日本の農家戸数の約7割を占める兼業農家。農業の重要な担い手である兼業農家ですが、近年、専業農家以上に減少の一途を辿っています(*1)。そんな中、独自のスタイルで兼業就農にチャレンジし、注目を集めている農業家がいます。神奈川県・相模原市の田中英之(たなかひでゆき)さんです。
田中さんは、大豆の発酵食品であるテンペを加工、生産し、普及に力を入れているため、神奈川県の農家の間では「テンペの田中さん」と呼ばれています。普段は建設現場の現場監督として働きながら、テンペの原料となる大豆を自然栽培で育て、テンペのPR活動や講演などを行っています。多くの顔を持つ田中さんですが、今のスタイルに行きつくまでにどのような経緯があったのでしょうか。
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さまざまな顔をお持ちの田中さんですが、現在の活動を教えていただけますか。
就農7年目の兼業農家です。神奈川県相模原市・津久井で大豆を栽培して、それをテンペという発酵品に加工して販売しています。他に、テンペを使った料理を食べるイベントを企画したり、「農future」という、カッコいい農業家を目指す農業家コミュニティーの中で講演活動を行ったりしています。
多忙ですね。1週間のスケジュールを教えていただけますか。
平日は建設業の会社員として建築現場の現場監督をしています。休日は畑に出たり、各種イベントに足を運んだり、サーフィンや音楽活動もしています。忙しいですが、まだやりたいことの一部しかできていないです。
最初は儲かりそう、がきっかけだった
農業を始めたきっかけは、何ですか。
僕は、学校を出てから会社員として働いたことがないんです。建設現場で職人として働き、30代で測量の会社を作りました。社員も増え、業績も順調に伸び始めた頃、メディアで農業が取り上げられることが増えてきたんです。経営者として「これは事業にしたら儲かるんじゃないか」と思って、農業に興味を持ちました。
会社の新事業として農業を始めたのですね。
一足先に、兄嫁が農業を始めていたことも、背中を押してくれました。彼女は韓国唐辛子を1人で作って飲食店に卸していました。当時、韓国唐辛子は輸入が少なく、供給が圧倒的に不足していました。だから国産の韓国唐辛子は、作れば作るだけ、売れたんです。それを手伝いながら、これなら事業になる、と確信しました。社員に従来の業務を任せて、まずは僕だけで農業を始めました。
最初から順風満帆のスタートですね。
ところが、すぐに安い輸入品が出てきて、卸価格は三分の一程度にまで落ちてしまいました。兄嫁はすぐに撤退を決意しましたが、僕は続けたかったので農地を引き継ぐことにしたんです。
苦難の連続、それでも農業を続けた理由
その後は順調に農業事業を拡大できたのでしょうか。
いえ、それがまったくダメでした。周りの理解が得られなかったんです。まず、本業の会社の従業員たちが次々と辞めていってしまった。異分野の農業に僕が熱中していることに不満があったのでしょうね。さらに、就農をきっかけに結婚した嫁も、次第に離れていって。結局、就農して一年で、従業員も嫁もいなくなって、ひとりになってしまいました。
大ピンチですね
農業をやめて津久井を離れ、会社を続けるという選択肢もありました。けれど僕はどうしても農業がやりたかった。一年間農業を実際にやってみて、農業は事業ではなく、僕にとっては生き方なんだということがわかったからです。結局、自分の会社をたたみ、安定した生活のために建設会社の社員として働きながら、農業を続けることを選びました。
よく「脱サラして農業を始める」なんてことを聞きますが、僕の場合は逆で、「農業を続けるためにサラリーマンになった」と言えるかもしれません。
自分にフィットする農業の形を模索した
農作業でのこだわりや苦労した点があれば教えてください
農薬は使わないで作物を作ろう、ということは決めていました。最初は、少量多品目栽培を目指して、50から60種ほど栽培していました。トマトなどの夏野菜をはじめ、ハバネロやハラペーニョなども作っていました。
しかし、僕の場合は、兼業で農地もそれほど大規模ではありません。その点で、多品目栽培には向いていませんでした。津久井は中山間地域で、まとまった農地を確保するのが難しいという事情もあります。いろいろな作物を作る中で、今の自分にフィットするスタイル、作物は何だろうと模索した結果、大豆にたどり着きました。
穀物系の作物は、種まきと収穫が農作業のメイン。無農薬なので、農薬を撒く手間もなく、あとは間に草刈りをするくらい。人間は植物本来の自然な力を引き出すためのお手伝いをするだけです。それが兼業農家の僕には合っていました。
技術のノウハウはどのようにして身に付けられましたか。
学校で勉強したり農業法人で研修を受けるのではなく、とにかく自分の経験をたくさん積み重ねていきました。失敗しながら、体感で学んでいったことが、一番役に立っていると思います。
大きな転機・テンペとの出会い
田中さんがテンペを生産・販売するきっかけを教えてください。
それまでの経験から、少量多品目ではなく、何か一つ強い武器になるものを見つけて勝負したい、という気持ちを持っていました。大豆の栽培を始めた頃、たまたま友人宅でテンペを口にして、そのおいしさに感動したのが始まりです。
すぐに商品化できたのですか
すぐにテンペ工場に交渉して、自分の大豆を使ったテンペ作りを始めました。でも、商品として世に出すまでに2年程度かかりました。ベジタリアンの方が肉の代わりに食べるもの、という印象が強い上、当時のテンペは味がイマイチのものが多かったからです。
周囲の友人にすすめたり、飲食店に紹介したり、テンペを使った料理を食べるイベントを開催したりして、少しずつテンペのイメージを変えていき、それが口コミで広まってようやく販売に漕ぎつていきました。
農業人を絶やさないために
これからの展望を教えてください。
農業人口がどんどん減っていることに危機感を持っています。実際農業に携わってみると、こんなに面白いことはない。その魅力を若い人や子供たちに伝えるには、シンプルに「カッコいい」ことが大切です。そこで3年前に、カッコいい農業家を目指す人たちのコミュニティー「農future」の初期メンバーとして参加しました。SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)を使って全国の「個」の農家をつなげ、農業のカッコよさを伝えるさまざまなイベントを開催しています。
こういった、農業の未来に関わる活動や、農業に関わる人と人をつなぐアクションにも、引き続き携わっていきたいと思っています。
「カッコいいから、農家を目指す」があっていい
「兼業、専業という縛りではなく、普段の生活の中に農業がある状況が自分にとって自然な形だった」という田中さん。農業に対する過剰な気負いはありません。楽しいから、カッコいいから、農業を生活の中に取り入れたい、そういった新しい視点を持った兼業農家が、これから増えていくのかもしれません。
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写真提供:LOCO’S FARM
(*1)農林水産省 農家に関する統計・農家戸数(平成12年~29年)
http://www.maff.go.jp/j/tokei/sihyo/data/07.html