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【第2回】福島から見つめる日本の農業のあり方・がんばろう福島、農業者等の会代表齊藤登さんインタビュー

【第2回】福島から見つめる日本の農業のあり方・がんばろう福島、農業者等の会代表齊藤登さんインタビュー

福島県二本松市でキュウリや米を生産する齊藤登(さいとうのぼる)さん。自分の野菜を作って販売するだけでなく「NPO法人がんばろう福島、農業者等の会」にて福島県内の多数の農家を結んでいます。東日本大震災を経験し、福島県産の野菜や果物に逆風が吹く中で見えてきた、日本の農業のあるべき形とは。齊藤さんのストーリーを全3回でお送りします。

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福島県二本松市でキュウリや米を生産する齊藤登(さいとうのぼる)さん。自分の野菜を作って販売するだけでなく「NPO法人がんばろう福島、農業者等の会」にて福島県内の多数の農家を結んでいます。東日本大震災を経験し、福島県産の野菜や果物に逆風が吹く中で見えてきた、日本の農業のあるべき形とは。齊藤さんのストーリーを全3回でお送りします。第2回は東日本大震災後の逆境をどのように乗り越えてきたかをお届けします。

ー前回、福島県の野菜からは放射能が検出されなかったとうかがいましたが、消費者の心理は少し違ったのかと思います。実際の売れ行きはいかがだったのでしょうか。

福島県産の作物の流通はほとんど止まってしまい、多くの農家が困っていました。ところが、キュウリの栽培を再開して安全が確認されるよりも前、震災が起きた3月の末日までの間に、ネットショップ上は2,000通以上のお問い合わせがありました。ほとんどが「福島の農家を応援したい」という内容で、福島県で困ってる農家の農産物を二本松農園のネットショップに上げてほしいという声もたくさんありました。

半信半疑でしたが、これだけメールでお問い合わせが来るならニーズがあると思い、震災前の年に採れた米をネットショップで販売してみました。すると、5キロの米20袋が、15分程で完売しました。当時は、消費者の中で福島県の農家を応援したいという気持ちが大きく「ネットショップに上げてくれれば全部買います」という空気がありました。そこで、困っている知り合いの農家の商品を、ネットショップで販売する取り組みを始めました。

さらに、4月下旬頃には、関東のマルシェに出店することにしました。福島県産の農作物への逆風が一番大変だった時期で、福島県の農家はどう思われるのか、関東に行って確かめてみようと考えたのです。

ワゴン車一杯に果物と野菜を積んで、神奈川県川崎市で開かれたマルシェに出店しました。関東の農家に囲まれる中、「福島の農家です。放射能は全部測っていて安全です」と言って販売したところ、たくさんのお客様が集まり、出店者の中で一番売れました。

一体何が起きてるんだろうと思いました。世の中で言われる風評被害ここにはないと感じました。もちろん、福島県のものを買わない人もいましたが、逆に応援したい気持ちでたくさん買ってくれる人もいます。ネットショップでどの野菜も飛ぶように売れていることが証明しています。買いたいと思う人がたくさんいても、小売店や卸しなど、流通で止まってしまい、消費者のもとに福島県の農産物が届いていないだけなのだろうと思いました。

ー福島のものを買いたいという方がたくさんいらっしゃったのですね。その後、50件近い農家の方の商品を扱うようになったとうかがいましたが、影響の輪はどうやって広がったのでしょうか。

二本松農園の取り組みを知った農家の方から、ネットショップやマルシェで販売してほしいという声をいただくようになりました。特に、テレビで紹介されてからは、全く見知らぬ農家の方々が訪れるようになりました。

ある時は、朝起きたら玄関先に知らない方が倒れていたことがありました。「助けてください」と。何事かと思い、話を聞きました。新潟県との境の町から来たその方は、ゆべしなどの加工品販売をしていたのですが、観光客がいなくなり、商品が売れなくなって、このままではパートの方に辞めてもらわなければならないと途方に暮れていたそうです。その時に二本松農園の取り組みを知り、150キロ以上車を運転して、わざわざ訪ねてくれたそうです。

福島県の面積は日本で三番目の大きさです。中には原発事故の影響を全くと言っていいほど被っていないのに、同じ「福島県産」でくくられてしまい、敬遠されてしまっている商品もたくさんありました。

そういう方一人一人のお話をうかがい、ブログで紹介して、ネットショップで販売すると、すぐに完売。また、関東で開かれるマルシェでの直接販売も続けました。関東に行く前は、できる限りの農家を回り、ワゴン車に積めるだけの商品を持っていきます。マルシェに着いてしまえば、福島県を応援したいというたくさんのお客さんがいるので、販売はボランティアの方々にお任せしました。

全国で応援してくださる消費者のみなさんのおかげで、たくさんの福島県の農家が救われました。私には儲けたいという気持ちは一切ありませんでした。とにかく、福島県の農家の仲間を助けたい一心でした。自分ができることがあれば、何でもやろうと。結果として、ネットショップの売上は、前年度の1,000倍近くになりました。

1億円以上ネットショップで売れたということですね。事業はそのまま順調に拡大していったのでしょうか。

全く順調ではありませんでした。それどころか、震災の翌年には廃業の危機に立たされました。ネットショップやマルシェで応援してくださる方がいるとはいえ、やはり福島県のものは売れなくなっていて、震災後に農業をやめる人はたくさんいました。私は、そういった方の田んぼも借りて米の生産を拡大していました。

震災復興の補助金を利用してスタッフを20人ほど雇い、法人として拡大路線を取ったわけです。直接販売も変わらず続けていて、車3台を使ったピストン輸送で毎日のように東京に向かっていました。高速代などを考慮すると完全に赤字なのは分かっていましたが、後には引けませんでした。他の農家の商品を背負っている気持ちでしたから。

しかし、補助金で無理やり成り立たせていることは継続しません。補助金の交付が終わった途端、スタッフの給料が払えなくなり、全員に辞めてもらうしか方法がありませんでした。人生のどん底でした。広大な農園を一人では管理できませんし、いっそのこと死んでしまおうかとも思いました。あれだけ好調だったネットショップも停止しました。ブログでお客様に事情を説明してから、1ヶ月間は更新をしませんでした。

しかし、なんだかネットショップの向こう側からお客様の声が聞こえてくるような気がして止まないのです。「なんで閉めたの」「応援したいのに」「農園では何が起きたの」と言われているような胸騒ぎがしました。

そこで、ある日の夜、ネットショップで5品目ほどの商品を更新してみると、途端に注文が来て、一晩で50万円分近い商品を買っていただけました。ネットショップを閉めている間も、毎日アクセスしてくれた人たちがいたのです。普通は更新しなかったらアクセス数は下がるはずです。福島県のものを待ち続けてくれてる人たちがいると知り、まだやり直せると勇気をもらいました。

それから、できることを積み重ねて、スタッフを4名雇えるほどにまでなりました。ある時の消費者アンケートでは、8割の人が福島県産の野菜や果物を買わないと答えていました。それは、発想を変えてみれば、10万人のうち2万人は福島県の農家を応援したいと思ってくださるということなんです。「マイナスをプラスにするポジティブさ」や「物事の本質を見抜く目」を持っていることが大事だと思います。

 

次回は、様々なチャレンジを踏まえて、齊藤さんが考える日本の農業のあるべき形をうかがいました。

【第3回】福島から見つめる日本の農業のあり方・がんばろう福島、農業者等の会代表齊藤登さんインタビュー

 

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