヘクタールの栽培ハウスもある。長ネギを中心にキュウリも育てている。

以前のメインの品目はナスで、その他にキャベツやホウレンソウ、キュウリなどを栽培していた。売り先はスーパーで、店舗数は50以上あった。ところが30代半ばのとき、すべてリセットすることを決めた。

ずっとぎりぎりの状態で働いてきた。作業があまりに忙しく、3食とも移動の途中に車の中で食べることがほとんどだった。100日間休みなく働いたり、1日に3時間しか睡眠時間をとれなかったりすることもあった。

画像1)ネギ 

メインの品目のネギ

独自の販路を築けたのは、こうした努力の成果だ。だが長年酷使し続けた結果、35歳の頃に体が悲鳴をあげた。腰や首、足首を痛め、「30分入念にストレッチしてもキャベツの箱を7つ運ぶのが限界だった」。

「このままではまずい」。そう考えた鈴木さんは、営農を抜本的に見直すことにした。これまでは両親と自分、弟が中心の家族経営だった。「少数精鋭でやって、小売店に高単価で売るのが一番いい」と考えていたからだ。

体のあちこちを痛めたのを機に必要になったのが、栽培を中心になって引っ張ってきた自分が現場から離れることだった。そこで家族経営を改め、外国人の技能実習生などを入れて組織経営に移行することを決めた。

加工野菜の拡大をにらんで販路を変更

メインの作物だったナスの栽培は、38歳のときにやめた。「栽培技術に感覚的な部分が多く、教えるのは難しい」と考えたからだ。ナスにこだわっていたのでは、組織経営に移行できないとの判断が背景にある。

ネギはたとえ収穫が1~2日遅れても、品質や長さが大きく変わらない点を重視して新たな柱に据えた。実習生たちに週末きちんと休んでもらうためだった。収穫期になると毎日とり続ける必要があるナスではそれは難しかった。

ナスやキャベツなどをやめる一方、キュウリは続けることにしたのは、採用した実習生がベトナム人だったからだ。ベトナムでは家庭菜園でキュウリを育てていることが多く、無理なく栽培を任せることができた。

販路は小売店から、カット野菜工場を卸先に持つ野菜の流通会社に切り替えた。長年売り先にしていたスーパーの保冷設備のある棚にカット野菜が並んでいるのを見たことがきっかけだ。以前はマンゴーなどが置いてあった。

画像2)栽培の様子

ネギの栽培の様子

弟から「スーパーで買い物をすることはめったにない」と聞いていたことが鈴木さんの念頭にあった。弟夫婦は共働きで、ミールキットを宅配で注文していた。「野菜を丸ごと買う人はこれから減るだろう」。そう考えたことが、鈴木さんの背中を押した。

新たな売り先となった流通会社は、友人の紹介で見つけることができた。野菜の売買を始めてあまり年数がたっておらず、取引を始めた当初、社長は「野菜のことを教えてほしい」と言って毎日農場を訪ねてきた。

その熱心さに加え、鈴木さんが驚いたのは独特の取引スタイルだ。携帯をスピーカーモードにしたまま目の前でカット野菜工場に電話し、売価を決める。それを踏まえた上で、鈴木さんに仕入れ値を提案した。

売価を隠して仕入れ価格を値切ろうとしたりせず、自分の利幅を見える形にして鈴木さんと商談に臨んだ。鈴木さんは「信頼関係を築くのがめちゃめちゃ速い人」と話す。この出会いが、販路の円滑な移行を可能にした。

ただし、この過程で鈴木さんは心が重くふさぐことが多かったという。「これまで世話になってきた売り先に迷惑をかけた」との思いで心が一杯になったからだ。「申し訳ないことをした」。今もそう振り返る。

仲間の農家と出荷組合を立ち上げ

新たな売り先の確保に関しては、もうひとつ触れておくべき点がある。鈴木さんが旗振り役になり、9年ほど前に仲間の農家と出荷組合を立ち上げたのだ。地元の農協経由で、近隣の市場にも野菜を売り始めた。

小売店を売り先にしていた時も、仲間の農家と一緒に販路を開拓したことがあった。ただし、それは組織的な動きにはなっていなかった。

これに対し、出荷組合をつくることにしたのは、地域の未来のことを考えたからだ。近隣には複数の出荷組合があるが、メンバーは年配の生産者ばかりで、自分と同世代は各組合に1~2人程度しかいなかった。

画像3)鈴木等

鈴木等さん

鈴木さんが懸念したのは、野菜の規格をはじめとして出荷のルールが組合ごとにバラバラだった点だ。いずれ年配の生産者が引退し、既存の組合の力が弱まってから声をかけても、同世代でまとまるのは難しいと考えた。

「いま所属している出荷組合とかけもちでいいから」。鈴木さんはそう声をかけて、新たな組合を発足させた。当初3人だったメンバーが2025年には30人以上に増える見通しだ。しかも平均年齢は30代と若い。

農協を挟んだことにも意味がある。地方市場は経営が厳しいところが多く、農万が一のとき別の出荷先を確保しやすいからだ。ただし、市場との交渉は鈴木さんが自ら手がけ、メンバーが納得できる条件を引き出している。

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