「問屋」たちが立ち上げた組織は今や、国内シェア1割を担う一大生産組織へ
登記上の正式な会社名は「株式会社mf」。対外的なわかりやすさから「農業法人みずのえファーム」という通称を用いている。2018年の設立から8期目を数え、代表取締役を赤羽根正久さん(株式会社赤羽根商店)、副社長を毛塚哲生さん(株式会社ヤマケ)が務めている。
同社の経営モデルは一農家としての自社栽培にとどまらず、地域農家が栽培に集中できる受け皿として、かんぴょうの生産・加工を支えるプラットフォームの機能を有している点にある。
同社が取り扱うかんぴょうの生産量は、すでに産地全体の約10%を占める。その生産構造は、自社圃場での直接栽培が約4割、10軒以上の地域の提携農家から原材料となるユウガオの実を全量買い取る割合が約6割という構成になっている。
「農家が一番苦しんでいる過酷なかんぴょう剥き・乾燥工程を一括受託する」という分業化の仕組みを整備したことで、高齢農家の離農を防ぐだけでなく、新規就農者の参入ハードルを下げる地域の生産インフラを構築している。

みずのえファームで作られるかんぴょう
「10年で半減」の産地崩壊危機。問屋が手を取り合った理由
今回、話を伺った副社長の毛塚さんは、1907年創業で120年近い歴史を誇る老舗問屋「株式会社ヤマケ」の5代目にあたる。大学で電気工学を修めた毛塚さんは卒業後、システムエンジニアとして経験を積んだ。
そんな中、自ら実業の現場で責任を持って事業を動かしたいという思いから2017年、33歳の時にかんぴょうの卸問屋である家業へ戻ることを決意した。
しかし、戻った現場で目にしたのは、「10年で半減」というペースで急速に原産地が縮小していく衝撃的な現状だった。
問屋という立場は、農家から買い付けた商品を再選別・パッキングして出荷する中間流通であるため、仕入れる原産地そのものが消滅してしまえば商売自体が成り立たなくなる。この構造的危機に対し、毛塚さんは同じ問屋として協力関係にあった赤羽根さんと打開策を模索した。赤羽根さんは卸売業の傍ら、自社での生産にも取り組んでいたものの、単独での規模拡大には限界を感じており、両者は意気投合。2018年に「株式会社mf」を立ち上げた。
毛塚さんは、エンジニア時代に培ったロジカルシンキングや数値管理、仮説検証の思考を農業経営に持ち込み、「なぜ従来の農業は参入しにくいのか」「どうすれば持続可能な構造に組み替えられるか」を解明しながら、伝統産業のアップデートへと着手していった。

乾燥する前のかんぴょう
過酷な重労働の解体と、かんぴょうを基軸にした周年経営
離農の元凶「深夜2時起き」を解消する栽培・加工の分業化
かんぴょう農家が次々と離農していった背景には、高齢化だけでなく、6月下旬から9月上旬にかけてのわずか2ヶ月半の間に重労働が集中する過酷な労働スタイルがあった。
この短いシーズン中、10アールあたり約1000個~1500個もの実が収穫を迎えるが、常温で放置するとすぐに傷んでしまう。そのため、前日に収穫した実を翌朝までに剥き終え、日の出とともに太陽光と熱をフル活用してその日のうちに乾燥させ切る必要があった。日が出る前の早朝にビニールハウスへ干し終えるべく、午前2時に起きてかんぴょう剥きをする生活を連日にわたって余儀なくされていたのだ。
「この短い期間に栽培から夜中の加工までをすべて一人で抱え込む構造こそが、離農と新規参入の最大の壁になっている」と考えたみずのえファームは、作業工程の「分業化」と「設備による課題克服」をセットで導入。「農業は気合いや根性ではなく、再現できる仕組みに変えられる」と毛塚さんは話す。
同社がとった手法は、提携農家には「栽培と収穫」だけに専念してもらい、負担の重い「かんぴょう剥き・乾燥などの加工工程」をみずのえファームが一括して引き受けるという分業体制だ。
さらに、加工場に保管用の低温倉庫を導入し、届いた実を一時保管できるようにしたことで、収穫直後に剥かなければならない制約を大きく緩和した。さらに、5台の剥き機で集中加工を行い、午前10時〜11時頃にハウスに干し終えるシフト勤務体系を確立させた。
干し始めが遅くなることで夕方までに乾ききらない分や天候不順の際は、ハウス内の暖房を焚いて温風で乾燥を補助する。燃料費はかかるものの、「人間に深夜2時起きという無理な働き方をさせないための必要経費」と割り切り、設備と技術でカバーするシステムを作り上げたのだ。
これにより提携農家側は、夜中の加工作業や高額な乾燥ハウス・加工機械を自前で所有する必要がなくなり、トラクター1台で手軽に営農をスタートできる環境が整った。
この分業化モデルにより、地域には多様な働き手が集っている。
定年退職した後に就農した夫妻は、未経験からスタートして研究を重ね、現在では65アールの圃場から年間約1万個の実を納品する主力生産者へと成長した。また、「副業」として取り組む事例もある。本業を持ちながら、同社から軽トラやトラクター、防除機などを無償で借り受け、自己資金の持ち出しゼロ・体一つで参入。平日の早朝や休日の空き時間を活用してユウガオを栽培している。「いきなり離職して農業を始めるのはリスクが高い」と考える人にとって、初期投資なしで挑戦できる現実的なステップとして機能している。

ユウガオの畑
「かんぴょう×ニラ」による年間雇用と業務用直販ルートの開拓
夏の主産物であるかんぴょうに対し、同社は秋冬の主力作物として「ニラ」を組み合わせた営農体系を確立している。農業特有の繁忙期と閑散期のギャップを埋め、従業員の通年雇用と収益の平準化を図るためだ。
現在、同社では34棟(90アール)に及ぶハウスでニラを栽培しており、冬場には地下水(約15℃)を二重ビニールハウスの間に流す「ウォーターカーテン」技術を導入している。外気温がマイナスまで冷え込む冬でもハウス内を5℃前後に保つことができ、他産地の出荷が落ち込む12月〜1月に出荷できるのが強みだ。
このニラ事業において、同社は従来の市場流通に頼らず、実需者と直接つながる「業務用直販ルート」の開拓に早期から取り組んできた。
自社の公式Webサイトなどを通じてアプローチのあった業務用野菜卸との間で直接取引を開始。業務用のため販売単価は量販向けに劣るものの、100g単位の計量やテープ留めといった調製作業が不要となった。業務用直販であれば「10kgダンボールへの袋詰め」でそのまま出荷でき、作業負荷の大幅な軽減と出荷スピードの向上を実現している。
シーズンを通じて単価が固定される年間契約を結ぶことで、相場下落のリスクも回避。高い生産性と安定した収益性を両立する、持続可能な営農モデルへと昇華させた。

ニラの畑
「機械が壊れたら廃業」を打破したかんぴょう剥き機開発
かんぴょうの生産現場には、もう一つ深刻な問題があった。
生産者の減少に伴って、農機メーカーの多くが撤退。剥き機の販売やパーツ供給がストップしていたのだ。生産者たちは離農した農家から譲り受けた機械をストックし、部品を取り外して付け替える「部品取り」で古い農機を騙し騙し使い続けており、「機械が故障した時が廃業の時」という状況にあった。
「生産現場の機械がなくなれば、産地そのものが終わる」
この危機に対し、みずのえファームは地域を巻き込んだ産学官連携で立ち上がった。始まりは、地元・小山高専の研究プロジェクトだった。ユウガオの実の重心を見極めて芯を刺すという「職人の感覚技」を学生の研究テーマとして解析することからスタート。そこに産業用ロボットを手がけるアヤラ産業(那須烏山市)が参画し、2025年1月には栃木県干瓢商業協同組合も加わって「干瓢剥き機改良協議会」が発足した。
みずのえファームで実証試験を重ねて開発された改良機は、故障の原因となる摩耗パーツを少なくし、耐久性を高めるとともに、作業疲労の軽減と1個あたり約50秒というスムーズな処理スピードを実現した。
すでに一般販売が開始されており、みずのえファームでも実際に導入されるなど、地域の生産インフラを守る新たな力として普及が進められている。

ユウガオの皮を剝いている毛塚さん
「名脇役」を守り抜く。地域農業の持続可能な未来へ
持続可能な生産体系の構築と業界全体の成長に寄与する取り組みは高く評価され、同社は栃木県農業大賞の「芽吹き力賞(栃木県知事賞)」を受賞。近年ではNHKニュースや「秘密のケンミンSHOW」などの全国メディアでも大きく取り上げられ、放映後には遠方の寿司店から直接注文が入るなど、国産かんぴょうの価値を再認識させる反響を呼んでいる。
毛塚さんは、エンジニア時代に培ったロジカルシンキングや数値管理、仮説検証の思考を農業経営の基盤に置く。しかし、その視線の先にあるのは単なる自社の利益ではない。目指すのは、加工が困難になった高齢農家の実を買い取る「受け皿」となり、産地そのものを次世代へつなぐことだ。
「かんぴょうは寿司の具材としてだけでなく、おでんの巾着や昆布巻きを縛る『食べられる紐』として、日本の食文化を支えてきました。決して主役ではありませんが、なくてはならない『名脇役』です。この伝統的な和食文化を後世へ継承し、世界へ届けていくことが私たちの役割だと思っています」
同社では現在、春や秋の端境期における隙間時間の有効活用や、新規就農者が独立・雇用を選択できる柔軟な支援体制の拡充を進めている。問屋の市場感覚とエンジニアとして培った「仕組みを設計する思考」、そして地域を巻き込む情熱が生み出したみずのえファームの挑戦は、衰退に悩む全国の地域産業や伝統農業に対し、持続可能な未来を築く指針を示しているといえるだろう。
取材協力
みずのえファーム
















