中学の同級生が助言「専業でやれ」
角田さんは39歳。田んぼの面積は15ヘクタール弱で、近く新たに5ヘクタールを借りることができると見込んでいる。だがこれはあくまで通過点。角田さんは「100ヘクタールまで広げたい」と意気込む。
もともと実家の田んぼは1ヘクタールの広さしかなかった。当然その規模では収入が足りず、親が勤めに出て家計を支えていた。零細な兼業農家の典型的なパターンだろう。田んぼはもっぱら親戚が切り盛りしていた。
親戚は「農業はもうからない。でも休みの日は田んぼを手伝ってほしい」と角田さんに求めていた。目的は田んぼを守るため。大切な資産である農地を荒らしたくないと考えるのは農家にとってごく普通の心理だ。

角田大輔さん
「魅力の無い仕事なのに、休日を返上してまでやらないといけないのか」。そう思いながらも、角田さんは親戚から言われる通り手伝った。飲食店や食品工場などで働く傍ら、農繁期は田んぼに出て田植えや稲刈りをした。
30歳を手前にして転機が訪れた。腰を痛めて手術し、自宅でリハビリしているときに中学の同級生が訪ねてきてこう告げた。「もし頭の片隅にでも農家を継ぐことがあるなら、兼業なんて考えないで専業でやるべきだ」
友人はすでに実家の花農家を継いでいた。「専業でやるイメージなんてまったくわかない」。そう戸惑う角田さんに、友人は「もしやる気があるなら、専業で大規模でやっている人を紹介する」と言ってくれた。
このとき紹介されたのが、ベテラン農家の早川良史(はやかわ・よしちか)さんだった。コメと麦を合わせた面積が90ヘクタールの大規模農家だ。そのころ若手農家を集めて「ヤング農マンKAZO」を立ち上げていた。
独立まで待ってくれた師匠の農家
早川さんと初めて会ったときの強烈な印象を、角田さんはいまも鮮明に覚えている。場所は地元のうどん店。早川さんはこう話したという。「1億円借りてやっちゃえ。大丈夫。おれも返せたんだから」

















