練馬細尻大根は江戸元禄期頃には盛んになった伝統野菜です。
「練馬秋づまり大根」とあわせて通称:練習大根と呼ばれています。
「大根といえば練馬」といわれるほど栽培が盛んでしたが、昭和の始め頃までが最盛期でその後急速に衰退しました。
練馬大根の歴史や伝統野菜を育てる難しさなどについて紹介します。
練馬大根の歴史
大根は文字のない時代からすでに日本に渡来しており、大和言葉で「オオネ」と呼ばれていました。
「大根」という字を当てたのは平安時代の「和名抄」です。
練馬細尻大根が本格的に栽培されるようになったのには、二つの説があります。
1つ目は綱吉説です。
徳川綱吉が脚気を患い、練馬に療養へ行ったときに評価の高かった尾張の大根の種を取り寄せ、栽培させました。これを食べて脚気が回復し、その後も良い物ができればお城へ納めさせました。農民たちが栽培に奮闘し、栽培が盛んになったとのことです。
2つ目は篤農(とくのう)又六説です。
篤農とは、農業に熱心で研究心に富んだ人のことです。この又六という人が種を入手し、育てたのが始まりという説です。
この2つを合わせた説もあり、実際にどちらが正しいかということは分かっていません。
練馬大根の最盛期と衰退
練馬大根が江戸時代に盛んに栽培されるようになったのは、大消費地である江戸に近い土地柄であったことも影響しています。
江戸へは練馬から日帰りでの出荷が可能で、契約した商家や市場に運んで卸していました。
帰りには肥料として江戸市民の人糞を持ち帰ることができることも相まって、需要が高まり、生産が増えました。
時は移り、近代へ。日本は日清戦争や日露戦争などの世界大戦期に突入しますが、当時でも練馬大根の漬け物が軍隊に納められ、需要はさらに増していました。
漬物人気に火が付き、たくあん工場ができ、近代化で改善された道路や国鉄、私鉄などを使って販路が拡大されました。
この明治末から昭和初め頃までが練馬大根の最盛期だったといえます。
その後、昭和8年の大干ばつ、モザイク病の大発生で痛手を受けました。
さらに追い討ちをかけるように、急速な食生活の洋風化や、人工増加による農地の減少がなどの社会的要因も影響した、昭和30年頃から衰退の一途を辿りました。
生産が減少したもう一つの要因に、栽培が重労働であることが挙げられます。
練馬大根は収穫の際に、畑から引き抜くときにふつうの大根の数倍の力を必要とします。
さらに一般的な青首大根は60日で収穫が可能ですが、練馬大根は90〜100日ほどかかるという生育日数の長さも農家から敬遠される原因となりました。
加えて、栽培時期が高温障害や台風の影響を受けやすく栽培しにくい条件というマイナスの条件が重なりました。
この逆境は現在も変わらず、栽培コストに見合った利益を確保するのが難しく、一般に流通する機会が少なくなっています。
伝統野菜としての練馬大根が衰退した更なる原因
練馬大根に限らず、全国各地の伝統的品種(固定種)の大根は、急速に姿を消していきました。
その原因は、昭和49年に「耐病総太り」というF1品種が発表されたことに集約されています。
この品種は四元交配という4品種の特徴を1つにした品種です。
「耐病総太り」大根は固定種の辛くて固い大根とは違い、甘く、柔らかく、みずみずしいという特長をもっていました。
成長期間も60日と短く、スが入らずに成長し続ける利点も持っていました。
通常の大根は収穫適期以降は「ス入り」という、中に空洞のできる症状が出ます。
スが入ると商品価値がなくなるため、適期に抜いて漬け物にしなければ保存できませんでした。
スが入らない「耐病総太り」の大根は、あっという間に全国に広まり、生産される大根の品種はF1青首大根一色になってしまいました。
固定種、F1品種とは
ここで、固定種とF1品種について、簡単にご説明します。
固定種とは何世代にも渡り、選抜や淘汰を行いながら、遺伝的に安定してきた品種です。その土地の気候や風土に適応した伝統野菜や地方野菜にその特長が表れています。
蒔いた種はその親とそっくりなものが生えます。
一方のF1品種は、異なる性質の種をかけ合わせた雑種の一代目で、大きさや風味が均一になるという特徴があります。同じ品質のものを大量に生産したり、1年中栽培を可能にしたりできるという利点があります。
また、市場の「均質でなければならない」という要求も満たすことができ、規格どおりの均一価格で販売しやすくなるのが、F1品種です。
F1品種は良いところばかりではない
F1品種には多くの利点もありますが、知っておかなければならないリスクもあります。
それは「自家採取ができない」という点です。
遺伝の法則によって一代目の時は均一に揃ったもの収穫ができますが、二代目になると異なる性質が多く出て、均一にはなりません。
さらに最近は健全な花粉ができない株を利用した種の生産が行われているため、二代目の種ができないようなF1品種づくりに推移しています。
そのため、同じ性質を持った作物を作ろうとすれば、常に種を購入する必要があり、種の生産や入手価格を種苗メーカーに委ねることになるのです。
ここに、種代がどんなに高くなっても、メーカーの提示した値段で買わなければいけない時代が来る危うさがあります。
種が高くなっても卸値が変わらなければ、農業を続けていくことができない農家が増え、農業自体が衰退する可能性もあることを私たちは覚悟しなければなりません。
固定種を育てる難しさ
種を取り続けるということは、その作物とずっと付き合っていくということになります。
そのため毎年種を蒔き、種を採るというサイクルを繰り返さなければ種がその土地に馴染むことができません。
また、「交雑」の問題もおこります。交雑とは、同じ科・同じ属の野菜を近くで育てることによって遺伝的に交わることです。
交雑が悪いことではありませんが、作物の特徴が崩れてなかなか元に戻すことができません。
何代にも渡って採種してきた種子であっても、また新しく種子を入手しなければならない状況にもなりかねません。
さらに、「交雑防止法」という法律もありますので、固定種を育てて種を採種する場合は一度目を通すとよいでしょう。
練馬大根に限らず、多くの伝統野菜は栽培面のコストや流通の問題で大量に流通させることが難しい野菜です。
伝統野菜を手に入れる方法は、育てている人から直接購入するほか、自分で育てるという選択肢もあります。
手にすることがむずかしいとしても一度は、伝統野菜を味わってみたいものです。