本記事は筆者の実体験に基づく半分フィクションの物語だ。モデルとなった方々に迷惑をかけないため、文中に登場する人物は全員仮名、エピソードの詳細については多少調整してお届けする。
読者の皆さんには、以上を念頭に読み進めていただければ幸いだ。
前回までのあらすじ
異世界のルールを理解し、コツコツと努力を重ねた結果、ついに地域の農家が集まる部会の「部会長」まで上り詰めた僕、平松ケン。ただ、新参者に対する風当たりは、相変わらず厳しかった。そんな折、見慣れない番号から電話が掛かってきた。声の主は若い男性。話を聞いてみると、どうやら新規就農を希望しているようだ。
「衰退の一途をたどる農業を自分の手で変えたい!」。僕の畑を見学しながらそう意気込む若者に、農業を取り巻く現実をストレートに伝えたところ、理想と現実のギャップを痛感したのか、再び顔を見せることはなかった。
今度は年配の就農希望者が現れ、行政の担当者と共に就農に向けた準備を進めていたにも関わらず、いきなり音信不通となる事態が発生! 部会長としての僕のメンツは丸つぶれになったのだった。
新規就農者の研修担当の打診が!
「就農希望者が急に行方をくらますなんて……。これじゃあ、応援しようと色々と調整して回った僕がバカみたいじゃないか」
堆肥を畑に撒きながら、ふっと溜息が漏れた。
部会長として、まずは一つ手柄を—―。そう意気込んでいたからこそ、なおさら悔しい。いきなり音信不通になった男性のことを考えながら、黙々と手を動かし続けた。だが、どうしても気持ちが晴れない。
そのとき、不意に畑の脇から声が飛んできた。
「平松さーん!こんにちは!」
顔を上げると、市役所の農業振興課の担当者が歩いてくるのが見えた。先日、小西さんという年配の就農希望者の受け入れ準備を進めていた際、何かと調整役を買って出てくれた人物だ。
「先日の件は大変でしたね。こちらからも何度か電話してみたんですけど、一向に連絡がつかなくて……」
そう言いながら、担当者は苦笑いを浮かべる。
「いえいえ、こちらこそお手数をお掛けしてすみません」
僕は帽子を取り、深々と頭を下げた。どうにも後味の悪い結末だったが、仕方がない。
「それでですね。代わりと言ってはなんですが、平松さんにお願いしたいことがあって……」
担当者はそう切り出すと、おもむろにカバンの中から一枚のチラシを取り出した。目をやると、大きく 「担い手育成塾」 の文字が踊っている。
「これは何ですか?」
「新規就農者向けの研修制度です」
「それは知っていますけど……随分と内容が充実していますね」
「ええ、お陰さまで。で、その研修の受け入れ先を、平松さんにお願いしたいと思いまして……」
担い手育成塾。
僕が就農した地域では、数年前から高齢化が進む農家の新たな担い手を育てようと、行政、農協、地元農家が連携し、新たな農業研修をスタートさせた。国の制度を活用し、就農を目指す若者には給付金が支給され、生活費の援助を受けながら2年間で独り立ちを目指すという仕組みだ。既に全国のさまざまな自治体で実施されているが、僕のいる地域でも先行事例を参考にしながら、ようやく新規就農者を後押しする制度が整ったのだった。
「僕が就農した頃は、こんな手厚い制度はなかったなぁ……」
ぼそっと呟くと、担当者が満面の笑みで言った。
「だからこそ、新規就農された平松さんは研修の受け入れ先として適任だと思いまして!」
僕は苦笑する。確かに、新規就農の苦労は身を持って経験してきた。だが、正直なところ、内心では「今の人は恵まれ過ぎているんじゃないのか?」という思いも拭いきれない。
それでも——。
「同じように新規就農する仲間が増えることは、悪いことじゃないか」
自分にそう言い聞かせ、部会のリーダーとして、他の部会とも連携しながら研修を手伝うことに決めた。
だが、この研修には、僕が知らない “ある闇” が潜んでいたのだった——。
研修のスケジュール表を見てみると……
「そう言えば、農業研修の受け入れ先になったんだってねぇ」
地域の会合に顔を出すと、他の部会のベテラン農家から声を掛けられた。
「はい。市の担当者さんから頼まれまして……」
「平松さん、新規就農者だし、いろいろと教えてやってよ!」
「ありがとうございます。頑張ります」
笑いながら軽く背中を叩かれたが、その口ぶりにはどこか含みがあった。「新参者のあんたにちゃんと教えられるのか?」そんな意図が滲んでいるように感じたが、深く考えても仕方がない。
「移住してきた新規就農者だからこそ、分かることもある。せっかくだから、ちゃんと役に立つ研修にしたいな」
そう決意を新たにした。
この研修では、農業に関する知識を幅広く学ぶため、複数の部会をローテーションしながら作業を経験することになっている。受け入れ先となる部会は全部で5つ。そのうちの一つとして、僕の所でも実作業を通じてできるだけ実践的なノウハウを伝えていくつもりだった。
「どうやれば、身になる研修になるだろうか?」
先日播種した大根の間引き作業をしながら考えていると、遠くから手を振る人影が見えた。市役所の担当者だ。
「こんにちは、どうかしましたか?」
手を止めて顔を上げると、担当者が紙の資料を持ちながら近づいてきた。
「平松さん、カリキュラムを組んでみたんですけど、受け入れの日程はこの辺りで良いですかね?」
そう言いながら見せてくれた月間のスケジュール表には、既に他の部会の分も含めて受け入れ日が書き込まれていた。僕の担当日は、ちょうど次の大根の播種の時期と重なる当たりだ。
「この日なら大根の種まきをするんで、ちょうど良いかもしれないです」
そう答えながら、改めてスケジュール表をじっくりと見てみた。すると、ある違和感に気付いた。特定の部会だけ、他よりも明らかに受け入れ日数が多いのだ。
事前の説明では「各部会ごとに月1日」と聞いていたはずだ。だが、この表を見る限り、そのルールはどうやら曖昧になっているようだった。
「まあ、僕は初めてのことだし、こんなものか……」
引っ掛かるものを感じたが、深く考えずにその日は担当者と別れることにした。
研修生から思いがけない不満の声が……
そして迎えた受け入れ当日。
僕が畑で準備をしていると、向こうから3人の研修生がやって来た。
「よろしくお願いします!」
みんな、はつらつとした良い挨拶だ。その元気な姿に、僕も笑みを浮かべながら返した。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
まずは今日の作業の段取りを簡単に説明し、実演を交えながら進めていく。僕が最初に大根の播種をやってみせ、それを同じようにやってもらう流れだ。
3人とも、思った以上に手際が良かった。既に他の部会での研修を経験しているからか、無駄な動きが少ない。種の撒き方も丁寧で、手つきにも迷いがない。
「なかなか筋が良さそうだな」
そう思いながら様子を見ていると、あっという間に2時間が経過していた。
「そろそろ休憩を入れようか?」
声を掛けると、夢中で作業していた3人がほっとしたように手を止め、笑顔を見せた。僕が用意したペットボトルの飲み物を手渡すと、朝よりも少し緊張がほぐれた表情になっているのが分かる。
畑の一角に収穫カゴを並べ、そこに腰を下ろしながら、僕は何気なく彼らに問いかけた。
「うちの研修はどう?大変じゃない?」
すると、一番若そうな男性が、屈託のない笑顔で即答した。
「いえいえ、他に比べたら全然ですよ!」
だが、その言葉に対し、残りの2人はどこかバツの悪そうな表情を浮かべた。
「ん?」
その微妙な空気を察し、僕は思わず声を掛ける。
「どうしたの?」
年長らしき男性が、苦笑いを浮かべながら口を開いた。
「いやぁ……。実はサツマイモの部会がめちゃくちゃ大変で……」
話を聞くと、研修の規定では朝8時開始のはずが、サツマイモ部会では毎回のように朝6時に集合させられ、日が暮れるまでぶっ続けで作業をしているらしい。しかも、指導らしい指導はほとんどなく、ひたすら同じ作業を繰り返すだけ——。
それってもう、研修じゃなくて……労働じゃないか?
僕は喉まで出かかった言葉を押し殺すように天を仰いだ。
その日の研修は昼過ぎに終了し、3人を笑顔で見送った。だが、彼らから聞いた話が頭をよぎり、何とも言えないもやもやとした気持ちが残った。
「確かに、農業の厳しさを教えることは大事だ。でも……」
ただ闇雲に作業を手伝わせるだけで、本当に意味があるのだろうか?
この部会のやり方には、正直首をかしげざるを得なかった。
研修の実態は、単なる「タダ働き」?
結局、翌月も、その次の月も、研修のローテーションは本来のルールとはかけ離れたものになっていった。
「各部会、月1日ずつ」。そのはずが、特定の部会だけが2日、3日と受け入れ日を増やし、研修生たちは朝から夜まで容赦なくこき使われていると耳にした。
受け入れ先となっているのは、各部会の責任者たち。当然ながら、僕のような新規就農者はおらず、名の通ったベテラン農家ばかりだ。彼らは長年、この地域の農業を支えてきた重鎮たちでもある。
もしルールを厳守するようにたしなめようものなら、「じゃあ、うちは研修の受け入れをやめる」と言われかねない。そうなれば、研修そのものが立ち行かなくなる。結局、誰も「受け入れは月1回にしてくれ」とはっきり言えないまま、同じ状況がズルズルと続いていった。
研修生たちには国から補助金が支給されているため、受け入れ先の農家は給与を支払う必要がない。つまり、彼らを働かせても、出ていくお金はゼロ。考えようによっては「タダで使える便利な労働力」 だ。
まさか、そんな発想で研修生を受け入れている農家が居るとは思いたくない。だが、実際に研修の日程が偏り、過酷な労働を強いられているという話を聞くと、嫌でも疑いの目を向けざるを得ない。
もちろん、作業を経験することで学びはあるだろう。農業は甘い世界ではない。それは僕もよく分かっている。
だが、これは果たして「研修」と呼べるのだろうか?
夢抱く若者が単なる労働力として扱われている現実を前に、僕は言いようのないやるせなさを覚えていた。
レベル24の獲得スキル「玉石混交の農業研修。受け入れ農家に求められる資質」
全国的に農家の高齢化が急速に進む中、就農を希望する若者を対象に、さまざまな研修が実施されている。特に、非農家出身の新規就農者にとっては、こうした仕組みは大きな助けとなるに違いない。補助金を活用しながら実践的な研修を受けられる点も、大きな魅力の一つだ。
ただし、新規就農者向けの研修には、全国で統一されたカリキュラムが存在するわけではない。その内容は、受け入れ自治体や農家によって大きく異なる。手厚い指導体制が整い、充実した研修を受けられる地域がある一方で、ほとんど学びのないまま時間だけが過ぎてしまうケースも少なくない。受け入れ農家の姿勢にも温度差がある他、残念ながら研修生を無料の労働力として扱っていると思わざるを得ない農家が存在するのも実情だ。
だからこそ受け入れ農家は、地域の農業や所属する部会を維持・発展させるという視点に立ち、後進の育成に熱心に取り組む必要があると言えよう。「単なる作業要員」などと見立て、体よく過酷な作業を強いることは言語道断だ。
一方、就農を目指して研修を受ける側も、受け入れ先の指導方針や実際の研修内容を事前によく確認することが重要だ。タダ働きのような状況に陥らないためにも、十分に吟味した上で研修先を決めるべきだろう。