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育苗期にそばに置くだけ! 廃菌床が水稲の高温耐性を高める

斉藤 勝司

ライター:

育苗期にそばに置くだけ! 廃菌床が水稲の高温耐性を高める

水稲は夏に高温にさらされると、収量が減少するだけでなく品質も大きく損なわれてしまう。そのため今後地球温暖化が深刻化していくことを見据え、新潟大学農学部の教授・伊藤紀美子(いとう・きみこ)さんらの研究グループは水稲に高温耐性を付与する研究に着手した。キノコの生産で使用されながら、廃棄後の処理に難渋していた廃菌床を苗のそばに置くだけで水稲の高温耐性を強化し、収量を増やし、米の品質を向上させられることを確かめ、バイオスティミュラント資材としての活用を目指している。

菌糸が放出する成分が植物の生育を促す?

地球温暖化の対策が求められるようになって久しく、大気中の温室効果ガスの濃度を抑える取り組みが各方面で進められている。しかしながら、現時点では対策が功を奏しているとは言い難く、すでに世界の穀物生産に影響があらわれ始めており、今後、さらに影響が深刻化していくと心配されている。
日本人にとって主食であるコメについては、夏の高温による不稔(ふねん、受粉しても正常に種ができないこと)による減収に加え、米粒が白濁する白未熟粒の発生で品質が大きく損なわれる。このことから、新潟大学農学部の教授・伊藤紀美子さんらの研究グループは、水稲に高温耐性を付与するとともに、収量を増やし、品質を高める栽培技術の研究に取り組んでいる。この研究に取り組むことになった経緯について、伊藤さんが説明してくれた。

伊藤紀美子さん

【プロフィール】

新潟大学農学部 教授。
イネを対象にしたさまざまな分子生物学の研究に取り組んでいる。コメに含まれるデンプンは食味だけでなく、加工の際の特徴も左右することから、デンプン合成酵素の機能を人工的に制御することにより、デンプンの分子設計を行い、コメの多用途化を狙っている。また、暑さに強い水稲品種「コシヒカリ新潟大学NU1号」の育成にも参画。現在、気候変動に対抗する水稲の栽培技術を研究している。

「以前から付き合いのあったスペインの研究グループがシロイヌナズナを栽培していたところ、担当していた学生のミスで栽培容器にカビをはやしてしまったんです。ところが、カビの周囲のシロイヌナズナのほうが大きく成長しており、その後の研究で、カビから放出された揮発性成分が生育を促進したことが明らかになりました。この揮発性成分は高温、乾燥、二酸化炭素が高濃度になる環境ストレスにも効果があるかもしれないと考えられたので、一緒に研究することになりました」
そこで伊藤さんらの研究グループは、シロイヌナズナを栽培するプラスチックケースにすすかび病菌を播種(はしゅ)した培養器を置き、菌糸が放出する揮発性成分の効果を調べる実験を実施。その結果、すすかび病菌の成分にさらされなかった対照群に比べ、シロイヌナズナの生重量(水分を含めた重量)が約3倍になることが確かめられた。同様の効果は稲においても観察された。

水稲の高温耐性を強化する研究について説明する新潟大学農学部の伊藤紀美子さん

処分に難渋してきた廃菌床をBS資材として活用したい

近くに菌の培養器を置くだけで生育が3倍になるなら、菌糸が放出する成分をバイオスティミュラント(BS)資材として利用できそうだ。BS資材とは、従来の農薬や肥料、土壌改良剤とは異なる、植物の生育に良い効果をもたらす効果のある資材のことである。
しかし、すすかび病菌は植物病の原因菌であるため、BS資材として実用化できたとしても、多くの生産者が導入をためらうだろう。伊藤さんは生産者に安心して使ってもらえる資材を目指し、同じ菌類の中でも古くから食べられているキノコ類に注目。その生産に使われる菌床を用いて、まず水稲苗に対しても生育促進効果があるのかを確かめる研究に着手した。

菌床は加熱滅菌したおがくずと、キノコ類の生育に必要な栄養剤などを合わせて成型した後、キノコの素となる菌糸を接種して作られる。キノコを収穫した後は廃棄物として処分されることになるが、水分を多く含むため焼却処分できず、キノコ生産者は大量に出る廃菌床の処理に難渋してきた。
廃菌床が夏の高温下でも水稲の生育を促し、高温耐性を高めるBS資材として利用できれば、水稲農家はもちろんのこと、キノコ生産者にも大きな福音をもたらす。そこで、まず伊藤さんらは水稲苗を育てるプラスチックケースに2週間菌床を置き、その効果を調べる実験を行った。

菌床を適当な大きさに切り出した後、水稲苗を育てるプラスチックケースに置き、苗の生育への影響を調べた(画像提供:伊藤紀美子)

菌床をフィルムに包んでも苗の生育を促進

栽培実験ではシイタケの廃菌床に加え、菌床に菌糸を接種してまだキノコが生えてきていない接種後菌床、シイタケが生えている状態の発生菌床をプラスチックケースに置き、菌床を置かない非曝露(ばくろ)区の苗と乾燥重量を比較した。すると接種後菌床、発生菌床、廃菌床の順に苗の生育を促す効果が認められ、廃菌床でも乾燥重量が非曝露区に比べ1.4倍も増大した(下図左)。

この実験を見る限り、最も苗の生育を促した接種後菌床を利用するのが最良だと考えるかもしれないが、処理に難渋してきた廃菌床でも苗の生育を促しているのは間違いない。ただし、廃菌床にはキノコに寄生するキノコバエが潜んでいる可能性があるため、衛生面を考慮するとむき出しの状態では使いにくい。そこで廃菌床をガス透過性フィルムに包んで、フィルムを通して放出される揮発性成分の効果を調べる実験も行われた。
その結果、フィルムに包まずにフタなしのシャーレ(OPD)で施用した場合に最も苗の生育が促されたものの、ポリ塩化ビニル(PVC)、高密度ポリエチレン(HDPE)のフィルムで包んでも十分な効果が得られることが確かめられた(下図右)。

出典:科学技術振興機構(JST)新技術説明会(2024年9月24日開催)「置くだけで作物の多収化、高品質化、高温耐性を実現するバイオスティミュラント」発表資料

育苗期に廃菌床にさらすと収量は6割増。くず米は5分の1に減った!

こうして水稲苗の生育を促進する効果は確かめられたわけだが、高温耐性を付与できるかどうかは、野外の水田で夏季高温にさらしてみなければ分からない。伊藤さんは2023年、2024年にフィルムに包んでいない廃菌床を育苗期に施用した日本晴(にっぽんばれ)とコシヒカリの苗を野外の実験圃場(ほじょう)に植えて効果を検証した。その結果について伊藤さんはこう説明する。
「いずれの年も曝露区の苗のほうが大きく育ち、収量が増え、コメの品質は向上しました。特に2023年の夏は非常に暑く、新潟市における8月の平均最高気温は平年よりも4.8℃も高かったにもかかわらず、廃菌床を施用した苗は健全に育ち、高温耐性が向上していることがわかりました」

田植え後も生育に差がつき、曝露区のコシヒカリのほうが大きく育った(画像提供:伊藤紀美子)

2023年の栽培実験では、1株あたりの玄米重量は、非曝露区に比べて日本晴が2割の増加。コシヒカリに至っては6割も増加した。さらに、整粒率は5~7%向上し、くず米になるような深刻な白未熟粒は5分の1に減少。夏の高温にさらされながら、これだけ収量が増えたということは、廃菌床のそばで育苗すると高温耐性を付与できると言ってよいだろう。

同様の効果は水稲以外の作物にも期待でき、ダイズの栽培実験では、収量の増加、豆の品質向上が認められているという。ならば、すぐにでも廃菌床を取り入れたいと考える生産者もいると思われるが、伊藤さんは慎重な姿勢を見せる。
「育苗期の施用で収量、品質の向上が期待できるとはいえ、ただ生育を促進すればいいというものではないと考えています。水稲の場合、草丈が高くなれば倒伏しやすくなります。これまでの栽培実験では倒伏は確認されていませんが、食味に及ぼす影響も明らかになっていませんから、今後は廃菌床施用の最適条件を見いだす研究にも取り組んでいきたいですね」

伊藤さんらは、廃菌床の処理に難渋しているキノコ生産者と、廃菌床を求める水稲などの生産者をマッチングするアプリの開発も目指している。この研究が進展すれば、廃菌床が作物に高温耐性を与え、これまで通りの農業生産の維持に貢献してくれるに違いない。

廃菌床の効果はダイズでも確認され、曝露区のほうが大きく育ち、収量増、豆の品質向上も確かめられている(画像提供:伊藤紀美子)

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