福島から見つめる日本の農業のあり方・がんばろう福島、農業者等の会代表齊藤登さんインタビュー[1/3] – マイナビ農業

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農業者等の会代表齊藤登さんインタビュー[1/3]

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福島から見つめる日本の農業のあり方・がんばろう福島、
農業者等の会代表齊藤登さんインタビュー[1/3]

福島から見つめる日本の農業のあり方・がんばろう福島、<br/>農業者等の会代表齊藤登さんインタビュー[1/3]

2017年07月31日

東日本大震災を経験し、福島県産の野菜や果物に逆風が吹く中で見えてきた、日本の農業のあるべき形とは。齊藤さんのストーリーを全3回でお送りします。第1回は、農業を始めた背景や、東日本大震災が起きた時の様子をお届けします。

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福島県二本松市でキュウリや米を生産する齊藤登(さいとうのぼる)さん。自分の野菜を作って販売するだけでなく「NPO法人 がんばろう福島、農業者等の会」で福島県内の多数の農家を結んでいます。東日本大震災を経験し、福島県産の野菜や果物に逆風が吹く中で見えてきた、日本の農業のあるべき形とは。齊藤さんのストーリーを全3回でお送りします。第1回は、農業を始めた背景や、東日本大震災が起きた時の様子をお届けします。

ー本日はよろしくお願いします。まずは齊藤さんのルーツからおうかがいしたいと思います。農家になる前は福島県庁で働いていたと伺いましたが、どのような経緯で農業を始めたのでしょうか。

もともと、福島県二本松市にある私の実家は、キュウリ農家でした。私は長男ですが、できれば継ぎたくないと思っていました。親の苦労を間近で見ていたからです。農家は土日も休みがありません。そこで、大学卒業後は福島県庁の職員になりました。公務員になれば、農家を継げとは言われないだろうと思ったのです。

警察署に出向して麻薬や覚醒剤の取締りをしたり、観光課でPRイベントの開催や、メディア対応をしたりと、様々な仕事をしました。たくさんの人と出会い、楽しく仕事をしていました。

その後、50歳になる年に公立高校で事務の管理職になりました。それまでとは違い、部屋にこもって事務仕事ばかりをする生活。50歳と言えばまだまだ精力的に働きたい年頃ですから、おもしろさを感じませんでした。もっと心が踊る仕事をしたいと思い、思い切って役所を辞めました。

退職後の不安はありませんでした。むしろ、ワクワクしていました。昔から知人が転職した話を聞くとうらやましい気持ちもあり、自分もその立場になって新しい世界に行けることに喜びを感じたのです。

仕事を辞めると決めてから、自分に何ができるか考えました。ただ、起業すると言っても、特別なスキルがあるわけではなく、これといった選択肢もありませんでした。その時、実家のことが頭をよぎりました。実家の農園なら、道具やノウハウがあるので、すぐに始められます。ネットショップでの通販や直販、体験農業など、自分なりに新しいことをすればおもしろいだろうと考えたのです。

ー「わくわくすること」が新しい農業を提案することだったのですね。どのような取り組みから始めたのでしょうか。

まずは自分で体験して、農業に関する色々な情報を検証しようと思いました。例えば、農業のマイナス点。農業では食べていけない、跡取りがいない、きついと言われますが、本当なのか確かめることにしたのです。当時ネットショップで野菜は売れないと言われていたので、試してみました。

実際に体験してみると、言われていたことの意味が分かりました。まず、農業は本当に大変なビジネスだと思いました。家族経営ならなんとかやっていけますが、企業でやるのは相当難しい。規模を拡大すると人件費がかさみ、利益率はかなり悪くなります。

さらに、天候に作物の収穫高が左右されるので、想定ほどの売上を得られないこともあります。規模を大きくして人件費を上げた後に農作物が収穫できなければ、すぐに潰れてしまいます。ネットショップの売上も、概ね想定通りでした。ネットショップの売上は、1年目は年間で15万円程度にしかなりませんでした。

1年間で様々な検証をして、農業の実情を掴んだわけですね。2年目になり、いよいよこれからというタイミングで東日本大震災が起きたと聞きました。

まさに、これからいろいろ仕掛けていこうというタイミングでした。私が経営する二本松農園は、福島第一原発からちょうど50キロの地点にあります。原発事故の影響で福島のほうれん草は全て出荷停止になり、もう農業はやめるしかないと思いました。

土の放射能レベルは基準値以下で、農業を続けても良かったのですが、どうせキュウリを育てても放射能汚染で出荷できないだろうと考えました。せっかく県の職員を辞めて農業を始めたのにこんなことになってしまい、タイミングが悪かったです。県庁に戻れるわけでもありませんし、この先どうしようかと思いました。

それでも、念のためにキュウリを育て、収穫したキュウリの放射能を検査してみました。すると、出てきた値は「No Data」。機械の検出限界値を下回ったのです。検査器が壊れているのではないかと思い、県の検査所にも持っていきました。

しかし、結果は変わりませんでした。それどころか、私だけではなく、他の農家の野菜からも放射能が検出されていないことがわかりました。山菜やキノコ、タケノコなどからは基準値以上の放射能が検出されていたので出荷はできませんが、野菜や米は安全が証明されたのです。

土からは、原発事故から6年経った2017年でも、1キロあたり2000ベクレルほどの放射能が検出されます(5000ベクレル/1キロが農業が制限される基準値)。しかし、野菜や果物は、土の放射能を吸収しなかったのです。植物は土の中の放射性物質(セシウム)よりもカリを吸収しやすい特性があります。日本の土は、古来より牛糞などを用いた有機肥料が使われていたおかげで、チェルノブイリの周りなどと比較して、カリが多く含まれていたのです。そのため、作物から放射能が検出されませんでした。日本の有機的な栽培方法が、放射能に勝った象徴的なできごとなんです。

現在は、土の中のカリの成分が枯渇しないように、カリを含んだ肥料をまいています。二本松農園で採れる野菜からは、未だに放射能は検出されていません。1キロあたり100ベクレル以下であれば問題ないという基準がありますが、もし少しでも放射能が検出されていたら、私は農業をやめていたと思います。やはり、お客様に自信を持って安心と推められなければ、続けられませんから。

自分の作る作物が安心だと確信できたことが、その後の活動の原動力になりました。

次回は、震災後の逆境をどう乗り越えていったのかをお届けします。

福島から見つめる日本の農業のあり方・がんばろう福島、農業者等の会代表齊藤登さんインタビュー[2/3]

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